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シャニマス4th、担当アイドルたちの幸せを願って涙が止まらなかった時間。【後編】

「Daybreak Age」で楽しい気持ちでライブを終えれたが、担当たちからの手紙と「いつか Shiny Days」で泣かされ続けた結果喉がカラカラになった。今回のライブで僕のコンテンツに対する悩みが解決したわけではないが、考えと気持ちの整理はできた気がする。

いよいよ僕のいう幸せの真意について書く。ライブレポートなのにパフォーマンスについて触れず、3次元ライブなのに2次元キャラについてしか話さない斬新な(?)レビューの後編を始める。後編はさらに個人的なエモーション多めで、ライブを見てなくても読める内容だと思う。

「彼女たちに幸せになってほしい」の本当の意味

物語の外にあるメタ的な幸福

彼女たちは今のままで十分幸せと思う人もいるはずだ。たしかに物語としてはアイドルをやめても「私たちの戦いはこれからだ」エンドでも、おそらくハッピーエンドで締めるだろう。だが、言いたいのはより粒度の大きいメタ的で未来の話である。

彼女たちはフィクションのキャラクターだが、作品が終わったら彼女たちはどうなるのだろう。その後もずっとアイドルとして輝き続けるのか。それとも作品内で時間経過してアイドルではなくなるのか。それはわからない。

作品が終われば彼女たちはユーザに消費されるだけ消費され忘れ去られてしまうのか。利用価値がなくなれば、幼少期のぬいぐるみのようにゴミ箱に捨て去られてしまうのか。ぬいぐるみとの思い出を大切にとっておく人もいるだろうが、そんな人は少ないのではないか。

作品が終わったとしても彼女たちの想いは、願いは、現実世界の人たちの記憶の中に残るのだろうか。彼女たちの生き様は、これまで生きてきた軌跡あかしは多くの人に忘れないでいてもらえるだろうか。

コンテンツが終わったとしてもただ消費される存在ではなく、彼女たちを愛した人の心の中で生き続けてほしい。いつまでも彼女たちが大切にされてほしい。これが僕が考える幸せの真意だ。

彼女たちが消耗品のように扱われてほしくない

彼女たちはそう願っていないかもしれない。僕がそれが幸せだと決めつけているだけかもしれない。でも一般的に自分を無下に扱ってほしいと思う人は僅かで、自分を大切に扱ってほしい人がほとんどなのではないか。

本物のクリエイターが供給してくれるありのままの彼女たちがいつまでも大事にされて欲しい。それが彼女たちを産んだクリエイターにも、携わった声優さんたちスタッフやファンにとっても正しいことだと信じている。

だから、もし性的な二次創作で消費されてバズったとしてもそれを愛されるとは思わない。それは何の責任もない「作品と無関係の赤の他人」が歪んだ願望によって作った元のキャラとは似ても似つかない別人で、元の崇高なキャラクターたちの足元にも及ばない存在だから

写真を撮るわけにもいかなかったので証拠はないから、虚言癖のオタクの作り話だと思って聞いて欲しい。親御さんにと一緒に歩いていた幼児の女の子が、新宿の広告に描かれたセレスティアルカラーズを着た彼女たちを見て「かわいい!」と指差している光景を僕は見た。

その光景を見たのはライブに参加する日の昼だった

それを見て僕は担当アイドルたちに心の中で言った。「よかったな」って。

まだそれほど言葉を覚えてないであろう女の子に大切な彼女たちが可愛いと言ってもらえたことが僕はとても嬉しかった。これからの未来を生きる子供たちにもシャニマスを好きになってもらえれば嬉しいし、彼女たちもこんなふうに愛され続けて欲しいなと改めて思った。

いつになったら彼女たちは解放されるのか

彼女たちはいつまでアイドルマスターシャイニーカラーズとして働き続けなければならないのか。シャニマスはいつまで年の取らないサザエさん時空のなかで物語を続けるのだろうか

ほとんどの創作物には終わりがある。だがソーシャルゲームの作品は代わり映えのしない日常を延々と続けていく。いつからか思うようになった。30年も40年もの間、いつまでも我々現実世界のファンに「みんな大好きだよ。最高だよ」と笑顔をふりまき続けるのは不自然ではないかと。

