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意外とナンノがツボだったお話

2023年8月24日に高熱が出てから、その翌日に初めてコロナ陽性が発覚し、しばらく療養生活を送っていました。その間の出来事を、ただただ怒りに任せて書いたnoteの文章もあったりしますが、それを公開するかどうかは別として、療養中にふと、なぜか繰り返し聴いた南野陽子について、いろんな感想の言葉が浮かんだので、それをまとめてみたいと思いました。


当時はほとんど興味がなかったのに…

南野陽子がアイドルとして活躍していたとき、小学校の高学年から、中学生になるあたりで、おニャン子クラブの活動期間とも重なっていたためか、彼女が2代目のスケバン刑事だったり、代表曲の数曲は知っていたくらいで、特に思い入れはありませんでした。ただ、「代表曲の数曲は知っていた」のは、やはり当時がテレビが中心の文化だったことで、特に興味がなくても、そこそこは何かの媒体で見ていたりして、いい曲やヒットした曲ならTV歌唱サイズでの尺くらいなら、全然覚えようとしなくても記憶に残るくらいの影響力が、テレビ番組にはあったのです。

ナンノの曲の中で、特にしっかり「知っていた」曲として浮かんだのは、まず一番の知名度と一番の売り上げを誇る「吐息でネット。」、そして、映画での袴姿が印象的な「はいからさんが通る」、僕が好きな作曲家である来生たかお作品である「楽園のDoor」、そして僕が絶対書かないタイプの楽曲であろう「話しかけたかった」の4曲は少なくとも1コーラス以上テレビ歌唱されていた部分で記憶は残っていました。
特に来生たかお作品である「楽園のDoor」に関しては、数年前に僕の中で来生たかおマイブームが起きたときに、結構聴いたため、自分でも歌ってみたいと思うくらい好きな曲です。

あと、数曲、曲の一部はなんか記憶していたり、と言った感じでしたが、「秋からも、そばにいて」に関しては、「ザ・ベストテン」の出演時に歌詞が飛んでしまい、号泣した場面があったことを覚えていて、その記憶が印象に残っていました。

僕はベスト盤が嫌いなのですが、こういったアーティストを手っ取り早く後追いしたい場合は、ベスト盤がすごく便利なことはわかっているので、さすがにそこでは、なるべく最新のマスタリングが施された状態のベスト盤をApple Music等のストリーミングサービスで探して、その恩恵を受けます。

そこで2016年に配信限定で発表された「NANNO Singles Collection 1985~1991 +1」をコロナ療養中の時間つぶしに聴いていくことになる訳ですが、ただの時間潰しのつもりが、後追いだからこそ、年齢を重ねて聴いたからこそ、いろんなことに気が付くことになります。

あるおニャン子出身歌手とカブるイメージ

南野陽子は、自身が主演したスケバン刑事Ⅱにタイアップ起用された「楽園のDoor」以降、8曲連続でオリコンチャートで1位を獲得し続けている事実を、このベスト盤を聴きながらWikipedia等のネット情報で知ることになるのですが、僕が「きちんと知っていた」4曲も、その8曲連続1位を獲得したうちの4曲でした。

ただ1位になった曲でも、残りの4曲は「秋からも、そばにいて」は、前述したベストテンでのアクシデントで一部が記憶にあったくらいで、残りの曲は、残念ながら記憶にありませんでした。

せっかくなので、デビュー曲である「恥ずかしすぎて」からリリース順に聴いていってみることになるのですが、これがサウンドが本気なイタロディスコなのにびっくりで、ミックスを現代のクラブでも流せるようなサウンド作りでしっかりやり直せば、現在の曲としても通用するくらいだと思いました。「さよならのめまい」も僕が聴いて嬉しくなるような80年代のヨーロッパで流行ったシンセポップサウンドで、現在のポップシーンでも同じようなシンセの音使いをした曲がリリースされていたりするし、まるでボニー・タイラーの80年代のヒット曲を意識したかのような「悲しみモニュメント」までの流れは、シンセサウンドが好きな人には、なかなかおススメな曲ではないかな?という発見がありました。

そして、「楽園のDoor」からのNo.1ヒットへの流れになると、洋楽色よりも、メロディを重視した「ノスタルジック」な曲調が多くなってくる訳ですが、聴き進めていくうちに、僕はある女性歌手のことを思い出し、イメージがカブってしまいます。カッコ悪い(と個人的に勝手に思っているだけです。)ので、正直、ほとんど人に話したことがありませんでしたが、僕はこの歌手のファンでした。

