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〈表現〉で味わう文学・3 ~原民喜「原爆小景」 ~

 このシリーズでは、僕が読んだ文学作品の中で「お!」って思った表現言い回しについて、ゆる~い感じで紹介していきたいと思います。
 ストーリーを楽しんだり、心情や主題などを解釈するのも文学を読むことの醍醐味ではあります。でも、「気になった表現についてあれこれ考えてみる」なんていうのも、文学の、なかなかにオツな味わい方なんですよね。
 
 今回は、原民喜「原爆小景」を選んでみました。短い詩の連作ですので、ぜひ、読んでみてください。

原民喜について

 僕は、文学作品を味わうのに、必ずしも作者について知る必要はないと思っています。むしろそうした知識は時に、作品を楽しむうえで邪魔になることすらある、と。
 でも、今回はこの作家について、少しだけ紹介しておきたいと思います。

原民喜 はらたみき

[生]1905.11.15. 広島
[没]1951.3.13. 東京
小説家,詩人。 1932年慶應義塾大学英文科卒業。 35年コント集『焔』を出版。 44年の妻の死に続き 45年疎開先の広島で原爆に被災,その体験を抑制のきいた静かな語りくちで小説『夏の花』 (1947) ,『廃虚から』 (47) などにまとめた。朝鮮戦争の勃発に打撃を受け,『心願の国』 (51) を残して鉄道自殺をとげた。 
(『ブリタニカ国際大百科事典』より)

 上記を、そして彼の作品を読んでいただければ、僕のほうで言葉を付け足す必要はないと思います。以下に、青空文庫「作家別作品リスト:原民喜」へのリンクを貼っておきます。

 今回は「原爆小景」を選びましたが、代表作の「夏の花」なども、ぜひ、熟読玩味してほしい作品です。

「コレガ人間ナノデス」

 今回は、僕の取るに足らない雑感をあれこれ述べるのは最低限にとどめておきたいと思います。
 この一連の詩をお読みになった皆さんが何かしらのことを感じ取られたならそれでじゅうぶんですし、この雑文を著した意図も達されたことになるので。

コレガ人間ナノデス

コレガ人間ナノデス
原子爆弾ニ依ル変化ヲゴラン下サイ
肉体ガ恐ロシク膨脹シ
男モ女モスベテ一ツノ型ニカヘル
オオ ソノ真黒焦ゲノ滅茶苦茶ノ
爛レタ顔ノムクンダ唇カラ洩レテ来ル声ハ
「助ケテ下サイ」
ト カ細イ 静カナ言葉
コレガ コレガ人間ナノデス
人間ノ顔ナノデス

 僕は、この「コレガ人間ナノデス」という表現に、それとは対照的な詩人の思いを読みました。つまり、〈これが人間であることなど信じられない〉という切なる思いです。だってまさに詩人が対したのは、〈人間の人間性を完膚なきまでに否定された存在〉であるわけですから。
 それでも彼は、自らに言い聞かせる。
 目の前に見たこの「顔」が、間違いなく「人間」のそれであることを。
 もちろん「コレガ人間ナノデス」という断定表現によって。
 「人間」「人間」ではないものへと「変化」させられ、そして詩人もまた、それをにわかには「人間」であるとは信じられない。しかしながらその「顔」は、そしてその「声」は、紛れもなく「人間」である。
 いや、「人間」でなければならない
 詩人は、「コレガ人間ナノデス」と自らに訴えることで、せめて彼ら彼女らの最期を目にした自分の中でだけでも、彼ら彼女らを「人間」として"生かそう"としたのではないでしょうか。そして詩作品という不朽の世界の中で、誰によっても何によっても踏みにじられることのない永遠の人間性を刻印しようとしたのではないでしょうか。

「焼ケタ樹木ハ」

焼ケタ樹木ハ

焼ケタ樹木ハ マダ
マダ痙攣ノアトヲトドメ
空ヲ ヒツカカウトシテヰル
アノ日 トツゼン
空ニ マヒアガツタ
竜巻ノナカノ火箭
ミドリイロノ空ニ樹ハトビチツタ
ヨドホシ 街ハモエテヰタガ
河岸ノ樹モキラキラ
火ノ玉ヲカカゲテヰタ

 「空ヲ ヒツカカウトシテヰル」という表現にご着目ください。
 「ヒツカカウトシテヰル」の主語はもちろん「樹木」ですから、ここにはいわゆる擬人法が用いられているわけです。そして、こうして〈人ではないモノを人に喩える〉擬人法を選択したことにより、「焼ケタ樹木」のその姿は、ヒロシマで焼け死んでいったおびただしい数の人々の苦しみすべてを表象するものへと止揚されることになる。 
 さらに、「ヒツカカウトシテヰル」という〈テイル形〉は、「焼ケタ樹木」、すなわち生命としての〈死〉を迎えたはずの「樹木」がそれでもまだ現在進行形で苦しんでいるかのような意味を生成します。結果として、この「樹木」の姿が表象する人々の苦しみは、死してなおそこに存在するもの――決して忘れてはならないものとして、読み手の心に刻まれることになるのです。 

「永遠のみどり」

永遠のみどり

ヒロシマのデルタに
若葉うづまけ

死と焔の記憶に
よき祈よ こもれ

とはのみどりを
とはのみどりを

ヒロシマのデルタに
青葉したたれ

 「原爆小景」の連作の最後の作品、この「永遠のみどり」だけがひらがなで書かれていることには、すぐにお気づきになったかと思います。これは当然、他の作品と差異化するための技法であるはずですよね。
 そしてそこにどのような意味、メッセージを読み込むかは、皆さんにお任せしたい。
 ただ一つだけ蛇足を述べるなら、この詩に語られる「若葉」「みどり」「青葉」は、「祈」を象徴するものであり、もちろん焼け跡である「ヒロシマのデルタ」にしたたるもの――すなわち再生を象徴するものであることは間違いないでしょう。そしてこのイメージは、先に引用した「焼ケタ樹木ハ」における「樹木」の「空ヲ ヒツカカウトシテヰル」姿とはとことんまで対照的です。このような点から、この〈ひらがな表記〉に込められた詩人の思いや意図を解釈してみると、きっと何かが見えてくるかもしれません。

 それでは、今回はここまでです。
 「〈表現〉で味わう文学」シリーズ、これからもよろしくお願いいたします(^▽^)/

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