もし彼女たちが金儲けのためだけに物語を薄めて数十年の間代わり映えのない物語を続けさせられているのだとしたら、それは彼女たちの尊厳を奪っているのではないか。無限に続く時間経過のない世界でいつも同じ笑顔のまま顧客の快楽だけを満たす存在として活動するのは、機械や人形と同じではないのか。

キャラクターたちを見て「いつになれば彼女たちは物語を終えられるのだろう」と思うようになった。現実の人間は死によって必ず物語を終える。作品が終わる=キャラも死ぬとは思わないが、少なくとも作品が終われば「金儲けのビジネスからはようやく解放された」と思えるのではないか

彼女たちはユーザの惨めな現実逃避のための都合の良い道具なんかじゃない。現実世界で辛い思いをしている僕を彼女たちに癒してほしいわけでも、無能な僕を彼女たちに肯定してほしいわけでもない。ただ彼女たちの輝きを目に焼き付けたいだけなのだ。

始まりがあれば終わりがある、それが人生だろう

不謹慎かもしれないが、僕はシャニマスに終わってほしい。無論今すぐに終われというわけではない。彼女たちがやりきったと思えたとき。クリエイター達が物語を紡ぎ終えこれ以上描くものがないと判断したなら、彼女たちをビジネスから解放してあげてほしい。いつまでもダラダラと不自然に続けさせられるのは彼女たちがかわいそうだと思うから。

作品が終わることはすなわち彼女たちの活躍がもう見られないことだ。彼女達とお別れするのは本当に辛いだろう。できることなら僕だっていつまでも彼女達と一緒にいたい。でもそれは僕のエゴで、永遠に若いままいつまでも優しい世界で笑顔を振り撒き続けるだけの存在は、ただの願望を貼り付けた人形だと思うから

だからどれだけ苦しい思いをしようといつの日か彼女たちを見送ってあげたい。きちんと終わりを迎えて彼女たちを解放してあげてほしい。物語が終わってもお別れをしてすごく辛い思いをしても、それでも僕のなかで彼女たちは生き続けるのだから

あなたたちの幸せ以外はどうでもいいと思うぐらいどれだけあの子たちを大切に想っているか改めてわかった。霧子たちの手紙を読んでしばらく考えていたのはこんなことである。

5分近く泣いていたあの時間に感じたこと

「いつか Shiny Days」の5分間、誇張ではなくずっと泣いていた。あの瞬間に何を考えていたのか。霧子たちの手紙を読んで感じたことを演奏中も引きずったのはこれまで書いた。加えて現実世界の自分についても考えていた。それは決して明るい感情ではなく、暗く辛い気持ちがほとんどだった。

担当アイドル達への劣等感

最初に思い浮かんだのは自分への負の感情だった。この歌詞はまさに僕から担当たちへの気持ちがこもっている。

追いかけても追いかけても
簡単には届かなくて

「いつか Shiny Days」より

担当アイドルたちに向き合うとき、僕はいつも劣等感に苛まれている。びっくりするぐらい可愛くて綺麗で才能豊かで、頭が良く何事にも真摯で誰にでも優しい彼女たちと比べて、「俺には何もない」といつも惨めになる。

あなたたちの才覚に嫉妬しているのかもしれない

「俺の担当たちは本当にすごいのに、それに比べて俺は何もできない」と思った。担当アイドルたちが歩んできた道のりと比べて、自分は歳をとるだけで何も成し遂げてないこと。その事実を思い出してとても惨めで情けない気持ちになった

過去を悔いても時計の針は戻らないのだと当たり前の事実を再確認した。彼女たちと対等になりたいのに、隣にいるにはずっと道のりは長いのだと再び感じた。こんな自分ではまだまだダメなのだと痛感した。

自分の無力さと弱さ

劣等感に加えあの瞬間に強く感じたのは自分の無力さである。

僕は大切な彼女たちに何もしてやれない。運営は「プロデューサーさん」とさも一緒に作ってるかのように錯覚させるが、実際にはただの消費者で何の権限もないし何も生み出していないのがアイマスPだと思う。

