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ゲンバノミライ(仮)第51話 会えない由美さん

「うん、分かった。こんな状況じゃ仕方ないわね。せっかくだから、体をしっかり休めてね」
西野由美は、夫の忠夫からの電話を切るとため息をついた。

忠夫は、あの災害からで大きな被害が出た沿岸部で、復興街づくりの工事現場で所長を務めている。ゼネコンで同期入社だった。飲み会を開いたり遊びに出掛けたりしているうちに意気投合し、ほどなくして交際が始まった。

ともに本社の配属でスタートしたが、近くにいたのは2年弱で、その後、忠夫は得意とする大規模土木現場の受注に合わせて、全国の現場を転々としていった。結婚したのは、忠夫が五つ目の現場の時だ。仕事を続けて遠距離で暮らすことも考えたが、現場の第一線で働くことの心身への負担は、ゼネコン社員である自分もそれなりに認識していた。夫を支えたいと考えた由美は、退職して各地を一緒に回る道を選んだ。

娘の莉子が学校に上がったタイミングで、忠夫が本社勤務になった。しばらく本社にいるような話だったため、今後の進学や老後の暮らしなどを考えて、都会の近郊でマンションを購入することにした。
だが、マンションを決めて引っ越しの準備を進めている時に、予定していた技術者が体調を崩したという理由で、地方の大型工事に急遽、忠夫が送り込まれることになった。
3人でマンションに引っ越すはずだったのに、由美と莉子がマンションに、忠夫は現場にという二手に分かれる羽目になった。
「マンションを買ったら転勤が決まる」
若い頃に女性陣でそんな都市伝説を笑い話にしていたのに。ブーメランのように自分の身に降りかかると、全く笑えなかった。

あれから年月が過ぎた。
この間、忠夫がこのマンションから通って勤務したのは、たったの3ヶ月だ。

今手掛けている復興工事の入札への準備の時期だった。

「やっと一緒に暮らせるね!」
家族3人で喜んだのは、ほんの一瞬だけだった。

あの災害への復興に貢献することは、ゼネコンで働く忠夫にとって技術者冥利に尽きる。それは、ものすごく理解できる。だが、そのための準備は繁忙を極めた。詳しいことは分からないが、詳細が決まらないまま、仮定や想像の下で計画案を作って、契約に向けてベースとなる金額を積み上げて、工期を少しでも短縮するための技術的な検討などを進めていったようだ。

早くても帰ってくるのは終電間際で、何日も会社に泊まり込んで週末だけに寝に帰ってくるような時もあった。

競争に負けて受注できない方がいいのに。
疲れでげっそりとした忠夫の痛々しい表情を見て、そんな風に思うこともあった。

「受注できたよ! 所長としてしっかり頑張ってくる!」
忠夫からの一報を受けて「おめでとう」とは返した。「良かったね」という言葉は出せなかった。

現場が始まると、再び遠距離生活に戻った。発注者である自治体やデベロッパーなどとチームを組んでコーポレーティッド・ジョイントベンチャー(CJV)を結成し、復興街づくりの構想立案から調査・設計、施工、その後の運営までを一手に担っている。

復興の現場に入ると、忙しさは変わらないどころか、むしろ厳しさが増したようだった。月に2度の帰宅手当が出るのだが、実際に帰ってくるのは月に一度あれば良いくらいで、現場が軌道に乗るまでは4ヶ月くらい間が空くこともあった。
仕事であり仕方が無いことは分かっている。忠夫が一生懸命働いてくれているおかげで生活は安泰だ。けれども、やっぱり寂しい。思春期に入って扱いづらくなった莉子のことも相談したいが、こっちに帰ってきた時にはゆっくり休めさせたかった。じっくり相談する余裕など無い。やるせなかった。

もやもやした気持ちが募っている中で、忠夫から被災地を回る旅行を提案されたのは、昨年夏のことだった。
復興工事は、最盛期というような状態が続いているが、現場自体は優秀な部下たちが切り盛りしてくれていて、少しまとまった休みがとれることになったそうだ。
忠夫自身は被災地に身を置いているが、自分の現場しか見る機会が無く、全体像を把握している訳ではない。行ったことがない北や南の被災地を回りたいのだという。自分が手掛ける街づくりも見てほしいということだった。
莉子が大学受験を控えていたが、「被災地を見ている方が小論文などにも役に立つよ」と忠夫が言い張り、押し切られた。

旅行の終盤に、忠夫が手掛ける現場を回った。大型重機やダンプが行き交い、小高い丘のように土砂が積まれて、新しい街の基盤が築かれていた。スマートグラスを装着してMR(複合現実)で、被災直後の姿と完成後の街の姿を見せてもらった。それから改めて広大な現場を見回して、忠夫たちが取り組んでいる挑戦の大きさを始めて実感した。

「人間って、こんなすごいことができるんだね」
莉子が感動したようにつぶやいた。
「復興までは、まだまだだよ。小さな一歩を毎日続けるしかない。そういう仕事だ」
忠夫が誇らしげにつぶやいた。

良い親子の姿なのだろう。
他人だったら、由美もそう思う。
頭では分かる。だけど、こんな離ればなれで、体力が落ちていく年代の夫を激務にさらすことは、やっぱり嫌だった。

そうこうしているうちに、今度は感染症が広がった。
忠夫は、現場でのクラスター発生を絶対に食い止めなければいけない立場だ。都会との行き来は難しい。
年末年始は検査をした上で帰ってきてくれた。
だが、従来種に比べて感染力が強い変異株が広がる今は、より警戒感が強まっている。せっかくの大型連休だが、身動きがとれないのだ。

感染の蔓延を防ぐための強化措置が都会で発令され、それでも収まる傾向が見られないため、緊急事態という宣言も出された。この大型連休に忠夫が帰ってくるのは難しいだろうとは薄々は思っていた。
だが、現実に告げられると、やはり寂しい。

帰りたいけれど、帰れない。
学生時代に流行した単身赴任を揶揄するヒットソングが頭を流れている。

忠夫自身は、そうは思っていないかもしれない。
リーダーとして、使命感を持って仕事に向き合っている。弱音など吐かずに、現場を引っ張っていくことに心血を注いでいる。そうした夫を誇らしく思う。

足を引っ張るようなことは言いたくない。良い妻でありたい。強い母でいたい。

でも、本当は帰ってきてほしい。

私は間違っているのだろうか。

「徹底したステイホームをお願いしたい」
感染症のニュースが流れる一人きりの部屋で、由美は、虚しさに包まれながら、ただただ時が過ぎるのを待っていた。


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