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耕不尽~はたらくということ~:塗装屋

 高校生の頃に塗装屋でアルバイトをしていました。家業の店のお客さんが家族で営む小さな塗装屋でした。サッシのようなものを塗装したり、塗装前のマスキングをしました。時には外に出向き船のドックの扉の表面を滑らかにするバフ掛けもしました。それは炎天下で鏡の上にいるようなものでボタボタ汗を流しながらのキツイ作業でした。

 普段作業する現場は路地裏にあって倉庫かガレージのような建物の一区画でした。路地は舗装されておらず、現場の間口もシャッター1枚に扉一枚と狭かったです。うなぎの寝床のように奥に長く、吹き付け場や洗浄槽のようなものもありました。薄暗く、埃っぽく、薬剤臭い作業場でした。光化学スモッグで有名な街だったので、廃液も垂れ流しだったのでしょう。

 現場には中二階があり、畳2枚を縦に並べたくらいの細長い空間がありました。天井が低く中腰にならなければならず秘密基地のようでした。それでもテレビ、冷蔵庫、電熱コンロ、涼しかったのでクーラーらしきものもあったと思います。今でいうDIYでしょう。昼には弁当を食べたり家族は雑魚寝で昼寝をしていました。典型的な昭和の三ちゃん(とうちゃん、かあちゃん、兄ちゃん)極小町工場でした。

 印象的な会話があります。ある日、大将と仕事仲間との会話で「表はやっぱり看板屋に書いてもらっとかなあかんな」と聞こえてきました。文脈は忘れましたが、表の扉にある屋号のことでした。扉には明らかにプロの仕事とわかる『○○塗装』と書かれており、誰も来ないような路地裏の作業場には不釣り合いな感じでした。当時は「こんなところには見栄張るんだなぁ」と思っていました。

 昨年、私は自宅で個人事業を始めました。屋号も作ったので自宅のポストに手書きしようと思いましたが当時の会話を思い出しホームセンターで表札を依頼し作ってみることにしました。小さいながらもできあがった表札をポストに貼る時、何か誇らしく「さぁやるぞ」という覚悟が湧いてきました。「あぁ、あれは見栄ではなく決意なんだなぁ」と30年以上経ってようやく会話の真理がわかった気がしました。

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