「俺はなんて無力で弱いんだ」と情けない気持ちになった。彼女たちが馬鹿にされても、二次創作のおもちゃにされても、声優が大炎上してキャラが罵声を浴びせられても、僕に根本的な問題を解決する力なんてなかった。なぜかこれまでの自分への無力感が急に込み上げてきた。

いつも与えてもらってばかりで、何も彼女たちに恩返しできてない。彼女たちを護る力もない。惨めで、情けなくて、何より弱い自分。何がプロデューサーだ、と思う。彼女たちを護れない無力さを思い出していた。

あなたたちに恩返しできない自分が情けない

彼女たちを護れるだけの力と強さが欲しいと思った。どうすればそれが実現できるのかはわからない。でも、もうただの消費者ではいられない段階まできたのだと感じ始めていた。

運営への不信感と憤り

そもそも運営がキャラクターを護ってくれれば、僕なんかが護ろうと思う必要がない。クリエイターや声優達はキャラを大事にしてると思うが、運営はキャラの尊厳を守ろうとは微塵にも考えてないし本当に不誠実だと思う。

アイマスというコンテンツはいつも炎上しており、シャニマスも例に漏れず常に何かしら炎上している。水着騒動などで炎上しても、序盤になんの説明もせずダンマリを決めていたことには不信感と憤りしかない。

しょうもない案件動画で無駄金を浪費していること、人気投票でしかない最低なガシャをやったこと、案件で人気のあるキャラしか紹介しないこと。何より、声優の極めて個人的なスキャンダルのせいで無関係なキャラが罵倒されている状況下で最後までキャラを守ろうとしなかったのが最悪だ。

Twitter企画で該当キャラに対する不名誉な投稿が止まらなかったが、企画を中止せず放置した。本当にキャラクターを守る気があれば入力フォームに禁止ワードを設けるなどしたはずだ。だが禁止ワードを設けたのはYouTubeやプレイヤー名など、運営の自己保身だけだった。

炎上が頻繁に起こるからか、どのアイマスシリーズも間違いなく人が減り続けていることだけは確かな事実だ。周りの人たちもそうだったが、不満のある人たちは何も言わずに辞めていく。だから賛美する人間しか残らないし観察できない。でんでん現象化しているのが今のアイマスだと思う。

安心してキャラクターを愛でたいのに運営はそれを許してはくれない。シャニマスの物語や音楽・キャラに不安はほとんどないが、シャニマスというIP自体のこれからには不安しかない。そんなマイナスの感情を思い出してやるせない気持ちになった。

自分の周りの人たち

周りの人たちのことも思い出した。この作品に触れてからたくさんの人との出会いと別れがあった。特に別れを数えればキリがない。シャニマスを始めて3年半近くになるが、2018年から2019年ぐらいが純粋に一番楽しめていた。1周年になる前から始めた周りの人たちはもうみんなゲームを辞めてしまった。それがとても残念だ。

次に去年仲良くしてもらった人たち。平日の夜2時ぐらいまで毎日のようにアイマスについて話した楽しかった日々を思い出した。だが彼らは作品への熱が落ち着いたからかこの会場にはほとんどいない。彼らにもこの会場にいてほしかったし、今日のアイドル達の決意を見て欲しかった

実生活で恋人ができて「シャニマスに追うほどの価値を感じなくなった」と言った友人もいた。彼らには幸せになってほしいから、寂しいけど引き止めない。とても残念だけど、アイドル達が彼らの人生に彩りを与えてくれただろうことだけはどうか忘れないでほしい

大切にした担当アイドルのことだけは忘れないで欲しい

別れもあれば新しい出会いもあった。気が合うと言って話しかけてくれる人たちがいた。今後彼らの期待を裏切ってしまうかもしれないが、僕と関わって少しでも気づきがあればこの上なく喜ぶし、彼らに少しでもこの作品を好きになってもらえたら嬉しい。

苦しいときにいつも相談に乗ってくれるのは周りの友人たちだった。彼らにはいつもお世話になっていると改めて思った。これからも彼らから学んでいきたいし、受けた恩を返していかなければと考えた。

いつか、僕が戻ってくる場所

鋭く力強いギターソロがコンテンツへの悲しみや辛さを一層浮き彫りにした。同時にその音色を聴いて一つ確かに沸き上がったのは、(散々書いたが)かけがえのない担当たちに幸せになってほしいという強い願いである。

