地下へ続く怪しげな階段、その先にあった”聖地”/ゲームセンターの思い出
ある日、いつものゲーセンに行くと、女子高生の行列ができていた。
ゲーセンなんて女の子が来るような場所じゃない、そんな時代だったので何事だと思って、その行列の先を見てみると、なにやら見慣れない”モノ”があった。
それは『プリント倶楽部』というもので、若い女性の間で爆発的に流行しているそうだ。
思えばこの頃から徐々に、ゲーセンは変わっていった。
Wikiによると、プリント倶楽部が出たのは1995年7月らしい。そのプリクラ(類似品も含む)がなんと今でもあるっていうのは驚き。ここまでの文化になるとは、そのときは思いもしなかった。
なんで急にこんな古いことを思い出したかって言うと、以下の雑誌を読んだから。これに有名なゲーセン”聖地”ミカドの記事があったので読んでみたのだ。Prime会員なら無料で読めるので是非。
ファミコンの大ヒットを皮切りに家庭用ゲーム機が次々に登場。一家に一台あるのが普通という時代になっていき、性能も年々上がっていった。
素晴らしいことだが、それによりゲーセンは無くなっていくのだろう、とは私でなくとも予想できたと思う。
実際、私が昔行っていたゲーセンは全て無くなってしまった。ただ、新しくできたものもあるので絶滅したってわけではない。
先のミカドの記事の中に、地元の”聖地”だった『ゲームスポットアテナ 町田店』の名前があって、懐かしくなったので行ってみた。
場所がハッキリと思い出せなかったのだが、確か繁華街とは反対側、お店と住宅が半々に混じり合っているような場所。しかも地下にあるときて、本当にここがあの有名な店なのか?と疑うような場所にあったはず。
当時の思い出を頼りに歩き回っていると、それらしいところを見つけた。たしか、ここだったはず。
今ではヘアーサロンになっているようだ。
最初にここに足を踏み入れたときは、怖いお兄さんに絡まれたらどうしよう、とドキドキしたものだ。
今、残っているゲーセンも昔とは様変わりしている。
アクション、シューティング、対戦格闘など昔はメインだったジャンルはどんどん減り、隅へ追いやられていった。代わりに増えたのはプリクラ、音ゲー、メダルゲー、UFOキャッチャー。
要するに、ゲーセンでなければできないゲーム、がメインとなっていったわけだ。
ただ、目の前にいる見知らぬ人と対戦できる、というのはゲーセンでしか体験できないものなので、対戦格闘ゲームもしばらくは消えることは無いと思う。
後ろにギャラリーがいるなかで連勝を重ねる気持ちよさとかも良いよね。
てことで、ミカドのツイッター見てみたら、毎日のように何かしらのイベントやってるじゃない。
そりゃ生き残るわけだわ。
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