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ざっくり語彙 ~スキマ5分の「スマホでボキャビル!」~ 020

【物語(=神話・想像・幻想・空想・虚構・フィクション…)】
「日本人は伝統的に、"和"の心を大切にしてきた」とか、「日本人固有の美意識」とか、そういう言い方って、耳にしたことがあると思います。そしてこれらの言説に共通するのは、〈日本人〉というカテゴリーを自明視している、つまり、疑うべくもない当然のものと考えている、ということですよね。
でも、よく考えてみると、こういう発想法にはかなり怪しいところがある。
というのも、例えば明治維新以前、つまりは幕藩体制期においては、それぞれの藩に住んでいる人々にとって、その藩を超えた向こう側は"外国"に等しい世界でした。となると当然、自分たちの住む藩を超えた、より包括的なまとまりとしての〈日本人〉などというカテゴリーなど、多くの人々にとってほとんどイメージ不可能なものであったはずです。
逆に言えば〈日本人〉というカテゴリーは、日本が近代国家として統一されて以降――すなわちそこに存在した多種多様な人々が〈日本国という一つの国家に所属する国民〉として統合されて以降にしか、成り立ち得ない枠組みであるということになる。つまり、〈日本人〉などというカテゴリーは、少なくとも庶民の感覚レベルでいうなら、しょせんは100数十年の歴史しかないわけですね。若造も若造、まだペーペーの観念に過ぎないわけです。
けれども僕たちは、しばしばそのようなカテゴリーを、あたかも不変の本質であるかのように捉えてしまっている。つまりは、

〈日本人〉などというカテゴリーは、近代国家としての日本国成立以降に〈作られたもの=フィクション〉であるにすぎないのに、それをあたかも本質的な区分であるかのように信じて疑わない

ということです。より抽象的な言い方に言い換えるなら、僕たちは、

特定の時代や社会において〈作られたもの=フィクション〉に過ぎない何かしらの観念を、無批判に自明視=本質化してしまっている

と説明することができます。そしてここで用いた〈フィクション〉と等しい意味を表す語句として、

空想・想像・幻想・虚構・神話・物語……

等があることを覚えておきましょう。つまり僕らは、

〈日本人〉などという近代国家成立以降に作られた空想(=想像・幻想・虚構・フィクション・神話・物語)を、あたかも不変の本質であるかのように自明視してしまっている

ということになるわけです。

~例文~

人種などという枠組みは、しょせんは近代の人類学によって構築された物語(=神話・フィクション・虚構・幻想・想像・空想)に過ぎない。

~関連知識~
民族・人種・性差にまつわるイメージ等、僕たちはしばしば、特定の時代や社会において〈作られたもの=物語〉に過ぎない何かしらの観念を、無批判に自明視=本質化してしまっています。逆に、そうした観念が実は特定の時代や社会において人為的に〈作られたもの=物語〉に過ぎないということを暴いていく学問を、「構築主義」と言います。

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