[詩]なにもしらない
早朝の三春大神宮には、雨が降っていた。
雨に濡れた落葉に足をとられないよう、慎重に紅に染まった石段を上がっていく。朝まだき(というには、日は上がっていたけれど)、吐く息が白い。はおったダウンに小雨がかかり、スマホを持つ指先の感覚が鈍い。早朝のウォーキングと参拝が辛い季節がやってくる。
2柱の女神に祈りを捧げ、オシンメイ様にご挨拶して、目を閉じる。
しばし瞑想。
ふと頬に暖かい光を感じて、目を開ける。
すっかり落葉し、枝だけになった木立の向こうに金色の光。
期待を込めて、振り返る。
雨が小降りになり、日が差したということは…? 北西の方角には青空と流れていく白い雲。だけど、七色の光は見えず。
なぜだろう?
小雨が降って、太陽の日差しが差してるのに
なぜ虹が出ないのだろう?
わたしはしらない
雨に濡れた草むらを踏み締め、朝日に向かう
朝露が降りて、草木がキラキラと輝く
なぜ、朝日はわたしたちにパワーを与えてくれるのだろう?
わたしはしらない
赤い絨毯のようにモミジが散り敷く石段を降りる
なぜ同じ場所なのに、あのイチョウの木は落葉して
あのイチョウの木は金色に輝いているのだろう?
わたしはしらない
なぜ紅葉は美しいのか
なぜ落葉した枝に心惹かれるのか
わたしはしらない
見上げたイチョウの木から、木の葉がはらり
落葉かと思いきや、重力に反して舞い上がり
仲間とさえずりをかわす
わたしはしらない。あの鳥の名を
雨上がりの空を滑空していく鳥
翼を閉じたり、開いたりしながら飛んでいく
バタフライ泳法のように優雅に
わたしはしらない。あの鳥の名前を
わたしはしらない
なぜ、自然はどの季節も美しいのか
なぜ、世界は美しいのか(どんなことが起こっても)
わたしはしらない。なにもしらない
だから、わたしは学ぶのだ
雨上がりの三春大神宮で、名も知らぬ鳥たちを見て、鳥の名前を知りたくなり、ふと「わたしは何もしらないなあ」と思い、「あ」と気付きました。
これから学べばいいだけ!
そして、久しぶりに「詩のような言葉の切れ端」が浮かんできました。
この「詩のようなもの」は、それらをかき集めて、なんとか形にしてみたものです。
郡山市に住んでいたときは、ときどき「詩のようなもの」を綴っていたのですが、三春に引っ越してからは、なぜか言葉が出なくなってしまい……久しぶりにまとめることができました。
また、言葉が浮かんでくることを願いつつ…。
これまで書いた「詩のようなもの」マガジンです↓
感想などいただけると望外の喜びですm(_ _)m