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すき間を埋めるクセ

かつての私は、トラウマを抱えていたので。

ほっこりした時間は、敵だった。

リラックスすると必ず、過去のイヤな記憶が、生々しく頭の中に再生されるから。

だから常に何か、意識を向けておく対象を持っておきたくて。

ワーカホリックの罠に、自らハマっていった。

でもそのうち、仕事の合間にできるわずかな時間さえ、うとましくなっていって。

脅迫的に、すき間を埋める何かを求めるようになった。

そんな状態が続くと次のステップでは、自分の都合で割り込んできて、中途半端にいなくなる他者という存在がうとましくなり。

他者を締め出すような格好で、集中できる対象を求め始めた。

その代表格が、BOSEのノイズキャンセリングイヤホンだった。

これをして歩いていて、何度うしろから、車に轢かれそうになったことか…。

それでも私は、そうせざるを得ないほど、脅迫的に自分を追い詰めていた。

一瞬でも、すき間ができてはいけない。

そのすき間から、ドロドロした記憶が入り込んでくる。

ぐつぐつと煮えたぎって、私を焼き尽くす記憶が…。

そう、ここでも私は、いるかもしれない怪物を恐れていた。

追ってくるかもしれない脅威に、怯えていた。

そして、ほんのわずかなすき間も、埋めなきゃならないと追い詰められていた。

なんか、ねぇ。

典型的な自作自演、マインドの作り出す不安に囚われてしまっている状態だよね。

でも、いまは私、知ってるのよ。

すき間が、インスピレーションを育てるんだって。

ぼうっとする時間が、宇宙とつなげてくれるんだって。

なのに、まだ、うまくできない。

なぜなら私の中に、すき間を埋めようとするクセがまだ残っているから。

強迫観念が、残っているから。

でもこうして、メカニズムに気付いているから。

消えるのも時間の問題だろう、と思うけどね。

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