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『英国式庭園殺人事件』についての小文

現在公開中のピーター・グリーナウェイの『英国式庭園殺人事件』についての小文です。個人的な見どころを少し。

シアター・イメージ・フォーラムで現在公開中

原案

もともと監督が休暇中に家族と別荘にいた時に、趣味を兼ねてその別荘を様々なところからデッサンしていたという体験を昇華させて作られたものです。小ネタですが劇中のデッサン中に映る手は俳優ではなく監督自身の手になります。

本来3時間越えの映画ですが、上映用に約100分になっています。大体わかりにくいなと思うことは、このカットによって削られたところです。
以下の話は多少映像を見ていないとさっぱりわからないので予告編をご覧ください

具体的に述べるならオープニングで登場人物それぞれの個性と関係を描いていたようでしたが、カットされてしまい、鑑賞者は劇中で探っていくことを強いられます。

絵画的な作り

毒のある美しさや、ひたすら奇妙な映像を撮る映画作家はグリーナウェイ以外にもたくさんいます。ただ彼が持っているのは「動く絵画」としての映画作り、という感性です。美大で絵画専攻だったことは有名ですが、それがどのように生かされているのでしょうか。

寄り道としてマネの絵画を挙げます。マネの絵画の、特に人物が描かれるときの特徴として「人物が特別に描かれていない」というものがあります。例えば《エミール・ゾラの肖像》は本来何ものにも勝って強調されるべきゾラが、普通に背景の絵画や置かれた静物とあまり変わらない印象で表現されています。

マネは対象を特別視せず、強調もしないで平面にモティーフを等しく置きます。どこかのっぺりとした感覚です。二次元のなかで三次元的に表すのがルネサンス以降の西洋絵画の条件でしたが、マネは二次元のものは二次元らしく描ききっています。

グリーナウェイの本作もそうで、映画をまず二次元として捉えていることがよく分かります。非常にマネと近い感覚が発揮されており、建築物や風景が人間たちと同格になるように、登場人物を特別視せず風景に浸しています。人も庭園の彫像のようです。

そう映るように、登場人物はカメラと平行か直角で撮られ、画面の動きが抑えられています。反対に建物や風景のクローズアップはなく、そのカメラのバランスが、独特の絵画的なニュアンスを映画に与えています。

映画俳優ではなく舞台を中心に活動する俳優を揃えた理由も、絵画的な二次元性を確立するための選択でしょう。

細部

まず英語の発音が違います。母音と子音がはっきりと強調された極めて古風でポッシュな発音です。怒っているときも芝居がかっているように聞こえてくるのが面白いところです。

白と緑のコントラストが中盤までを彩ります。羊と芝生、シーツと木々、タルマン氏ら貴族と苔や蔦の生えた世界、その中で稀に豪華な赤い色のソファーに座って描くネヴィルは、視覚的に「異物」として理解できます。

後半のザクロのシーンや炎など、赤は象徴的な色として作用していることが分かりますが、この作品はほとんど「白・緑・黒」の3色しか出てきません。これほど色が少ないカラー映画は珍しいように思います。

茶を飲むシーンがありますが、紅茶ではなく緑茶なのは時代的に忠実です。そこで中国の青花染付が出てきて、色彩的なアクセントになっています。

細部のこだわりが徹底しているのも魅力です。

1694年という設定の意味

全てに意味がある本作は、舞台が1694年となっています。これにも意味があり、この年はイングランド銀行が創設され、諸々の金融法が改正された年です。

その改定のなかで、女性に土地や財産の相続の権利が認められるというのがあります。今までは男系でなければ財産は没収ですが、子供さえいれば女系でも相続が可能ということになりました。

さて、子供がいない(できない)タルマン氏の妻は屋敷と庭園を相続するためにどうするか…。と真相が明快に見えてきます。

1696年の第三版、オリジナルは1694年

英国のフェミニズムの始まりとされるメアリー・アステルの『A Serious Proposal to the Ladies』が出版されたのも1694年で、女性の権利拡張が歴史的なバックボーンとして本作を支えています。

この年はオランダ人のウィリアム3世とイングランド人のメアリー2世の共同統治が終わる年です。メアリーが亡くなりオランダ人がひとり治めるという世代の切り替わりは、ネヴィルが再び屋敷を訪れた時の変化に出てきます。オランダから新たな庭師が来ていたのは分かりやすいシーンですが、調度品が少し変わっているので注意して見てください。

謎の男の意味

結局彼の存在は何なのか明かされませんが、彼だけがマネ的な二次元の演出を逃れ、普通の映画のように様々な角度で撮られ生き生きとした表情が見られます。

グリーナウェイ自身によると、彼はシェイクスピアの『リア王』などで登場する「道化」ということです。人物は彫像のように映り、彫像に扮した謎の男だけが自由に動き回ります。この倒錯によって、より一層それぞれの演出が際立っています。

ただ謎の男があまりにも謎な動きをするので、対比によって際立たせる装置以上の存在感を持ってしまい、新たな謎になってしまっていますが。

まとめ

後半は少し中弛みしている感は否めませんし、すっきりする話でもありませんが、グリーナウェイ作品の中では親切な方だと思います。

殺人事件とついているので、アガサ・クリスティーの作品のように最後に一堂に会して鮮やかな解決があるのかというと、それは一切ありません。解決のカタルシスがないというのが特徴です。

それゆえあまりこの『英国式庭園殺人事件』という邦題が好きではないのですが、サスペンス映画としての思い込みを一旦脇に置いてみると、あまりの豊かさと丁寧さに驚くばかりです。

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