備忘録【2022 11/6(日)】妄想読書
本を紐解き、活字を追いかけ、ふむふむ…などと読み進めていくうち、不意に出会った一文や表現、あるいは単語などに、目の動きがピタリと止まり、むむむ…と考えごとが始まってしまう瞬間がある。時に本筋にかかわる重要な内容であることもあるが、ぶっちゃけ、どうでもいいような些細なところであったりもする。例えば、
という語りを目にしたとき、
などと考え始めてしまうと、もういけない。その後、目だけは字面を滑り続けていくが、しかし、内容はさっぱり頭に入ってこない。酷い場合には、文章を最後まで(形ばかりは)読み切りながら、自分の"妄想"以外、何一つ頭に情報が残っていないことすらある。現代文の講師として言うなら、いわゆる"読解の苦手な子"のなかには、こうした〈話がどんどん文章からかけ離れていき、妄想の世界に遊んでしまうタイプ〉も、たぶん、少なくないと思う。まぁ、現代文の試験であるなら、それは確かにマズい。なんとか、矯正しなくてはいけない。
でも、読書ならばさ、それでいいじゃん。
書き手も意図すらしなかった方向へと話がズレていき、まったく別の妄想世界が立ち上げられていく。
これって、考えてみたら、とてつもなくクリエイティブな、すごいことなんじゃないだろうか。というか、そもそも、こういう時間、楽しいし。それこそが、読書の醍醐味なのかもしれないし。
読書において、"読めない"とか、"内容が頭に入ってこない"ということに、うしろめたさを感じる人がいるらしい。「読む以上は、理解しなくてはいけない」という強迫観念。
うん。これでいいじゃないですか。読書は試験じゃないんだから。むしろ、なんて豊かな時間なんだろう、って思います。妄想読書、うん、好きですねぇ、私は。
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