見出し画像

2023年に出版された本と、その回想

素晴らしい本との出会いは人生を豊かにする、というのは本当なのか。教養は倦怠を救うのだろうか、ということまで考える一年でした。X(旧Twitter)でも紹介しましたが、今年出た本で良かったものを取り上げます。

美術書

藤原貞朗著『共和国の美術 フランス美術史編纂と保守/学芸員の時代』

否が応でも私たちは物事を考えたり議論する際に、既存の体系と権威を引用します。では、その体系と権威の典拠はどのように作られるのか、という話です。こちらは20世紀前半のフランスを例に、美術史の正典を編んでいく学芸員という新たな福音書記者たちを追う一冊です。

発見の喜びや蘊蓄に惹かれる細部が勉強になるのはもちろん、それ以上にナショナリズム=美術史の創出というような面が見えてきます。戦後それらは暗いものとして隠されて、美術史は浮世離れした美の体系として受容されていますが、その起源は極めて愛国臭がします。知識としては知っていても、具体的にどのように価値や巨匠のヒエラルキーが定められていったかの内実を知れたのは、非常に刺激的でした。

古い絵を見るということは単純に過去の巨匠との対話というものではなさそうです。誰かが作り上げた価値観の下で選別されたものを仲介して、それを受け入れているに過ぎないというのを強く意識することになりました。

文芸書

ミシェル・ウエルベック『滅ぼす』

露悪的な描写や過激な政治批判でよく物議を起こすフランスの作家ですが、最新作はそれらが鳴りを潜めています。

大統領選にテロとカルト宗教といったこれまでの諸要素は含まれていましたが、これまで氏の小説を読んでいた身としては異様な驚きがありました。
ウエルベックの作品を読んだことがないor苦手な人は、後に紹介する本のほうが今年の一冊にふさわしいと思います。

下巻に入ると、主人公の私の大病が発覚します。以降の文章が、それまでのカーニバル的な事件狂人てんこ盛りの展開を放り投げてしまうのです。いきなり「神学」や「フィクションの価値」「死」「愛」という思想に物語が突入していき清々しいくらいでした。

究極的な問いを突き付けられて、社会や分断、世俗的成功という諸問題が一気に遠いものへと霞んでしまう表現が胸を打ちました。トルストイの『イワン・イリイチの死』が連想されます。

謎の国際テロが多発するなか、2027年フランス大統領選が行われ、経済大臣ブリュノと秘書官ポールはテレビタレントを擁立する。社会の分断と個人の幸福。(上)

経済大臣の秘書官ポールは、諜報機関で重きをなした父や家族と関係を修復する。冷え切った妻との間に見える光。絶望的な世界で生きる個人の自由の果てを描く作家による現代の愛の物語。(下)

公式ホームページあらすじ

モアメド・ムブガル・サール『人類の深奥に秘められた記憶』

セネガル出身の新しい才能。この水準の小説を発表し続けるなら40年後にはノーベル文学賞を受賞するでしょう。一作だけで消えたかつての文壇の寵児を追う私、という捜索の物語は世に大量にありますが、本書は特別に重たいです。全編の会話が広義の文学論になっており、冒険小説の体をした思想書とも言えます。

帯文にあるように「なぜ人間は、作家は書くのか」とまさにその一点に向かう600ページは、パリにセネガルに時空も視点も超えた自由な移動が行われ、読者は世界旅行の気分を味わえます。ただ結局のところ主題の「軸」が強靭なので統一感が失われていないのが見事です。

これほど多くの本が書かれ、傑作も古典も死ぬまでに読みけれないほどあるというのに、なぜ人は書くのか。衒学的なポストモダンを抜けて、素朴な問いに再度真摯にぶつかる態度に、新しい時代の文学を息吹を感じます。

セネガル出身、パリに暮らす駆け出しの作家ジェガーヌには、気になる同郷の作家がいた。

1938年、デビュー作『人でなしの迷宮』でセンセーションを巻き起こし、「黒いランボー」とまで呼ばれた作家T・C・エリマン。しかしその直後、作品は回収騒ぎとなり、版元の出版社も廃業、ほぼ忘れ去られた存在となっていた。

そんなある日『人でなしの迷宮』を奇跡的に手に入れ、内容に感銘を受けたジェガーヌは、エリマン自身について調べはじめる。

公式ホームページのあらすじ

評伝・その他学術書

澤田直著『フェルナンド・ペソア伝 異名者たちの迷路』

ペソアは、ポルトガルのみならず20世紀ヨーロッパを代表する詩人のひとりですが、幾つもの名前や性格を使い分けた複雑な精神に迫るものです。某雑誌に連載という形だったためか一般の人にも読みやすい文章で、すっきりしていました。

生い立ちや事件、そして作品と生涯の関りといった定番を押さえつつ、さらに豊富な引用(これらがどれも心に響くものばかり)が添えられていて読書の悦びを感じられます。詩人の謎めいた生涯をまとめるというのも、ひとつの創作であるように感じられました。リスボンに行きたくなるはずです。

王寺賢太著『消え去る立法者 フランス啓蒙における歴史と政治』

各書評誌や学術レビューを沸かせた、今年屈指の話題作だったと思います。本書で分析されるモンテスキュー、ディドロ、ルソーの該当する著作を読んでいたり、18世紀のフランス思想にある程度の知識がないとついていけないものです。

公民や世界史でおなじみの啓蒙主義ですが、それらを「啓蒙思想」「民主主義」といったお決まりの固いフレーズから解き放ち、彼らがいかに革新的な思考を展開し、また批判したかという思想の熱を復活させる試みです。

法制度の権威として、法を制定した立法者の問題が出てきます。現状の根拠をどこに置くかのやりとりで、自然権を持ち出したり、ホッブス流の自然状態だったり様々なものを根拠に据えようと考えられてきました。

それらは自身の政治的立場の正統化のために、都合のいい起源神話をあつらえているに過ぎないと見るモンテスキュー。しかし自身も回顧的錯誤に陥っているとラディカルに批判するルソーといった、起源や根拠をめぐる思想のやり取りに興奮します。

二段組の膨大な量をかけて繰り広げられる「徹底的な読み」はSNSで見かける知的な云々とは決定的に違うもので、学術書にしかできないものだと強く思いました。

『共和国の美術』は起源や根拠をめぐる話を具体的な美術品の領域で展開したもの、『消え去る立法者』は18世紀フランス思想の分析で展開したもので、抽象度に違いはあれど、どちらもフランス的な知の行きつくところなのかなと思いました。権威を示すにも反逆し批判するにしても、正統なるものへの関心が極めて強いように感じます。その点でこの二冊は私の中で通じるものがありました。

ここから先は

961字 / 1画像
この記事のみ ¥ 300

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?