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ゲンバノミライ(仮)第36話 式典担当の吉住主任

無事に終わった。皆さんが、笑顔で帰っていった。
決まった流れでいつも通り。そうだけど、同じことの繰り返しではない。それぞれの人にとって、かけがえのない一度きりのこと。一生の中で、最初で最後の人も多いはず。だから、絶対に気が抜けない。
スムーズに進行し、気がつけばあっという間に終わっていた。それくらいがちょうど良い。

式典関連サービスを手掛ける企業で働く吉住学は、主任への昇進と合わせて、あの災害で被災した地域に転勤してきた。復興事業が各地で本格化するにつれ、地鎮祭や安全祈願祭、起工式などの依頼が急増していた。あけすけに言えば特需となっていた。営業に回って仕事を取ってくるというよりも、依頼の方が多く、こなすことで手一杯の状況だった。

海沿いのあの街の復興街づくりも、顧客の一つだった。復興事業を一手に担うコーポレーティッド・ジョイントベンチャー(CJV)が結成され、最初に大規模な起工式が開かれた。記録を見ると、自治体の首長や地元団体の長はもちろんのこと、複数の大臣や知事も名を連ねていた。首相の参加も調整されていたようだが外交行事が重なり、大臣に落ち着いたという。

復興プロジェクトは、中央エリアのかさ上げ工事や道路、橋梁などの土木工事のほか、復興公営住宅や複合施設など建築工事、さらには点在する集落の整備、住宅建築など多岐にわたる。大々的な式典は最初だけだったが、地権者や工事関係者だけが参加する小規模な地鎮祭などは、節目ごとに行われていた。

今回は、丘の上に整備する展望公園の工事の起工式だった。CJVの副所長である本村雅也が責任者だが、今回はイレギュラーで計画課長の内藤巧巳が窓口となって仕切っていた。
元々は対象地ではなかったが、計画の見直しが迫られた中で、急きょ、異なる自治体であるこの場所を組み入れることになったという。内藤は、そのきっかけを作った担当者で、地権者と近しい関係になっていた。

キーパーソンは誰か。
吉住は、この仕事の肝は、そこにあると思っている。

建設関係の式典の場合、右側に発注者が、左側に受注者が並ぶ。発注者の方は、最もメインの最上位者が中央側に座り、その後は、発注者の組織の序列に沿って上の人間から並んでいく。受注者側も同様だ。
行政が絡んでいる場合は、行政のトップを最上位に置く。そうすれば、丸く収まる。

それがセオリーなのだが、人間関係とは難しい。それだけでは駄目なのだ。
家庭を考えれば分かる。
亭主関白に見えていても、実は旦那はだらしなく奥さんが取り仕切っていたり、きらびやかな奥さんがいつも前面に出ているが実際は夫がお膳立てしていたりと、いろいろなケースがある。

そういうことは肩書きには表れてこない。でも、こうした式典は、本当に大事にされるべき人がないがしろにされると、絶対にうまくいかない。本当の意味でのキーパーソンをしっかりと把握して、無礼がないように心を尽くすことが不可欠なのだ。

「内藤さんが、一番大事にしている出席者はどなたですか?」
「それは、もちろんトヨさんです。ご高齢ですから、最終的な決断は息子さんの良介さんに委ねられましたが、トヨさんが移転してもいい、いや、移転したいと思ったことで、今回のことが実現しました。トヨさんが裏切られたと思うようなことは絶対にしたくないんです」
「分かりました」

市川トヨと吉沢トミの姉妹が住んでいた高台の集落を、被災地が一望できる展望公園に再整備する計画だった。公園には宿泊施設やグランピング施設が併設され、観光拠点化すると同時に、大規模な災害が発生した時には緊急避難場所として利用するという。CJVは当初、緊急避難場所となる公園を中央エリアの南側に予定していたが、地権者の合意が得られずに頓挫していた。隘路を切り開いた救世主というのが内藤の受け止めだった。

