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ゲンバノミライ(仮) 第10話 型枠工の鉄ちん

型枠大工の田中鉄郎は、初めて取り仕切りを任された。手元として手伝って、コンクリート型枠用合板、いわゆるコンパネを加工したり組み立てたりしたことは何度もある。だが、図面を基に計画を考えて、自分が職人を使う立場になって仕上げていくという全体を一人で取り仕切ったことはない。嬉しいが、緊張する。

「分かりました!」といつものように大きな声で返事した田中に対して、親方の古里典助は妙なことを言ってきた。

「こらからどうなるか分からんが、しっかり体にたたき込んでおけよ。鉄ちん、分かったか!」

古里の物言いが気にはなったが、それよりも期待に応えられるかの方で頭がいっぱいになった。古里は、ベテランの中森洋二と後輩の安田賢治を手元に付けてくれた。「中さんがいれば安心だ」と思ったら、顔に出たのだろう。古里から「中さんに頼りすぎるなよ」と古里から釘を刺された。

俺が引っ張っていくのか。不安いっぱいだ。でも、やっぱり、嬉しい。

任されたのは、非常用階段だ。踏面や踊り場などは比較的簡単だが、注意が必要なのは、斜めにする蹴込み(けこみ)の部分。階段を上がっていく時に、立ち上がり部分を斜めに引っ込めていた方が、つま先が当たりにくくなる。つまり、上がりやすいのだ。
この仕事をするまで階段の形状など考えたことがなかった。大体の人は気付かない。でも、そういうところに気配りできているかどうかで、毎日の使いやすさが格段に違う。何十年も使い続けることを考えたら、そうした小さな使いやすさを積み上げていくことはとても大事だ。造る側はその分面倒だが、気付かれなくてもさらりとやってのける姿勢は、ちょっと格好いい。

田中は、古里からもらった図面から、小さな紙に粗々の型枠の形を書き出していく。階段を構築する部分は、まだ壁もできていない。壁のコンクリートが打ち上がった姿を頭の中で想像しながら、型枠の組み立て手順をイメージしていくのだ。

各段のコンクリート打設に必要な型枠の大きさを決めて、上階までの段数を踏まえて、必要なコンパネの数量を考える。コンクリート打設時に型枠が動かないように固定するセパレーターなど、必要な道具も数えて準備しなければいけない。

鉄筋が組み上がってから、足場を使って型枠を設置していくので、鉄筋や鳶(とび)の親方ともしっかり打ち合わせしておく必要がある。作業の流れから、どれくらいの人数でどれくらいの時間をかけて作業するのかも考える。元請けゼネコンから提示されている工程はあるが、その通りにいかないことも多い。自分の考えた計画と食い違いがあるのであれば、現場監督にも掛け合わなければいけない。

職人は、現場に来て体を動かすだけが仕事だと思われがちだが、実際は違う。頭だけを使う場面も結構あるのだ。安全かつ確実に作業できるやり方を計画して、作業工程を組み立て、必要な人間や資材を算出して、作業日に集まるよう段取りすることに、多くの手間と労力を割いている。請負金額と見合うかどうか損得勘定を弾くことも欠かせない。そうした段取りがまずければ、現場はうまく回らず、手待ちや手戻りが発生してしまう。それは利益が目減りことを意味する。

古里に指示された翌日から、現場には出ずに詰め所にこもって図面や計画書と格闘する日々が続いた。最初に構築する非常階段は1フロアだけで、大した施工数量ではない。だが、それは最上階まで続いていく。ミスは許されないし、小さな無駄があっても、最上階まで積み上がると大きなロスとなる。責任重大なのだ。

「よし、大丈夫だろう。これで行け。材料手配も頼んだぞ!」

何度もプランを書き直し、ようやく古里からOKが出た時には、ちょっと安心した。
だが、実際の現場作業はまだ何も始まっていない。ようやくスタートラインということだ。

とはいえ、その後の型枠組み立ては、これまでの経験がある。中森と安田のフォローもあったので、問題なくコンクリートが打ち上がった。型枠を脱型して仕上がりを確認して、ようやくほっとできた。

やり遂げた達成感がじわじわと湧き上がってきた。頑張ったのは自分だけではない。そう思い、中森と安田に焼き肉をごちそうした。支えてくれたことが本当にありがたかったのだ。社長からもらったご褒美でまかなえたことは言っていないが、感謝の気持ちは本物だ。

驚いたのは、その後だった。
古里と二人で元請け事務所に呼ばれた。向かったのは西野忠夫所長の部屋。入るのはもちろん初めてだ。そこで突拍子もない構想を聞かされた。

BIM(ビルディング・インフォメーション・モデリング)という3次元図面ソフトと、人工知能(AI)などを組み合わせて、型枠の計画から加工、さらには組み立てまでをロボットにやらせるというのだ。あんな狭い場所で、ごちゃごちゃした作業をするのは人間でさえ大変なのに、ロボットだけで実現したいという。

所長の部屋には、現場監督の中西好子がいて、隣に座っていた元請けゼネコンの技術研究所の社員田中壮一と、AIによるシステムを開発しているという後藤伸吾を紹介された。

どちらも30歳手前。つまり同世代だ。エリート臭がぷんぷんして、いけ好かないが、いらだった表情を見せると後で古里からこっぴどくやられるのは目に見えている。中西から、「あとで詳しく説明しますから、とりあえず聞いておいて下さいね!」と言われたこともあり、話の半分くらいは意味が分からなかったが、とりあえず「はい。はあ。はい」と答えておいた。

自動化ロボットの開発に当たって型枠大工のアドバイスが必要で、それを田中にやってほしいという話だった。なんだか大変なことになりそうだ。

「AIだかなんだか知らないが、便利になるのはもちろん悪いことじゃないが、職人の世界はそればかりでもないんだ。言っても仕方が無いが、俺にはどうしても性に合わないんだよ」

帰り際、珍しく古里がぼやいていた。

古里の言うとおりだ。でも、それだけでは駄目なように思う。
世間では、人工知能(AI)とかDX(デジタルトランスフォーメーション)とか言われている。それでどうなるのか、自分にはさっぱり分からないが、でも、スマホのアプリとかゲームは、どんどん進化している。大工の現場だけ、汗まみれ、汚れまみれのままがずっと続いて良いはずがない。

大工の腕もあって、AIなんかも使いこなせる。自分がリーダーになるのなら、そういう親方になりたい。そっちの方が格好いい。

そうなったらモテるかな。

「何か良いことあったんすか?」
安田がこっちを見ながらニヤニヤしている。
「いいこと? まだ無いよ。でも、これから、たぶんあると思う。そうしていく」
何の根拠もないが、力強く言い切った。

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