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読書記録(2024年 7月分)

夏に何の情緒も存在しない、痛ましい時間が早く過ぎるよう祈るばかりです。部屋にいても夏バテの模様。

文芸書

①B.チャトウィン P.セルー『パタゴニアふたたび』

英米を代表する旅行文学の大家が、アルゼンチン南部に広がるパタゴニアについて書いた文章を交互に配置する、蘊蓄の応酬というべき一冊。知識というものは活かす活かさない関係なく、それだけで面白くて魅力的なものだと思うのと同時に、旅が知識に変換されていくことのあっけらかんとした虚しさがあります。

チャトウィンは単著で『パタゴニア』という名作がありますし、そちらを読んでいるとさらに奥行きが出ます。100pほどの本ですが、内容は充実しているように思いました。旅好きならどうぞ。

②A.フランス『ペンギンの島』

アナトール・フランスの作品は王道の心理小説といった体で、前衛芸術家たちが拒否反応を示した通り、あまり個人的にも好きな作家ではないのですが、こちらの奇妙な小説は楽しめました。

とある島に暮らすペンギンたちが神の手違いで人間のようになってしまい、一から文明を築き上げていく年代記ですが、明らかにフランス史のパロディとなっています。面白おかしく書かれるペンギンたちのあれこれは、すべて現実のフランス社会と歴史への皮肉や風刺で溢れており、ビターな一作です。

③諏訪哲史『昏色の都』

久しぶりに現代の日本文学を読んだのですが、期待以上のものでした。西洋風の幻想小説と新古今和歌集的な幽玄が重なる、変わった小説です。目の見えない主人公が手術によって一時的に目が見えるようになるものの、やがてゆっくりと目が見えなくなっていくなかでの視覚と美。文章がいわゆる美文であり、初出の文芸誌のものでは満足できず大幅に改訂、増量したものらしいです。

とてもよかったです。耽美派でなくてもぜひ。

美術書・学術書

①松浦寿輝 沼野充義 田中純『徹底討議 二〇世紀の思想・文学・芸術』

それぞれフランス・ロシア・ドイツの文化のスペシャリストが、様々な話題について鼎談しているもの。とてもボリューミーな本で、その三つの文化圏に偏重していますが知らなかった映画や小説などの名前に必ず出会えるので、知識が欲しいという素直な目的があれば楽しめます。

20世紀と言っても論者たちが学生として体感していた1980年代以降の話がほとんど出てこないというか、それほど興味がなさそうなのが意外でした。20世紀人が20世紀について語るムラもあるのですが、読者は「二十一世紀版」をやるならどのような構成と内容になるのだろうと、考えながら読むと面白くなるはずです。

②H. ローゼンバーグ『芸術の脱定義』

原著は1972年で、約50年の年を経て翻訳されたものですが、非常に学ぶべきことが多い、現代美術批評の古典です。
コンセプチュアルアートが同時代として興っていた時に、それを見つめるまなざしは困惑を中心に知識量で塗り固めたもの。それらがしっかり美術史に刻まれた感がある現代人の視点とは異なり、価値の定まっていないものを書く難しさを感じます。しかし今でも通用する内容を残すという荒業を最高峰に達成していることも分かります。

現代美術を批評の面から牽引した強靭な力をありありと感じるものです。美術について書きたい人なら読むべき一冊かと思います。

③H. フォスター『第一ポップ時代 ハミルトン、リクテンスタイン、ウォーホール、リヒター、ルシェー、あるいはポップアートをめぐる五つのイメージ』

ポップアートって何だろう、ということにたいしてガチガチの論証を組んだもの。美術批評に読み慣れていない人にはかなり難しい本だと思います。突飛な新解釈はなく、あくまで先行文献を基にしながら広大な分野へ接続させることで、ポップアートの革新性を提示します。

よく考えてみれば低級なもの、大衆的なものを高尚な芸術に転化させる仕組みや作品はかなり昔からあったわけで、それらと何が異なるのかを解説し、具体的な作家5人の話を展開するスタイルが既に洗練されており、発見がたくさんありました。

④阿部幸大『まったく新しいアカデミック・ライティングの教科書』

名人芸や秘教的に伝わるアカデミックな文章の書き方を原理、実践と分けて、徹底的に解剖している本。読みやすく分かりやすいため、類書より優れていると自負する著者の気持ちも分かります。

白眉は9章10章の人文学の研究とは、価値のある論文とは、というところで自論を展開できているところは、決意表明的でもあり、アカデミック・ライティングのその先を見据えた、未来志向の一冊だったと思います。

⑤T.クロウ『芸術の知性』

今年出版されたものではかなり引き込まれる内容でした。美術史専攻の人以外は読みこなせないかもしれませんが、価値のある翻訳です。シャピロ―やレヴィ=ストロースなど1940年代ニューヨークで起きた知の転換期についての話から、バクサンドールと自身の美術史の作法を語るもの。

ポストモダンやさまざまな思弁的で挑戦的な美術史の方法が20世紀後半に生み出されて、流行的な熱狂を引き起こしましたが、それらが見落としているものがあるのではないか、別の系譜を打ち立てて美術史を再構成しようという考えに100%同意します。見事。


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