吉住のターゲットは決まった。

それはトヨではない。妹のトミだ。

もちろん、トヨをないがしろにすることはない。
だが、もっと大切に接するべき相手は、トヨが大事に思う人だ。そうすれば、トヨは、心地よく節目となる式典を過ごしてくれる。そう思ったのだ。

吉住は、現地の確認を終えた後に、仮住まい生活にあるトヨとトミの元を訪れた。二人は、自分たちが何もやらなくて済むことを条件に式典に出ることを了承していた。だから、段取りで伝えておくべきことなどない。迎えに来る時間を伝えておけばそれで済む。

でも、吉住には聞くべきことがあった。
それは、工事を行うあの場所が、二人にとってどういうものか、ということだ。

といっても、難しいことを問いただすわけではない。

どうしてあの場所に住むことになったのか、一番好きだったのはどういう景色か、楽しかった思い出と聞かれて真っ先に浮かぶ場面は何か。
縁側で一緒に座って、何気なく聞くようなペースで、二人に問い掛けただけだ。
そうすると、子どもの頃に起きた大災害で命からがら逃げてきたことから、移転後の初めての正月に食べた雑煮の味、子どもが生まれて赤子と一緒に見た朝日、びっくりするほどの大きさにスイカが実って皆で頬張った真夏の日、だんだんと人が少なくなって二人だけになった夜、そして、再び災害に襲われた故郷を見下ろしたあの日。湧き出るように話が続いた。

記録することが仕事ではないので、一つ一つのエピソードは覚えていない。だが、苦渋の末に住み着いた丘の上が、二人にとって、本当にかけがえのない大切な大切な場所であることは、しっかりと伝わった。
契約とかそういうことではなく、本当の意味で大事な場所を手放す。式典はそういう節目になるのだと。

テントの設営などはいつも通りに問題なく進んだ。出席者があまり多いと、トヨたちが疲れてしまうと考え、CJVの出席者は最低限に絞った。

あの災害からの復興街づくりの一環なため、当日は黙祷を捧げるところから始まった。修祓や降神の儀、献饌の儀、祝詞奏上、切麻散米、玉串奉奠、撤饌の儀、そして昇神の儀と神事は滞りなく進んだ。その後の式典で、トヨの息子の市川良介が地権者を代表してあいさつをして、復興土地区画整理組合の畑中倫太郎とCJV所長の西野忠夫が礼を述べてすべてが終わった。

トヨは終始、笑顔だった。途中に、吉住が時折、目を合わせると会釈してくれた。
そうした姉の姿を、トミが優しい笑顔で見守っていた。支え合って生きてきた二人の人生が思い浮かぶような、そんな一時に思えた。

式典が終わって帰る前に、トヨがトイレに行った。
吉住は、トミの脇にしゃがみ込んで「本日はおめでとうございました。お疲れになったでしょう。帰ったら、ごゆっくりされてください」と声を掛けた。

トミは、「あなたもありがとうね」と言ってくれた。

「トミさんは、お姉様と一緒に生きていくことが大事だって、そんな風に思ったんですね。だから、ご納得なさったんですね」
思わず、口が滑ってしまった。
完全に余計な一言だった。

ずっと感じていたのは、トミの迷いだった。
「これでいいのよ」。そう自分に言い聞かせているような、そんな印象を受けていたのだ。自分よりも、姉の思いを大事にしたい。そうやって生きてきたのではないか。そう思えてならなかったのだ。

でも、そんなことを言う必要はなかった。
取り返しの付かないことをしてしまったかもしれない。
吉住は、うろたえてしまった。

トミはしばらく黙っていた。
すると、トヨがトイレから戻ってきた。
トミは、何事もなかったようにトヨと一緒に送迎の車に向かっていった。

吉住はずっと黙ったままだった。
二人が車に乗り込む姿を、CJV職員らが見守っていた。

車の窓が開いて、トミが顔を出して吉住の方を向いた。

「吉住さん。ちょっとこっちに来て」と呼ばれた。
近づくと耳元で、こう言われた。
「気遣っていただいて、本当に嬉しかったわ。姉さんには内緒よ」

いたずら好きな思春期の女の子のような、茶目っ気たっぷりの視線に、ちょっとドキドキした。

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