見出し画像

第61話 答えられない栗田さん

「何でもかんでも早さを追求するって、時代遅れのような気がするんです。
そもそも、なんで早くしなければいけないんですか?」

ゼネコン社員として、この街の復興事業を一手に担うコーポレーティッド・ジョイントベンチャー(CJV)に加わっている栗田直敏は、想定外の質問に言葉を窮した。目の前にいるのは、今年入ったばかりの新人の藤岡悠真だ。

「え!? 何でって、早い方が良いに決まっているじゃないか。
同じ建物を造るのであれば、工期が短い方がコストは下がるし、建物の供用が早ければ稼働させて利益を上げられる。
そもそも、この工事は、あの災害で甚大な被害を受けた被災者の人たちに、安心して暮らせる日常を届けるのが目的だよ。できるだけ早くすべきだと思わない?」

「被災者の方々に1日も早く平穏な暮らしをしてもらった方が良いのは分かります。この現場はそうです。
でも、すべての工事でひたすら短工期を目指すのってピンとこないというか、しっくりとこないというか」

「パソコンもスマホも処理速度がどんどん速くなってて、速い方がいいじゃない?ネットで動画を見ていて、通信が遅いと苛々しない?」

「そう言われるとそうなんですけれど。
スピードを求める時代とかって、いつまで続くのかなぁって、素朴に思うんですよ。ぶっちゃげ、全然幸せとつながってないというか。

だいたい、働き方改革で『仕事するな』とか『余暇を使って楽しめ』とか言ってるじゃないですか。費やす時間を減らすのに合わせて生産も減らして、のんびりした方が余程幸せに近づくように思います。
そっちの方が腑に落ちませんか?」

栗田も、働き方改革を声高に叫びながら同水準の生産力を強いる社会の風潮に納得がいっていない。だが、できるだけ効率化を図るというこれまでの方向性を捨てて、真逆に行って良いとも思えない。

目の前の若者にどう伝えれば良いのか。

答えが出てこない。

「すいません。なんか、こういう事言ったら怒られそうで口にした事は無かったんですが。

仕事だから頑張ろうって思ってますし、これまでの努力を全否定するなんておこがましい気持ちは全くありません。それも本当なんです」

「いいんだよ。藤岡は怠けたいっていうタイプじゃないのは、仕事ぶりからみんな分かってるからさ」

「ありがとうございます」

ほっとした表情で缶ビールを飲み干す藤岡を、栗田はじっと見ていた。

藤岡は半年前に赴任してきた。建築を学んでトップクラスの学校を卒業し、入社試験でも上位だった優秀な新人だ。ただ指示を待つのではなく、与えられた業務に自分なりの考えを加味したり、自らで解決策を探ろうとしたりする姿勢が見える。職人たちにも偉ぶることなく質問を投げ掛けて相談するため、皆からかわいがられている。頭でっかちではなくバランス感覚がある。総合的に見て、本当に優秀な部類に入る。

そうはいっても、心が折れやすい人が増えている。新人に対しては細心の注意を払わなければいけない。

栗田は、月に何度かは、仕事が終わった後に酒を飲みながら藤岡と話す時間を作るようにしていた。
感染症対策のため、これまでは大きな会議室を使っていたが、今日は宿舎の栗田の部屋に場所を移していた。
周りに人がいないことで本音をのぞかせてくれていると思った。

「なるほどね。いや藤岡の言うことも分からなくはないな。ただ、俺は今までそんな事を考えたことがなくて。

できるだけ早く沢山の仕事をやった方がいいに決まってるって思ってきたからなぁ。どこが駄目なのかが思いつかないんだよな。
でも、確かにスローライフとか、リゾートとかでゆっくりな時間が流れるみたいなのに憧れる面もあんだけどね」

「早いことが常に最も良いことなんでしょうか?
 工期短縮、生産性向上、働き方改革。言ってることは分かるんですけれど、早くしなければいけないって前提が、あらゆる人を苦しめてるんじゃないかって。そういう風にも思うんです。

いや、ちょっと違いますね。格好良く言い過ぎました。

本当は単に自分が不安なだけです。
今は20代半ばで普通にいけばこれから最低でも40年くらい働くはずでよね。スピードばかりを追求していく毎日に、自分が耐えられるかなって…」

「そんな風に思っていたのは意外だな。藤岡は俺が見てきた若手の中でもかなり優秀な方だよ。
ちょっと前に新人を面倒見ている同期と電話したら、えらい大変みたいでさ。そういう子なら分かるんだけど。

でも、周りがしっかりと見えてるからこそ、そんな疑問を抱けるのかもな」

栗田が新入社員のころは、ただただ仕事に追われていた。与えられた仕事をこなすことで精一杯だった。だから、少しでも効率よく業務を進めたいと努力してきたつもりだ。

先輩達からは、ちょっとした効率化を積み上げていくことが現場にとって重要だと教わってきた。
建設業は、案件ごとに単品生産しているケースが多いため、全く同じ物を大量に作る製造業と異なる。だが、場所や仕様が若干異なるものの、似たような作業を何度も繰り返す場面もたくさんある。

