中世の本質(11)専制政治と主従政治

 中世には中世固有の政治が存在します。それは頼朝や尊氏や家康など幕府の創立者の去った後に現れる政治です。権威ある創立者を失い、幕府は一時期、混乱します、そんな時、武士たちが編み出した政治が<主従政治>でした。中世王と封建領主とが共同で行う政治です。
 主従政治は時代によって呼び名が変わりました。鎌倉時代の主従政治は執権政治と呼ばれます、室町時代の主従政治は管領政治と呼ばれ、そして江戸時代の主従政治は老中政治と呼ばれます。三つはそれぞれ内容に特色があり、違いはありますが、いずれも封建領主の代表たちが中世王の下において合議をし、彼らの合意を形成し、様々な政策を決定する、そして日本を運営したのです。
 主従政治は中世王が封建領主の仲間であり、そして同時に彼らの代表であるという立場から必然的に導き出された政治形態です。それは仲間との政治であり、そして代表者である中世王が話をまとめる。
 言い換えれば古代の専制主義が粉砕された結果、誕生したものが主従政治でした。新しく国家権力を握った者は中世王と複数の封建領主たちです。権力者は中世王一人だけではないのです。国家権力は中世王と封建領主たちが分割し、掌握しています。従って中世の政治は必然的に中世王と封建領主たちとの共同作業となるのです。すなわち主従政治は中世の成り立ちに即して出来上がった政治形態です。
 <専制政治―主従政治―民主政治>が日本の政治形態の変遷です。それは合理的で前向きな変遷です。唯一者(古代王)による政治――少数者(中世王と封建領主たち)による政治――国民(男)による政治――国民(男女)の政治へと、政治への参加者は段階的に増えていったのです。それは平等主義の成長と人類の進歩を如実に物語っています。
 そしてこの政治形態の推移は中世の一貫性を証明します。何故なら、主従政治という政治形態は鎌倉時代から江戸時代まで一貫して存在していたからです。それは中世固有の政治であり、古代にも現代にも存在しない、それ故主従政治は中世の支配主体の一つといえます。
 従ってこの点においても中世は室町時代で終焉を迎えたのではないということが立証されます。室町時代は桃山時代、江戸時代へと確実に連続していたのです。室町時代で中世を死亡させる根拠は何もありません。中世は江戸時代まで存続していたのです。
 従って近世という歴史は存在しない、それは虚妄の歴史であり、日本史から削除されるべきものです。近世は不要です。近世は日本史を捏造する。(主従政治は筆者の造語です)

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