備忘録【2022 11/6(日)】妄想読書

本を紐解き、活字を追いかけ、ふむふむ…などと読み進めていくうち、不意に出会った一文や表現、あるいは単語などに、目の動きがピタリと止まり、むむむ…と考えごとが始まってしまう瞬間がある。時に本筋にかかわる重要な内容であることもあるが、ぶっちゃけ、どうでもいいような些細なところであったりもする。例えば、

 メロスは激怒した。必ず、かの邪智暴虐の王を除かなければならぬと決意した。メロスには政治がわからぬ。メロスは、村の牧人である。笛を吹き、羊と遊んで暮して来た。

太宰治「走れメロス」(青空文庫)

という語りを目にしたとき、

……「邪智暴虐」って、すげぇ語彙だな……ここ、「と決意した」とあるから、メロスの独白を直接に描写するところだよな。ってことは、メロス自身がこの「邪智暴虐」って言葉を使っている、ということになる。「政治がわから」ない、「笛を吹き、羊と遊んで暮して来た」ようなメロスが、なんでこんな難しい四字熟語を知ってるんだ…?  いや、そもそもメロスは中国語や日本語の話者ではないのだから…(以下略)

などと考え始めてしまうと、もういけない。その後、目だけは字面を滑り続けていくが、しかし、内容はさっぱり頭に入ってこない。酷い場合には、文章を最後まで(形ばかりは)読み切りながら、自分の"妄想"以外、何一つ頭に情報が残っていないことすらある。現代文の講師として言うなら、いわゆる"読解の苦手な子"のなかには、こうした〈話がどんどん文章からかけ離れていき、妄想の世界に遊んでしまうタイプ〉も、たぶん、少なくないと思う。まぁ、現代文の試験であるなら、それは確かにマズい。なんとか、矯正しなくてはいけない。

でも、読書ならばさ、それでいいじゃん。

書き手も意図すらしなかった方向へと話がズレていき、まったく別の妄想世界が立ち上げられていく。

これって、考えてみたら、とてつもなくクリエイティブな、すごいことなんじゃないだろうか。というか、そもそも、こういう時間、楽しいし。それこそが、読書の醍醐味なのかもしれないし。

読書において、"読めない"とか、"内容が頭に入ってこない"ということに、うしろめたさを感じる人がいるらしい。「読む以上は、理解しなくてはいけない」という強迫観念。

「一冊最後まで目を通したけれども、何も理解できませんでした。ただ、こんなことやあんなことについて、あれこれ思ったりしてみました。本の内容には、まったく関係ないですが(笑)」

うん。これでいいじゃないですか。読書は試験じゃないんだから。むしろ、なんて豊かな時間なんだろう、って思います。妄想読書、うん、好きですねぇ、私は。

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