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#1 ハリボテ

「あなたの親友を思い浮かべてください。彼はあなたのことをどんな人だと紹介しますか?」

サマーインターンの選考面接の際、人事の社員が僕に聞いてきた。

「彼は僕のことを、活発で常に明るく周囲の人を楽しませる人と紹介すると思います。」

これは就活用に作った答えではない。おそらく親友に聞いたら、これと似たようなことを答えると思う。中学・高校・大学と、自分で言うのもなんだが、周りから見たら「絵にかいたような優等生」であったと思う。

しかし実際はそんなことはない。これは「他人用」の自分なのだ。

親友にでさえ、僕は「他人用」の自分で接している。いや家族にも、もしかしたら「他人用」の自分で接しているかもしれない。

他人が期待している言動をする。他人が期待している結果を出す。他人が期待している「自分」を演じる。

僕の人生は「僕自身」を軸に動いているのではない。常に「他人」を軸に動いているのだ。


なぜ?なぜ自分を出せない。


怖いのだ。


本当の自分を出したら周りから誰もいなくなってしまうのではないか。そんな不安が重りのように、ずっと背中にのしかかってくる。人から認められたい、周りから心配されたくない、頼りになる人と思われたい、そんな欲求が「他人用」の自分作成に更に拍車をかける。


では本当の「僕」はどんな人間なんだろうか。

そもそも僕は大きな爆弾を抱えている。


僕は同性愛者だ。


しかしこれを知っているのは、家族・友人を含め、この世界で誰もいない。この性質は「他人用」の僕からは遠くかけ離れているからだ。もしこんなことがバレたら、今まで演じてきた「僕」という存在がすべて無駄になってしまう。

「他人用」の自分を作るために、微塵も興奮しないアダルト動画を見て、好きでもない人とお付き合いして、共感なんて全くできない恋バナや猥談にだって参加してきた。


本当の「僕」を知っている人なんて、誰もいない。

みんな「作られた僕」しか見えていない。そう、それはまさにハリボテと同じ。

本当の僕は惨めで、卑しくて、汚くて、ちっぽけで、醜い人間だ。それを綺麗に整えたハリボテで隠している。本当の僕は作られたハリボテの中で、いつバレやしないかビクビクしている。


本当の僕がハリボテを壊す日は来るのだろうか。

きっと来ない。僕はこのハリボテとこれから先も生きていき、そして死んでいくんだ。

あるとしたら、僕が壊すんじゃない、誰かが壊す。僕じゃない誰かが。

いつか来るその日を僕はハリボテの中で体育座りしながら待っていようと思う。


#エッセイ #ハリボテ #同性愛 #LGBT













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