見出し画像

ダイヤモンド野澤輸出のおもしろお笑い手記『お笑い骨折記』

お笑い骨折記


どうもどうも。どうも。ダイヤモンドの野澤輸出です。

こちらは、この連載の3回目の手記となります。おもしろお笑い手記です。まだ読んでいない方は第1回第2回も是非読んでみてください。

さて今回は、何について書こうかと、絶賛骨折中の右足を見ながらスマホの画面に文字を打ち込んでいます。

野澤さん1

そうなんです、前回の手記を書いてから数日後の2021年12月30日に、渋谷・ヨシモト∞ホールで漫才出番おわり、舞台袖にはけるときに階段を踏み外して転んで右足の骨を3箇所骨折してしまったのです!舞台袖の階段といっても2、3段くらいの小さなやつで、そんなとこでこんなに骨を折る人なんて聞いたことありません!とんだおっちょこ骨スカスカ野郎だったのです。

今この記事を書いている現在は、2022年の1月27日なんですが、去年の年末に骨を折って、そのまま病院直行から20日間入院。退院して家に帰ってきたと思ったら、コロナの濃厚接触者になってしまい、10日間自宅待機になり、またほぼベッドの上の生活の真っ只中であります。とりあえず2022年の1月は一回も外で仕事をせず終わりそうな予感です。
そんな状況ですんで、今回書くのは、骨折してからの入院生活の話を少ししようかと思います。


骨折した日、病院に運ばれたのは12月30日で、年末年始ということで、手術は年明けて4日以降にしかできないとなり、あまり折れた足にとっては意味のない5日ぐらいを過ごすこととなりました。不運は重なるものです。入院初日は足が痛すぎたのと全くご飯食べてなかったんで、腹が減りすぎてあまり眠れませんでした。
僕は大部屋だったので、他の入院している人達4、5人と薄いカーテンみたいので仕切られてるベッドの上にいました。入院2日目の朝に、僕のベッドの向かいのおじさんが、朝からテレビでも見ていたのでしょうか、「藤田ニコル、ははは、みちょっぱ、みちょっぱ、あはは」と笑っていました。これが僕の大晦日となりました。病院では21時半に消灯するので、そこからテレビも消されて、ベッドの上で一人、とても静かに新年を迎えました。
入院して最初のほうは、ずっと動けないのでおしっこも尿瓶にしていました。尿瓶にたまったおしっこを看護師さんに捨ててもらおうと思ってナースコールを押そうとしたのですが、今、年が明けたばかりの午前0時過ぎで、このまま看護師さんを呼んだら、あけましておめでとうございます、と看護師さんに言わないといけないのか、とか、なんかしょうもないことを考えだしてしまい、結局朝まで看護師さんを呼べないまま寝てしまいました。2022年がスタートしたのです。

お正月も生まれて初めて病院のベッドで過ごしました。僕が正月を唯一実感できたのは、元旦の朝食に食べた病院食の黒豆だけでした。

野澤さん2

そして、4日に手術をして、2日間ぐらい高熱と気持ち悪さで地獄を見ました!きつかった!それから数日経ち、身体も回復してきて、だんだんと車椅子でベッドから動けるようになりました。ずっとベッドから動けなかったので、車椅子でトイレに行くだけでも、なんかRPGで最初の町からどんどん行動範囲が広がっていくあの感じを思い出しわくわくしました。

リハビリが始まり、松葉杖とかも練習しだしました。もともとない体力がより落ちていたので、そうとうしんどかったです。何でもないようなことが幸せだったと思うなあと、ロードの13章まで歌える僕はつくづく思いました。
よく怪我をしてから、病気になってから、初めて健康の大切さがわかったりすると思いますが、僕はずっと昔から通常の状態で、健康でありたい、無事に過ごしたいと思っていました。骨折する前に、無限大ホールのロビーに飾る絵馬を書いたときも、「健康で楽しく」と願っていました。とても残念です。

それから、向かいのおじさんがテレビを見ながら「出川…」とだけ呟いた声しか聞かない日とかもありましたが、入院生活にだんだん慣れてきていました。たまに入るお風呂とか小さな幸せをいっぱい感じれるようになっていました。コロナで面会はできなかったのですが、差し入れをわざわざ持ってきてくれた人やメッセージをくれた人には本当に救われました。ありがとうございます。こんなにいっぱい優しさに触れると、あまり優しくない人もなんかわかってしまい、自分が逆の立場になったときは気をつけようと思いました。

1月10日くらいに初夢を見ました。これを初夢というのかわかりませんが、思い出せる夢を病院で初めて見ました。その夢は、オズワルドの畠中に、「あんなふざけた漫才ばっかりやってるからこんな目に遭うんですよ」と説教されるというものでした。普段の畠中とは違いとても怖かったですが、妙に納得してしまいました。なぜか夢の中では、オズワルド伊藤がその畠中の謝罪に来てました。

またお笑いの場に戻っても、まあどうせ、よく分からないふざけた漫才をすると思います。いつ戻れるかも、こんなご時世だし先が見えない世の中なんであれですけど、結局楽しく生きていけたらなあと、強く思うようになりました。今は、自宅で松葉杖でなんとか動き回っていて、3月くらいには全治すると思われます!

いろんな人に迷惑や心配をかけてしまったけど、バカだなあ、ついてなさすぎるなあ、おもしれえなあ、と思っていただけたら何よりです。今後、僕を見たときには、“あいつ右足にめっちゃ金属入ってんだ”と思って笑ってください。何言っててもやってても、めっちゃ金属入ってると思ったら面白いですからね。よろしくお願いします。楽しくいきましょう!

野澤さん3


それでは、みなさんの健康を幸せを願い、一旦やめさせてもらいます。



ダイヤモンドINFO



====
著者/ ダイヤモンド・野澤輸出

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?