例えば、住宅に窓を取り付ける作業で言えば、リビングと浴室では設置する窓の大きさも種類も変わるし、作業場所も常に変わっていく。だが、同じタイプの部屋がたくさんあるマンションであれば、同じような繰り返し作業が何度もある。
一つの作業で1分の時間が短縮できれば、それが積み重なって大きな効率化になる。

この国は少子高齢化で、移民受け入れを認めるなど大きく政策転換しない限り労働人口がどんどん減っていく。このまま放置すればジリ貧になる。未来の子供世代が、それで幸せになるはずがない。

自分が働くゼネコンだって全く同じで、会社が続いていくには、できるだけ少ない人数で多くの仕事をこなして売り上げを増やしていくべきだ。そのためにスピードを追求するのは必然の方向となる。建設現場に限らない。多くの産業に通じることのように思う。

おそらく30年前と比べたら、格段に生産性は上がっている。だが、その先のさらに一歩の効率性を追い求めていく。それが当然の姿勢。少なくとも、栗田世代のほとんどは何の疑問も持たずに生きてきたはずだ。

「藤岡は、なんでそんなことを思うようになったの?」

「海外で人間の成長を早めるプロジェクトが始まったってニュースを知ってますか?」

「ネットで見たよ。今の技術ならできるんだろうね。まあ、この国じゃ、世論が許さない気がするけれど」

「そこなんです。私もそう思います。
新聞とか読んでも倫理的な観点から非難する論調が強いですよね。

でも、促成栽培ってあるじゃないですか。
仕事だってスピードが大事で早くやれって。私達が造ってる建築物も、工期短縮は絶対的に良いことってなっていますよね。
家畜だって、より効率的に太らせて肉にしてますよね。
それが、人間になった途端に、『早く成長させるなんて、おかしい』って。それって違うと思いませんか?」

「人間と物では、考え方が違う。そこに尽きるんじゃないか。
生き物は、まあいろいろな考え方があるだろうけど、食べ物って言っている時点で物として扱っている訳だしね」

「私が思っているのは逆なんです。
今まで早さを求めてきたことが正しいかを判断する時に、結局、自分事にならないと判断できないんじゃないかって。
これまで人の成長を早めることは技術的にできないことだったから、考える範疇(はんちゅう)に無かったんです。
それが実現できるという段になって、ようやく、早さを求めすぎることがもたらす功罪みたいなものを人類が我が事として考えられるようになったって」

「うーん…。
何が言いたいのかよく分からない。
我が事になったからどうなるの?」

「スピードを追求することの是非を正しい見地から判断することができるというか。

なんか壮大すぎて馬鹿みたいな話かもしれませんが…」

「聞いててちょっと違うと思うのは、我が事じゃないと正しい判断ができないなら、裁判とかって成立しないよね。

倫理って、必ずしも経験に直結しているとは限らない。こうなったら良くないかもしれないっていう想像とか思考実験みたいなところから積み上げられてきた部分も多いよ」

「まあ、確かにそうなんですが…」

「なんだかさあ、缶ビール片手でする与太話じゃないよ。
でも、人間の成長を早めていいのかって考えると、スピードに拘る姿勢の是非みたいなことへの受け止め方が変わるっていうのはその通りかもしれないな。

例えばさあ、早さを追求するのが悪いってなったとして、何でも遅くしたらどうなるのかな?

3年でできるはずだった物を10年かけて造るとして、その間、食っていけるのかな。

給料が減らないなら、『あくせく働くより良いね』ってなるけれど、給料が下がって家族を養えないってなったら『ちょっと待ってくれよ』ってなるだろ」

「そう言われてしまうと、そうなんですよね。早い方がいいですよね」

「そうだろう。

でも、藤岡に言われて思ったけど、何でも早ければ良いかというと、確かに違うんだろうな」

そう言うと、栗田は手に持った缶ビールに目をやった。空になっている。
もう1本くらい飲むか。

「藤岡、もう1本くらいどうだ?」

「ありがとうございます! 飲みます!」

冷蔵庫から2本の缶ビールを取り出した。

何かつまみもほしい。
隣の小さな戸棚の引き出しを開けた。

酒のあてになりそうなのは、チーズかまぼこと、焼き鳥の缶詰、ポテトチップスくらいか。妻が見たら怒りそうなラインアップだ。

現場宿舎で一人暮らしをしていると、最小限の物しか買わなくなる。

朝起きてドアを開けると、隣の同僚も起きてきていて顔を合わせる。
食堂でさっと朝食を済ませて、車で現場事務所に向かう。夜まで仕事をして暗がりの中を帰ってきて、用意されていた夕食のおかずをレンジで温める。ここは大きな現場だから、大きな炊飯ジャーで炊いたご飯と具材たっぷりの味噌汁もある。

部屋に戻ると、ベッドに腰を掛けて缶ビールを開ける。
疲れからまぶたが段々と落ちてくる。洗面やトイレ、浴室は共同だから、部屋を出ないといけない。今のような冬場はそれほど汗もかかないので、入浴が2日に一度になることもある。
そうして、あっという間に次の日になる。

