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自分の「核」を持つ

今日は空が澄んでいて、気持ちのいい天気ですが、みなさんいかがお過ごしでしょうか。
私はつい先日書いた「こたえ合わせ」がだいたい終わり、次の局面へとうながされているところです。
どうやら、次の課題は「自分を信じ、一番に大事にすること」のようで。
言葉にしてしまうと、何でもないことのようですが。
これまでずっと、自分を痛め付け続けてきた私にとっては、高いハードルだなぁと感じています。

そもそも三次元という「物質としての肉体を持ち、二元性の中に生きる」という存在のしかたを選んだ私たちは、誰もが不完全で。
みなさん感じてらっしゃるとは思いますが、完璧な存在にはなれません。
なのに、その原理原則にそむくかたちで、「完璧を目指せ」と刷り込まれてしまっているのです。
なぜでしょう?
その理由こそが、「自分を疑わせるため」なんですよねぇ。
自己肯定感を下げるため、と言い換えてもいい。
「私なんて…」と思わせることで、判断を他者に委ねさせようとしているわけです。
そして、私もついこのあいだまでそうでしたが、自分の「核」を持たせないように仕向けてる。
「核」っていうのは、あらゆる判断の元となる、自分なりの考えですよね。
アイデンティティと呼んでもいいかもしれない。
これができてないと、判断のしようがないんですよ。
無理に判断しようとしたところで、どうしても疑いがわいてきてしまう。
いま多くの人が情報を渇望し、100%委ねられる存在を探し求めているのは、そのせいです。
自分の中に「核」がないから、外側に求めようとしてる。
でも残念ながら、自分とすべて同じ人なんて、どこにもいないんですよね。
私もこれまでずーっとそれを追い求めてきて、手に入らないということが、ようやく骨身にしみて理解できました。

だとしたらやっぱり、自分を信じるしかないんですよ。
自分の中に、しっかりとした「核」を築くしかないんです。
それが本当の意味での自立であり、自分軸を持つことであり、自分を信じ、自分を尊重することだと思います。
これができてはじめて「この人のこの部分は見習おう」「この人とはここが合わないから、いまは離れていよう」などと、人の中の一部分を見つめる目が持てる。
そして一部分でも同じ部分があれば、それってすごくラッキーなことだから、喜んでいいんです。
…ってこれ、カウンセラーの受け売りではありますが、とっても大事なことだと思います。

そう、私にとってもまだまだこれ、手を付けたばかりのことなんですよね。
まだまだ途上で、偉そうな口がきけるような立場じゃない。
でも、なんだろう、私ここ目指して苦しい思いしてきたんだよなぁ、って。
大変だったけど、よく頑張ってきたよねぇ、って。
自分をねぎらってやりたい気持ちで、いっぱいになってます。
もちろんまだまだ、先は長いんだけど、ね。

ホームページをつくったので、ぜひ、見てみてください。
お気軽にコメントなど、いただけるとうれしいです。

さぁ、今日も一日、がんばろうっと。

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