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教師の話し方


「授業が上手い」と言われたらどんな授業が考えられるだろうか。

板書がわかりやすい、内容がしっかりとしている、プリントがわかりやすいなどなどが挙げられるだろか。

確かに、これらのことはものすごく重要であり、必要な要素だろう。

そこに加えて、私は

「心に響く話し方ができる」

ということも重要であると感じている。

つまり、何を教えるのかといった内容の面だけではなく、その内容をどう伝えていくのか、どう話していくのかということいった、自分の中だけではなくて外へ出していく、他者へ届けるといった行為が重要であるということである。

いくら教材研究がしっかりとしていて、内容が素晴らしくても、それが効果的に子どもに伝わらなければその魅力は半減してしまうのではないかと考えている。

イメージとしては、火山をイメージしてもらえれば良いだろうか。火山の内部でマグマがぐつぐつと煮詰まっている(教材研究をし、教師の内部で授業の内容を煮詰めていく)ことと、それが噴火という形で外部へと発射される(授業という形で教師の内部から外に伝えていく)ということである。

その具体的な手法としての話し方については細かくは今回は言及しないが、その話し方というものはどこで学ぶのでしょうか。

教師という職業は「声」を道具にして行う職業だということに異論はないだろう。

その教師を育成する各大学はそのような話し方に着目した授業がほぼないのではないかと思われる。

基本的には、教科の内容や教材研究の学習に重きが置かれているのではないか、そのように思える。

つまり、内容と話し方のうちの内容の方に比重が多く置かれているのではないか。

しっかりとした発声方法、効果的な話し方ということを学べれば、より子どもの心に届く、響くような授業、教育ができるのではないか。そのようなところも教員養成では意識されても良いのではないか、今のところ欠けている視点なのではないかと勝手ながら感じている。

これは、教師だけではなく、学生や生徒児童が発表をするといった場面でも同じようなことが言える。 
例えば、声がハキハキとしていて堂々としているのだが、文と文の間合いがなく、すべて繋がって聞こえてしまい、何が大事なのかが分からないような発表があったとする。その場合は、話す際に強調したい部分をどのように話し方で工夫するのか、間の取り方はどのようにしたらいいのか、といったようなことをもっと重視した教育がなされてもよいのではないか。

昨今の教育界では、ますます表現力、伝える力というものが重視されている。そのような流れもあるからこそ、話し方の教育やトレーニングというものが必要なのではないか。教師はもちろんのこと、子どもにもそのような教育がなされる教育方針になると良いなと感じている。

私は演劇を少しばかりかじっているので、そのような声、話し方というものを重視しないといけないのではないかと感じているのである。

演劇は役者が教師と同じで、人に向かって表現するものであるため、共通点が多い。
演劇は伝え方、表現の仕方に注目して行うため、教師にも同じことが言えるのではないか、ということである。

そのため、授業内容が素晴らしいのだから、話し方をもっと工夫してみたらさらに良い授業になるのにな、と感じているのである。

子どもの心に響く話し方ができれば、子どもの心は動き、好奇心がかきたてられ、学びに向かう姿勢が変わってくるのではないか。同じ内容でも話がつまらない教師とそうではない教師の差は大きいものがあるだろう。
そして、話し方が上手い教師は生徒からの好感度も上がることであろう。
教師として、はもちろんのこと、まずは人間として魅力のある人、信頼される人、になる。それは、教育にもプラスなことが多いだろう。
そのために、話し方がうまくなることは一つの大きな要素として堂々と存在しているのではないか。

話し方の教育が重視される教育が今後訪れたらいいな。

というか、そのような教育をしていきたいな。

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