仕事とはそういうもの。これが当たり前だから、特段の不満がある訳ではない。
早期復興は、栗田や藤岡のような暮らしがあってこそ、実現している側面がある。
この街の人たちは、1日も早い復興を願っている。技術者として貢献できることは技術者冥利に尽きる。この仕事があるから家族を養えている。

何も間違っていない。

そう、何も間違っていない…。

そう思わないと、たぶん続けられない。

栗田はベッドに戻ると、小テーブルにつまみを置いて、缶ビールを藤岡に渡した。

藤岡はマスクを下ろすと静かにビールを飲んだ。
栗田は缶ビールを手にしたまま、マスク越しに口を開いた。

「今って毎日があっという間でさ。40代半ばを過ぎて、余計に早まったような気がしてて。
そう考えると、子供の頃って時間があったな。ぼけっとしてる時もあったし。友達と下らない話をして、ずっと話しているのに、まだまだ時間があって」

「分かります。子供の頃って、なんか時間がたくさんありましたよね」

「不思議だよな。まあ、夏休みとか冬休みとかはとっとと終わるのに、学校の授業はひたすら長かったよ」

「私も、『まだ昼前かよ…』って、いっつも思っていたような気がします」

「でも、振り返ると貴重だよ。ゆっくりの時間があってもいいって。
子供の頃から今みたいなペースだったら疲れちゃうよ」

「ホントですね」

「だからさあ。子供の成長って、今くらいでいいのかなって。

うちの子は中学校と小学校だけど、休みに帰る度に大きくなってるんだ。子供の成長は早いよ。

だから、『子どもの成長スピードを2倍にできますよ』って言われても、あんまり嬉しくないな。ただでさえ単身赴任で子供の成長を間近に見られないのに、その時間がさらに短くなるって寂しいよ」

「そうかもしれませんね。

幸福な速度って、そういうのがあるのかもしれませんね」

「幸福な速度か。確かに、幸せにする早さと、そうじゃない早さって、どっちもあるね。
早いことが絶対的に良いことではないし、遅いことが絶対的に悪いことでもない。ただ、早すぎたり遅すぎたりして軋みが出てくれば、それって全然効率的なことじゃない。

この工事はやっぱり早く完成した方が良いよ。

だけど、すべての仕事がそうとは限らないと言われたら、そうかもしれない」

「…」

ビールがまた減ってきた。残りを一気に流し込む。

「嫌な話だけど、人間を金儲けとか生産のための道具とかって考えると、成長を早めるって正しいかもしれない。親が自分の介護をさせるために子供を早く大人にするみたいな。もっと言えば、奴隷のように扱うための人身売買みたいな話にまでつながる。

まあ、それは極論かもしれないけれど。だけど、やっぱり、人と物とでは考えが違って良いんじゃないかな」

返事が来ない。

藤岡の方に目をやると、こっくりこっくりと船をこいでいた。お互い疲れが溜まっている。明日もいつものように最盛期の現場作業が待っている。そろそろ寝た方が良い。

藤岡を揺り起こして自室に帰るよう促した。

栗田は、静かになった部屋で、つまみの袋と空き缶を片付けると、洗面台に向かった。水が冷たい。
ちょっと飲み過ぎたようだ。雑に歯を磨くと、トイレを済ませて部屋に戻った。

殺風景な部屋に住むようになって、どれくらいの年月が経ったのだろう。

電気を消して、カーテンを開いた。
満天の星空が広がっていた。

栗田は、現場を1日でも早く、できるだけスムーズに進めることに心血を注いできた。
それはなぜだろう?

経済は拡大することが当たり前。企業も成長こそが目指す道。
誰かに教わった訳ではないが、そのことに疑問を抱いたことがなかった。

だが、失われた何十年という時代を生きてきた自分の人生と社会を重ねてみると、経済は拡大などしてこなかったし、企業も現状維持に奔走したにもかかわらず縮小路線しか歩めなかった。

もちろん好景気に沸く業界や企業はあったが、建設業界とは別世界の話だ。そういう業界も、未来永劫に右肩上がりということではなく、栄枯盛衰の中での急拡大期に目立つだけで、忘れた頃にリストラやM&A(企業合併・買収)にさらされるニュースが流れる。高度経済成長のような全体に共通する大きなうねりはない。正規分布と同じで、あまたの企業群を見れば、業績が輝く会社があれば落ち込む会社もある。ただそれだけだ。

藤岡のような若い世代からすれば、今までのやり方と結果を冷静に見た時に「闇雲に前例踏襲などできない」と言いたくなる気持ちも分からなくはない。

高く飛び立たなければ、水面下のあがきは見えてこない。周りからしてみれば、そんな努力はゼロに等しい。

結果がついてこなかったかもしれないが、歯を食いしばっているからこそ今の位置を保つことができているのではないか。あがいている側からすれば、そんな恨み節も出る。
負け惜しみと言われればそれまでだが。

「早さを求めるのは時代遅れ…か。

そんなこと俺に言われても、分からないよ」

栗田は一人ぼやいて、カーテンを閉じた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?