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やまと絵展感想(東京国立博物館)

展示物の国宝や重要文化財率に関していえば、今年最も凄いものでした。以下に書くことはこのブログの内容と重なるところがあるので、目を通してください。読み物としても普通に面白いので。

概要

平安時代前期に成立したやまと絵は、以後さまざまな変化を遂げながら連綿と描き継がれてきました。優美、繊細といったイメージで語られることの多いやまと絵ですが、それぞれの時代の最先端のモードを貪欲に取り込み、人びとを驚かせ続けてきた、極めて開明的で野心的な主題でもありました。伝統の継承、そして革新。常に新たな創造を志向する美的な営みこそが、やまと絵の本質と言うことができるでしょう。

東京国立博物館ホームページより

教科書に出てくる作品のオンパレードでした。私は三つに分かれているなかでの最後、後期展示?に行きましたが、カタログだけ見ても凄い作品ばかりです。

《伝源頼朝像》13世紀 神護寺蔵
《鳥獣戯画 甲巻》12〜13世紀 高山寺蔵

その他《源氏物語絵巻》や《伴大納言絵巻》なども前期には出ていたので、全展を通じて日本美術史のスターオンパレードでした。教科書でお目にした作品も多く、興奮必至のものだったと思います。

《辟邪絵 神虫》12世紀 奈良国立博物館蔵

室町や江戸時代のものも第3章で取り上げられており、600年の時空旅行を楽しめたと思います。幼い頃にこの展覧会に行った体験が、美術を志したり日本美術史に興味を持ったきっかけ、とする人が現れてもおかしくないくらいです。

見応えという点では今年最高のものと言えるはずです。圧巻でした。常設展もこの展覧会に呼応して名品が出ていました。

感想

①結局「やまと絵とは何か」には答えられない

平安時代から鎌倉時代には、中国から来た「唐絵」に対して日本的なものという対立概念でしかないので、あくまで主題についての話でした。室町時代以降は水墨画など中国ら来た様式に対して、日本的な様式として平安鎌倉時代のやまと絵を参照したものです。

やまと絵という概念はあくまで中国からの距離感であって、本質が「中国的ではない」といったところ、あるいは本質などないのかもしれないという話に落ち着きます。やまとが指すものが主題から概念になって、同じ言葉でも意味がねじれてきますし、「やまと絵とは〇〇である!」という話がだいたいスベる理由も今回見て分かりました。

西洋美術におけるギリシャローマの古典といった、思想的な軸はないので、終始雲を掴むような感じがしましたが、これほどの名品や代表作を一堂に会しても、結局やまと絵とは何なのか分からないというのが結論です。

《日月山水図屛風 日図》16世紀
《日月山水図屛風 月図》

作例をたくさん検討して普遍に至る帰納法の限界を実感したのは大きな収穫です。とはいえ、やまと絵展は各媒体で「やまと絵の特徴は〇〇である」と言っているのでスゴイナと思いました。それらを一々検討はしませんが、おおよそ「やまと絵特有のものではないのでは」と突っ込めば終了するものです。

②キャプションの書き方がアツすぎる

これほどの優品がずらりと並んでおり、キャプションを書く方もテンションがとても高く、力が入っていました。ですから作品の情報や最低限の見方を示すだけではなく、「美しい」「傑作である」と価値評価まで勢いでぶち込んでくるのは笑ってしまいました。

言いたいことは分かりますし、気分は盛り上がりますが、鑑賞者の感情や印象の誘導がかなり濃厚に行われているように思いました。

③「国宝」という名前のパワー

①のような感想を持ったので、やまと絵展というよりは、平安末から室町時代絵画の名品展という風に思ってしまったのですが、昨年の国宝展よりも出ている作品は凄いです。とはいえ事前予約なしでも普通に観られるくらいの客入りで、夕方過ぎれば割と余裕を持って見れたりします。

予約制だったがとんでもない人の数だった。それに比べれば自由に入ることもできるやまと絵展は、人入りが控えめだと体感でわかる。

おそらくですが「やまと絵展」という展覧会の名前が集客的には、なんの展覧会なの?と散漫な印象を与えたのではないかと推測します。昨年の国宝展は真の意味で大混雑した熱狂(嫌な思い出でもあるが)でしたが、それを上回る名品パレードでその熱狂はおきません。

「国宝」という名前の圧倒的な権威を思いました。

④学術性はどうなのか問題

名品を集めましたよーという祝祭であり、多くの人には楽しめたものだと思いますが、美術を勉強している人間にはやはり物足りないものがありました。

《源氏物語絵巻》については徳川美術館の2021年の修復完了記念展が、《信貴山縁起絵巻》については2016年の奈良国立博物館の展覧会が素晴らしく、それぞれの詳細に迫っていましたので、勉強したい方はそちらのカタログをご覧くださいということになります。

《信貴山縁起絵巻 飛倉巻》12世紀 朝護孫子寺蔵

逆に言えば、一作品で展覧会を組み立てられるような偉大な作品をポンポン出したことにより、どこかそれぞれが薄まってしまったなという印象です。それらを包括する「やまと絵」という概念がそもそも機能していない中で、個々の作品の関連性や統一した何かは、より薄く感じられないものになっています。

冒頭にあげたブログの中で、そのような学術性やインテリ的な見方への批判があり、おっしゃる通りだと思います。この展覧会の作品をそれぞれで観るには途方もない旅費と時間がかかるでしょう。それが2100円で済むなら凄いことです。

とはいえ東京国立博物館という日本美術においては最高の権威が、とりあえず名品を集めて人を呼ぼうという意図を隠さない感じに振る舞うあたり、良くも悪くも新時代だなと思います。

四大絵巻が!神護寺三像が!と会期を分けて出すあたり、ロックフェスの大トリはコイツらだ!という集客のノリの大差ないですし、「やまと絵展」の構成からも正直浮いていました。それでも可能だったあたり、包括しているようで何も示していない曖昧な概念を逆手に、うまく使ったなと思いました。

まとめ

興奮必至の凄い展覧会であることは間違いないですが、内容的には「一堂に会した」それ以上でも以下でもありません。それを奇跡ととるか、丁寧なキュレーションの放棄ととるかはその人の立場によるでしょう。

日本の古美術の鑑賞経験があまりない方や、興味はあるけど…と思っている方なら絶好の機会なので、必ず行ってください。遠方からでもわざわざ行く価値があると思います。

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