ドレッシングちゃんの活躍に驚く〜げんちゃん懐古モードになる

ここ数年のドレッシングちゃんしか存じ上げないのですが、ドレちゃんは【広島地区】ほっかほっか亭の宣伝キャラクターを務めているのですね。

先程のRCCラジオ「ごぜん様さま」で知りました。

で、詳細を知りたくてほっかほっか亭のサイトを検索してみたのですが、広島地区のメニューは表示・確認出来たものの、ドレちゃんに関する事は特に書かれていませんで、逆に丁寧に制作されたYouTUBEを発見。日付を見ると「今期も引き続き」のドレちゃん採用と云う事が分かりました。

で、中継の前から後から網羅された▲この動画を見ると、自分が中継車を追いかけていた思春期の頃を思い出しました。

私は”文化放送”のヘビーリスナーでしたので、お昼の中継コーナー(当時は”トピッカー”という愛称の中継車があった)の1時間前くらい、番組冒頭の「◯◯に向っています」と云う情報をキャッチして、自転車で行ける範囲であれば30〜50分かけて現地へ向かい、クローズドであれば”そっと”、商店街等オープンな中継であれば”サクラ的”に現場へと向かい、最終的には毎回(シフトが)変わらない運転手さんらと打ち解け、待ち時間に河川敷で草野球をしたり、試飲缶を配ったりする程、仲良くなりました。

あの頃はネットが無かったし、制作費にも余裕があったので、皆さん穏やかだったな〜。もちろん今の若い人たちはネットネイティブの方が大半であろうから、”顔出し”も普通の事と思われている方もたくさん居る様な気がしています。中にはテレビ局で働く”副業漫画家さん”まで居る世の中ですから、テレビ局の中でも制作と演者の線引きが薄れて来た様な気がしますし、カミングアウト出来る社風も感心します。

ともあれ私は、今もあの頃(平成のはじめ頃)の「ラジオやテレビの世界」の楽しさを追いかけて仕事をしていると云う事ですよね。幻でない事を願うばかりです。

今年は個人のnoteデビューを果たした(昨年まで1年半は3人によるWEBラジオの宣伝note)事ですし、今まで書かなかったラジオやテレビを仕事として考える様になった頃の記事や、昭和〜平成初期に撮影したフィルムカメラのスキャン写真、カセットテープの同録を聴いて今思う事等も、有料noteで展開していこうかしら。。。そんな111の日です(確変ですね!)

げんちゃん拝

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