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5月某日 私的小説との向き合い方②

 最近なんだか調子がいい。耳鳴りも起きないし、頭痛の頻度も少なくなってきた。小説も、集中して入り込めるから読むのが楽しい。情報の取捨選択がきちんとできていることによって、ストレスが減っているみたいだ。いつもより動けて嬉しいのをぐっとこらえて、セーブして生活していく時期だろう。

 さて、本題の小説との付き合い方。今回は中、高校生の頃の話だ。
 中学生の頃は、入りたかった文芸部がなかった。だから、演劇部に入った。脚本を書けるかも、という浅い考えが当時の私にはあった。実際、2年生の時に書いたものの、舞台でできるような作品ではなかった。ちょっと不思議な話ばかり書いていた私にはまだ早かったのだろう。顧問の先生がいくつもの稿を重ねながら、役者に合わせて脚本を組み替えるのを見たり、高校演劇の脚本集を読んだりするのは、結構楽しかった。結局は大道具や照明といった裏方業が楽しくて、部活の思い出ばかり記憶に残っている。
 小説はと言えば、授業中に書いたりしていたものの、そこまでのめり込んではいなかった。本を読むのも小説を書くのも現実逃避の1つで、情熱があったわけではなかったからだ。学年全員から嫌われていると思っていたし、できる人に合わせた授業にはついていけなかったし、よく卒業できたなあ、と思うくらいハチャメチャな中学生活だった。断片的には楽しい記憶があるのだが、全体的には裏切りと反抗の日々だったような気がする。
 そうは言っても、この時期に出会った友人もいる。小説家になりたい、と本気で思っている人で、本の貸し借りや映画を見に行ったりした。学校が変わっても、進学しても、現在に至るまで繋がりが途切れなかった。貴重な友人の1人だ。

 やっとの思いで中学を卒業し、高校生になった私は、やはりクラスで浮いていた。演劇部に入ってきた新しい友人もいたのだが、「クラスに馴染めていないようです」と面談で言われ、母と2人で「余計なお世話じゃい」と文句を言っていた記憶がある。学業の面でも大きく遅れ、物理は本当にちんぷんかんぷんだった。この、どんどん行くぞスタイルのおかげで、私は数字が苦手になったのだと思っている。
 夏が過ぎ、いよいよ本気で馴染めそうにないと思った私は、通信制高校への転校を考え始めた。学費の安くて信用できそうなところを自分で調べ、家族に話し、了解を取り付けた。学校からは留まるようにと説得から入り、転校の意志が強いとわかると通信制高校の提案をしてきた。もう転校先は決めているというのに! この頃の経験が学校不信を引き起こした原因だと思っている。まだ、フリースクールや通信制高校が知られていない時代だった。
 そんな経緯で私は通信制高校に進学した。面接はNHKの局内の会議室で行われた。そう、あまり知られていないのだが、NHKが設立した通信制高校があるのだ。比較的日本の全域をカバーしており、大学進学時には指定校推薦枠もあったりするのでこっそりおすすめしておく。年に1回合宿スクーリングを受けるのは必須だが、場所によっては月1回の通学スクーリングにもできたりする。東京だと週3日登校というほぼ全日制のような形態もあるようだ。
 そんなこんなで小説とは無縁の生活を送っていたが、友人はできた。彼女とは上京時、ルームシェアをしていた。おかげで家探しの行程が省けてとても感謝している。
 ようやく小説を書き始めたのは、高校も半ばになってからのことだった。アニメに再燃し、二次創作を書くようになったのだ。きっかけはとある二次創作サイトだった。作風がとても好きで、その人の本を買い集め、今活動していないとわかって落胆した。その人の作品が読みたかったのだ。だから、その人の作風を意識して書き始めた。読みたいものを書いていたから、楽しかった。かなりの勢いで書いていたように思う。
 読む本も選ぶようになり、量から質を求める読書に変わった。いわゆる古典文学に手を出し始めたのがこの頃で、『罪と罰』『荒地』『黒後家蜘蛛の会』ジーヴスシリーズ『たった一つの冴えたやり方』などを読んだ記憶がある。
 読んだり書いたりバイトしたり、自由に生きた時期だった。なんだかんだ大学に潜り込み、引っ越しして一人の時間を謳歌することになる。

 次回、大学から現在までの話になる。小説との向き合い方、と題したが、ほぼ人生の振り返りのようになってしまった。改めての自己紹介として、読んでいただけたら幸いである。

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