その歌手とは、元おニャン子クラブ、会員番号16番。今は秋元康夫人となった高井麻巳子です。

なんとなく聴いていると、「話しかけたかった」は、高井麻巳子のラストシングルとなった「木漏れ日のシーズン」に雰囲気というか、コード展開やメロディの一部もなぞっているように聞こえるし、(「話しかけたかった」の方がリリースは1年くらい前ですけど)、「秋のIndication」なんかは、高井麻巳子のB面曲的な雰囲気の曲だし、高井麻巳子が歌っても違和感がない曲だな…と思ってしまいました。ただ時系列的に南野陽子の方が先だったりもするので、高井麻巳子がナンノのイメージを追いかけたように感じられなくもないかな、と思ったりもしました。

実際、「秋のIndicaiton」に関しては、よくよく聴くと音楽的にもすごく面白い曲で、Wikipediaには南野陽子本人が、当時、彼女の曲のほとんどを編曲していた萩田光雄に制作依頼として「一曲の中にメジャーとマイナー両方が入った曲を作って欲しい」という要望を伝えたらしく、まずマイナーのメロディから入り、そのメロディをそのままメジャースケールにしたものがBメロになる、という面白い作りになっています。
この曲については、先に2010年にリメイクされたバージョンを聴いていたのですが、僕個人的には、後でリメイクされたバージョンの方がメロディの良さがシンプルに伝わり、前述したマイナースケールのメロディとメジャースケールの対比が気持ちよく聴く人に伝わるアレンジになっていて好きです。
ちなみに、「秋のIndicaition」はアルバム「GARLAND」の中では、「カナリア」というタイトルで別の歌詞、別のアレンジで収録されています。

こうして何度も聴いていくうちに、この「秋のIndication」はナンノの曲の中では、僕の中で「楽園のDoor」を上回る好印象を得た曲になりました。ナンノの曲の中で2番目に好きな曲と言えます。

しかし、ベストアルバムを聴き続けていくうちに、そのインパクトをはるかに上回る衝撃的な曲に出会うことになります。

やっぱりメーター振り切ったパフォーマンスが好き

さすがに、「秋からも、そばにいて」以降の曲は、飛鳥涼が曲の提供をした「フィルムの向こう側」がオリコン1位を獲得していますが、正直、全く記憶にありませんでした。
しかし、「涙はどこへいったの」なんかは、初見でもサビの部分をハモりたくなるような佳曲だと思うし、全く個人的に着目していなかった「歌唱力」の部分に関して、着実に伸びを感じるようになっていたりするのですが、その辺りから、ちょっと曲調なんかを含めて「現状を打破したいのはわかるけど、やりたいことがイマイチ見えてこない」という、所謂「迷走」した状態に走ってしまったのかな?という想像ができます。

その背景として、Wikipediaの情報では1989年に事務所を独立して、歌手活動では、あのビーイングと業務提携をしているのですね。

「KISSしてロンリネス」という曲では、ビーイング系でおなじみのクレジットが堂々と顔を出し、珍しくハウスっぽいアプローチを取り入れた曲になっていますが、やはり浮かぶのが大黒摩季だったり、飯島直子と網浜直子のユニットだった「W-NAO」の顔だったりして、ナンノのイメージではないかな…と思ったのが正直なところだったりしました。
ああいう曲を聴くと、本当にオーケストラヒットの使い方といい、シンセの使い方といい、今聴くと、聴いている方が恥ずかしくなるような音使いを堂々としているのが、ビーイングの音作りの特徴の1つなのですが、それに負けない「クサさ(「臭い芝居」で使う意味の「クサい」です)」を持っているアーティストでないと、そのサウンドに立ち向かい、アレンジにハマるのは無理ではないか、と感じています。それは去年一昨年にDEENのファンになってから気づいた部分なのですが、それを考えると、ZARDやDEENと言ったアーティストは、ホントにいい意味でビーイングのイメージにピッタリハマったアーティストだったように思います。

しかし、そんな迷走真っ只中のナンノの曲の中で、コロナの体調不良で寝込んでいた僕を正気に立ち返らせたくらい衝撃的な曲に出会いました。この曲だけはYoutubeのリンクを張ります。別にPVもあって、画像があまり良くないですが、なかなか体を張って頑張っているPVなので、探して見てみてください。

1990年にリリースされた「へんなの!!」という曲です。
この曲だけは、「あれ?僕、今までナンノのベストアルバム聴いてなかったっけ?プレイリストが飛んだ?」と慌ててスマホを確認したくらい衝撃的な曲で、今の今まで、ナンノにこんな持ち曲があることを知りませんでした。

ナンノは1992年に歌手活動を休止し、女優の活動に専念していく訳ですが、元々、ドラマの出演など、演技面の仕事も並行してきただけに、「ああ、この人、女優さんなんだよね。」と納得させらせる成り切り具合、壊れ具合、いやメーターの振り切れ具合がメチャクチャに聴いていて気持ちよくて、もし、僕が当時、この曲に出会っていたら、絶対ナンノのファンになったであることは間違いないと思わせる1曲です。リズムやピッチといった「楽譜で表される部分」を超えたナンノの「表現力」を存分に楽しめ、ナンノのボーカリストとして、女優さんとしての底力を感じた曲でした。

