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感想が違っても誰も悪くない

何かに対して、他人と違う感想を持っても
それぞれの感想に責任を持っているから
合わせなくていいし変えなくていい。
感想やセンスなどは、その人の内側の根底にある持ち物だから
変えたいと思ったら変えればいいけど、
わざわざ、外側の何かに合わせていく必要はない。

最近は、わたしの周辺には
そういう人が多くなった。と、思う。
感想や意見が違っても、むしろそれを理解できなくても、
でも隣にいられる人。

みんな違うし。
その違いを話したり、掘ったり、伝えあったり、討論したり。

私の生活の大半は
絵を描き続け、発表していくこととなりますが、それをしていると
絵が上手いとか下手とか、どうやって描くとかよりも
自分の感性や感想に責任を持って生きること、とか
自分の行動や言動の根源を観せていくこととか
そういうことにぶつかることが多い。しかも、細部まで。

「臭い物に蓋をする」という言葉がありますが。
アーティストだけに限らないと思いますが
「臭いものを見つけたら蓋を開けて違いを見つけて話す」
その、ジャッジをするために蓋をあけるのんではなく
違いについて語ってお互いを知る…ていうことが大事になってきます。

わざわざ言わなくてもいいんだけど
でも、無理に、感想やセンスや、自分の中に沸いた反応を
外側に合わせる必要はなくて、自分のものを持ち運びましょう。
(でも、何かを否定する場合は言い方は気をつける)

わたしは、アーティストとして生きることについて
インタビューで聞かれること多いですが、そんな時にこれを伝えたい。
大事なことは
大学を出るとか、挑戦するとか、何かを始めるとか
そういうことではなく
普段の生活の中で、自分風の感想を、
細部まで曲げないことを続けることですよ、って。

エネルギーや労力を、
自分の根底を見ることに使うのは、
(最初は難しいかもしれないけど)
とても大事なことだと思います。
他人に合わせて目立たないようにする生き方は
きっと、だんだん、もう古くなっていきます!(なぜか断言)

今まで、認められなくて何かに合わせることにパワー使って、この世が生き難かったクリエイターさんたちが、これからは、自分風を磨き、どんどんイキイキとデビューしてくる時代になると思います。

TOmoko Kouda 2019 NYC
画家/全身芸術家 ExecutiveArtist




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