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ダイヤモンド野澤輸出のおもしろお笑い手記『NSCの頃の話』

NSCの頃の話


どうも、どうもどうもどうも。ダイヤモンドの野澤輸出です。

こちら連載4回目おもしろお笑い手記です。こち手記です。
こち亀みたいに言ってみました。4回目ともなると出だしからウィットに富んでいます。ウィットに富むって何だよって感じですよね。
まだ読んでいない方は是非、第1回第2回第3回も読んでみてください。ウィットに富んでいますんで。ウィットに富むって何だよ。

いつも「お笑い」のことに書いていますが、今回は、吉本興業のお笑い芸人の養成所、NSC(吉本総合芸能学院:New Star Creation)というところに僕が通っていた頃の話でもしてみようと思います。

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2009年の4月、NSCの東京校に15期生として僕は入学しました。

当時、大学の4年生だった僕は、大学に通いながら、NSCに入ることにしました。御茶ノ水にある明治大学に通っていたので、神保町にあるNSCがめちゃくちゃ近くて通いやすかったのです。

大学1年生の頃からお笑いサークルに入っていた僕は、そのときに出会った、学年が一つ上の先輩と一緒に「エレーン」というコンビで養成所に入りました。一緒に入った相方の小林さんは、大学を卒業し、就職先も決まっていましたが内定を蹴って入学しました。そして、今、Everybodyとして活動している、タクトOK‼︎も同じお笑いサークルからNSCに一緒に入りました。

NSCでは主に、放送作家さんなどの講師の先生の前でネタ見せをしたり、集団コントをやったりダンスや発声、演技の授業がありました。1年間で卒業し、プロの芸人になることができます。

僕ら15期生の同期には、今の有名どころでいうと、ニューヨーク、横澤夏子、おかずクラブ、デニス、マテンロウ、鬼越トマホーク、西村ヒロチョ、ほしのディスコ(パーパー)など、すごい売れっ子が多いです。彼らはNSC在学中から、ほとんどがエリートでした。選抜クラスというものがあって、みんな大体それに入っていました。

僕らエレーンはというと、NSCのネタ見せの授業で、同期たちの前でネタをするのですが、生徒たちの前では結構ウケていたという感覚でしたが、講師の方々には全くハマらず下のクラスでずっとくすぶっていました。僕が唯一選抜のクラスに入れたのは、発声の授業だけでした。同期以外でネタを誉めてくれたのも授業のアシスタントをやっていた相席スタートの山添さんだけでした。

今は「大学お笑い」ていうものが結構、市民権を得て、大学でお笑いサークルに入っていた人がそのままプロの芸人になって活躍したり、大学お笑い出身芸人がいろんな場所で特集されたりしていますが、僕らがNSCの頃はまだ、大学お笑いやってたと人に言うのが恥ずかしかった記憶があります。今よりも全然バカにされていた感じでした。

実際、僕らは、今の大学お笑いの子たちより全然ちゃんとサークル活動もしていなかったし、1年に2、3回しか舞台に立ったこともありませんでした。それでも僕は、大学2年の頃にサークルの自主ライブを見に来てくれていた浅井企画さんからスカウトされたり、大学3年で出たM-1グランプリ1回戦で、その日唯一のアマチュアで合格したりしていたとかもあって、変に自信とプライドは持っていました。ずっと自分が1番面白いなあと思っていました。だから講師の方にネタのダメ出しをされても一回も直したことがありませんでした。

NSCに通っていた2009年当時は、NSC東京校の同期だけで1000人くらいいました。在学中の1年間で半分くらい辞めて、13年目の今もまだやっている芸人は、40人くらいだと思います。

僕が在学中に面白いなあと思った芸人は、いぬ、カナメストーン、トーキョーナイトフィーバー(ニューヨーク屋敷の前のコンビ)、ホラガラス(忘れる。橋本の前のコンビ)、ぼくのユリゲラー(忘れる。鶴山の前のコンビ)、エンペラー(現ハンドレール)、ギチ、ABCDE湯かげん、きたきゅ〜、ぼく脳、などなど今も芸人やってる人もいるし、辞めてしまった人もいます。早く売れっ子になった選抜クラスに入っていたエリート同期達のことは、ただ器用で上手いだけか、変な見た目とかなだけで全然面白くないと思っていました。こんな感覚でずっといるから僕自身、なかなか売れないんだろうなと思い知らされます。最近は、芸歴10年を超えてやっと風向きが少し変わってきたような感じもしていますが。

僕の経験からの主観ですが、デビューしてすぐテレビで売れていく人達って、良い人じゃないことが多いなあと感じていました。それは良い人だとやっぱり周りに気を遣ってなかなか前に出れなかったりするんで、身勝手で自己中なぐらいがちょうどいいんだと思います。そういう点はやっぱり見習わなければいけなかったなあと思います。同期で、つまらなくても、変な見た目で、そういう痛さを持っていた奴らがどんどん早く世に出ていきました。彼、彼女らは、どんなに滑ろうがお客さんに求められていなかろうが、自分の話を平気で60分のライブでずっと話せる奴らでした。その「図太さ」と「変な見た目」は早く世に出るには必須条件だったと思います。

普通の見た目で、良い人でも、面白ければ、時間をかけても売れるんだろうし、そのまま売れ続けるんじゃないかと信じています。しかし、やっぱりどこかで一回は他の人の顔色なんて伺わず攻めなければならないと売れないんだとも思います。

今は、嫌な奴は一回売れても、売れ続けるのは難しいん時代になったのではないでしょうか。昔はそれでも売れ続けた人も沢山いたと思いますが、今は、なんでも裏の顔がすぐ暴露されたりするんで、嫌な奴が残るのも大変な時代になってきてると思います。

そう考えるとやっぱり真面目に面白いことを真摯にやっていくしかないなあと思います。
とにかく面白いことを考え続けて、早く売れたいです。そしてNSCのときからずっと感じていた悔しさ、苛立ち、怒りをすべて笑って見返せたらと思います。

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あんなに出だしはウィットに富んでいたのにこんな終わりになってしまいました。すみません。それでは、また。


ダイヤモンドINFO


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著者/ ダイヤモンド・野澤輸出

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