彼女たちに出会えたことだけは何ものにも変え難い喜びだった。運営の愚策でどれだけ嫌な思いをさせられ続けても、アイドル達への想いだけは唯一無二の道標で揺るぎない信念なのだと改めてわかった。

僕の人生と彼女たちの生き様は関係がない。彼女たちが輝いても成功しても僕の人生が好転するわけではない。それでも、彼女たちの輝きが僕の人生に彩りを与え、豊かにしてくれる。彼女たちならどんな空にでも羽ばたいていける力があると信じている。

でも、僕に翼なんて生えてない翼があればいいのに。そうすればあなた達の隣にいれるのだから。でも今この曲を聴いて泣きながら視界がぼやけていても地面に崩れ落ちないのは、己の2本の足で立っているからだ。たとえ飛べなくても、この足で一歩ずつ歩いていかなければならないのだ。

翼がないのなら、前を向いて一歩ずつ歩いていくしかない

締める前に1つ、歌詞のなかで今回新しく気づいた部分がある。僕にとっての「ここへ戻ってくる」とはいったいどこを指しているのか

くじけそうになったり
逃げたくなったりするけど
あきらめたりしない 決して
喜びにふれるたび
大好きなんだって思える
ここへ戻ってくる

「いつか Shiny Days」より

「ここ」とは何処か

それはライブ会場でも声優ライブでもない。ライブで仲間と集まって騒いで何も成し遂げてないのに「お疲れ様」と打ち上げしたいわけでもない。シャニマスを誰かと繋がるためのツールとして利用したり、Twitterで自分をキャラ付けするための自己表現の道具にしたいわけでもない。

こことは、彼女たちが生きている、輝いている世界と物語のことだと思う。それは決してシャニマスを介して出会った人たちとの思い出ではなく、シャニマスに触れていた間に自分が現実世界でどのように生きていたのかを思い出すわけでもない。

彼女たちの物語、純粋に彼女たちの生き様を思い出すことだと思った。これから先も現実だろうがフィクションだろうが、嬉しいことよりも辛く苦しいことの方がたくさんあるのだろう。それでも、強く生きていかなければいけない。彼女たちがそうしたように。

アプリがサービス終了したり、コンテンツ自体が終わったり、全てが嫌になってシャニマスをやめたりしていつの日かさようならをするときがやって来るのだと思った。それでも、いつかこの輝いたあなたたちの日々を思い出して自分の人生を歩いていかなければいけない。

彼女たちから離れたとしてもきっといつか思い出すだろう彼女たちと出会ったときのこと、彼女たちから学んだたくさんのこと、彼女たちが輝いていたこと、彼女たちに励まされたこと。彼女たちが精一杯生きていた日々を思い出すために、僕はかならず「ここ」に戻ってくるのだと。

もし離れることになったとしても、いつか必ず戻ってくる

最後に

以上があの日感じた全てだ。

あの瞬間には喜怒哀楽が入り混じっていた。どちらかといえば暗い感情の方が多いかもしれない。さて、僕が大嫌いな「コンテンツが好きな自分に酔ってるような記事」ばかり最近書いてる気がするので、今回を皮切りにひとまず辞めにする。

あの日の現実世界では雨が降っていて空は澄んでいなかった。彼女達がこれから羽ばく空は澄んでいるだろうか。そうあって欲しいと願っているし強く信じている。今を越えたその先に何があるのだろうか。それはまだわからない。だからそれを見届けるまで、きっとまだ止まれない。

未来の自分がどんな人生を送っているのか、幸せかどうかは心底どうでも良い。だけど、今この瞬間にアイドルマスターシャイニーカラーズという作品を愛憎入り混じった複雑な感情で、それでも楽しんでいたことは事実だ。

その事実を忘れても構わない。それでも、大切な担当アイドル達からたくさん学んで感動させられた日々を素晴らしい体験だったと想う気持ちは変わらないはずだから。それだけは唯一何も心配してない。最後に一つだけ。

僕の大切な担当アイドルたちは幸せになったのだろうか。(完)


長文のご清覧ありがとうございました。

本記事で使用されている画像はすべて©︎BANDAI NAMCO Entertainment Inc.

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