そして、この曲のボーカルについては、あくまでも僕の推測ですが、かなり本人の中でも試行錯誤があったことが想像できる部分があって、発表されているバージョンが確認している限り3つあります。まずシングルのバージョン、そして「Gather」というアルバムに収録されている「Gather Version」、そして「NANNO Singles Ⅱ」以降のベスト盤に収録されているバージョンで、それぞれボーカルが違います。
個人的には、発表される時系列を下るごとに、だんだんボーカルのテイクが良くなって、ベスト盤に収録されたところで、最終的に完成したような感じすら見えます。その辺はネットの情報にも大きく頼った部分もありましたが、そう言った過程をも追体験させてくれた面白い曲でもあります。

以前、自分の新曲「No, I Don't Want」の話で書いたようなイメージチェンジの部分も大きく重なり、本当に、この「へんなの!!」にはノックアウトされました。ただ、こういう異色のイメージチェンジが当たったとしても、コミック的だったり、イロモノ的な受け取り方をされると、飽きられるのも早いところが難点だったりするところです。

「大人のサウンド」でリメイクはもういい

先ほど「秋のIndication」の項目で書いたように、同時にナンノが2010年、2011年に自身の曲をリメイクした盤、「ReFined-Songs Collection〜NANNO 25th Anniversary -」も並行して聴いていました。
 ベスト盤同様に、僕は「この手」のリメイクアルバムも正直、あまり好きな方ではないのですが、その理由として、まず「契約上の都合」といった「大人の事情」が透けて見えてしまっていることにあります。そして無理矢理、今のファンに向けて、今のサウンドで落とし込んだような、とても当時のアレンジのクオリティには及ばない劣化したアレンジを聴かされる、と言ったパターンがほとんど。あるいは、ファンが高齢化、あるいは自身の高齢化に考慮したのか、「大人のサウンド」と称した演奏者の技巧ばかりを聴かせるような「自称」洗練されたアコースティックサウンドでアレンジされた当時のヒット曲を聴かされるのは、もっと嫌なパターンです。
その点、斉藤由貴の「水響曲」なんかは、後者の「大人のサウンド系」アルバムの1つでありながら、本人のボーカルのイメージとほどよくマッチングした良いアルバムだったように思えますが、このナンノの25周年アルバムでのリメイクは、前述したように彼女の曲のアレンジの大部分を務めた萩田光雄により全曲アレンジされているところで、当時の感覚を損なうことなく、うまくリメイクされているように感じたし、何よりも当時を崩さないどころか、細かな表現の部分では、むしろリメイクの方が洗練されている部分があったりしたのも良かった部分だし、10代の頃の声では不足していた表現力を、あくまで当時の歌い方や譜割りを変えることなく、バージョンアップさせたという意味では、すごく好感が持てました。

よく「懐かしの歌」を歌う歌番組とかで見るパフォーマンスで、出てきた往年の大御所ベテラン歌手が、自分の持ち曲を歌うのに慣れ過ぎたのか、全盛期ほど出なくなった声をごまかしたいのか、曲の譜割を勝手にバリエーションを加えて歌うことがあります。
中にはセルフカバーで、それをやっちゃう人もいます。
カイリー・ミノーグのオーケストラサウンドによるセルフカバーアルバムである「The Abbey Road Sessions」なんかが、そのいい例というか、悪い見本だったりしますが、正直、本人の「解釈」の部分も含めて、「やり過ぎ感」が強すぎて、作品として馴染めなかったセルフカバー集でした。
しかし、その「The Abbey Road Sessions」自体そのものが、音楽的に悪いアルバムと言っている訳ではなく、むしろ「カイリーが自身のヒット曲をセルフカバーした」という看板を外した見方ができれば、このアルバムは良作だし、しっかり作られているアルバムであることは誤解のないように書いておきます。むしろ、カイリーに対して、全くイメージや先入観を抱くことができないくらいカイリー・ミノーグのことをよく知らない人に聴いて欲しいと思います。

その「やり過ぎ感」というか、歌い手やアレンジャーのエゴイスティックな部分が全くなかったのも、このナンノの25周年リメイクのいいところなのかな、と感じました。

今回、コロナ療養中に、たまたま、X(旧Twitter)で見たポスト中に、南野陽子の知らない曲(女優専念前のラストシングルとなる「夏のおバカさん」)のspotifyのリンクが貼ってあったのをきっかけに、少し深く南野陽子の作品に触れてみたのですが、なかなかいい音楽体験ができたように思います。
かつて、リアルタイムで触れたつもりになっていた音楽やアーティストも、今になって後追いしてみると、意外な発見が多くありそうです。

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