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長沢芦雪展感想(中之島美術館)

大阪・中之島美術館で開催中の展覧会で、九州国立博物館にも巡回するものです。大阪では初の回顧展で、高い注目を集めていました。私が見たのは前期日程です。後期も行こうかなと思えるくらいの水準ではありました。

概要

18世紀後半の京都で活躍した長沢芦雪はまず、写生画の大家である円山応挙に弟子入りします。展覧会はそこから始まり、芦雪の若い頃の作品と応挙の作品が、類似主題のものが並列されて展示されており、師弟関係が窺えますが、それ以上に既に芦雪の個性が出ています。

輪郭線や墨の表情は、若描きの頃から応挙と異なっていて、才能のある人は弟子の時から既に師を振り切る、抑えられない個性があるのだなと思いました。

《岩上猿図》個人蔵なのもびっくり

岩の描き方がとても多彩です。たっぷりと水を含んで墨を垂らすものから、乱雑にガッと塗るもの、繊細にちくちく描くところもあれば狩野派的な岩の描き方を応用するところもあり、表情豊かです。

上の作品は特に岩の描き方が面白く、技がてんこ盛り。黒々しい重みによって猿の軽みが強調され、逆に岩の硬さや重みが強調されています。互いの特性を響き合わせる対比の妙が生きています。            白滝や、写真では見にくいですが、赤や緑の蔦が絡みついており、岩だけで何十分も観て楽しめます。

《寒山拾得》高山寺蔵

応挙の代理として和歌山に行きますが、このような絵を描く人が行って、困惑しないかなと正直思いました。精密で写実的な絵を描く応挙を呼んだはずが、あまりにも違いすぎる絵師が代理としてやってきて、なんだコイツと思ったに違いありません。

寒山拾得の輪郭の掠れ、怪獣のような指、破顔とボサボサの髪の表現は、「奇想」という観点からすれば最たるものだと思います。とても面白い作品です。

《虎図》串本応挙芦雪館蔵

その和歌山で個性を開花させた芦雪。中央から離れることで生き生きと個性を出せるというのが、よくわかります。

代表作の虎は放物線でリズミカル。薄墨と刷毛で全体をモコモコさせ、そこにたっぷりと水を含んだ濃い墨で縞を描いています。立てて描いているのか下に墨が垂れていますが、身近に見るとそれ含め皮膚から浮かび上がる血管のような、力を感じます。そしてぼんやりとした身体から、顔と眼のしっかりした輪郭線と髭の鋭さが、全体のアクセントとして非常に強いです。傑作です。

つがいの龍も上手いですが、虎が圧倒的で霞んでしまっています。単体なら重要文化財ではないでしょう。

発見の多い一章と圧巻の二章に比べると、後半の尻すぼみ感は否めませんでした。

感想

①長沢芦雪の魅力が堪能できる

回顧展の良さが全面に出ていて素晴らしいと思います。かわいい犬くらいでしか知らないという人には驚きも大きいはずです。選ばれた作品はどれも芦雪の個性が際立ったものばかりです。

②同時代の京都画家との比較が少ない。そして違和感

途中で曾我蕭白や伊藤若冲の絵が出てきます。芦雪と同時代人の表現を揃えて、「奇想」の比較展示といきたいところなのでしょうが、2、3点しかありません。単独の章にするには少なすぎます。

一観客としては、ついでに彼らの作品を観られてラッキーと思いますが、展示としては「あ、これだけ」という印象ですし、同時代ですね以上の感想は持てません。芦雪の画題や表現を際立たせる作品が選ばれているわけでもなく、何か付け足した感が強く感じられます。

芦雪だけでは客が呼べず、若冲もあるよ!という売り文句(実際予告ポスターやホームページではかなり強調されていた)だったので、そこはアレ?と素直に思いました。あの量と作品ならなくてもよかったです。引き立てるというよりは違和感が強く出ました。

③いつまで「奇想」でいるのか。図録の名文

「写生」の師匠である応挙との比較や、辻氏が50年前に提唱した「奇想」という指針が長沢芦雪の魅力や見方を制限しているのではないか、という図録の巻頭文章末尾に、じんわり響くものがありました。

〇〇の画家というレッテルあるいは指針というのは、正直鑑賞する時にどれくらい作用しているのか分かりませんが、とても危険なものなのかもしれません。

辻氏は「奇想」という軸を、再評価する際の骨組みとして堅牢なものにしたのは、既存評価の権威の岩盤を壊すためには必須のものでした。ただこれからの世代は「奇想」という既存評価の岩盤をいかに壊すか、が問われてくると思います。ちょっと「奇想」が概念として強すぎて画家たちの個性をぼかしてしまっているのです。

古美術を観ることは数十年、数百年の鑑賞の積み重ねの上に乗ることです。時代ごとに流行りというか覇権的な見方があり、次の世代がそれを批判して新たな見方を提示するという営みの上に成り立っていることを、思い出させる文章でした。

思い切ったことを言ったなあと。令和の芦雪、そして22世紀の芦雪はどのように観られていくのかな、と思いを馳せる内容でした。

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