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ブルターニュ(西洋美術館)感想

シーレ展が日本における西洋美術展の未来を暗示するものだとしたら、それを受け止めどう展覧会を構成するかの「回答」になるような展示でした。

概要

フランス北西部のブルターニュ地方は、フランスの中でも特に土着の伝統文化が根強く残る地域。近代のフランスの画家たちはその内なる異国性に惹かれて、頻繁にブルターニュへ赴くようになる。そこで興った創作と文化交流、またそれに惹かれて海を渡った日本人画家たちの作品も紹介する。

まずブルターニュとはどんなところか、の紹介から始まる。風景版画とポスター、書籍が並ぶ

特徴としては、展覧会のホームページでも書いてあるように、絵葉書や書籍からトランクまでも展示されており、とにかく網羅的になっていました。油彩や版画だけの展示ではもはやありません。個々の画家の取り組みだけでなく、全体の把握、点ではなく面の鑑賞を促すような拡張の意欲が伝わってきます。

ターナー《ナント》1829年
ブルターニュ大公城

ターナーの水彩画が良かったです。ただ入口付近にあるので混雑と入口の照明のせいで見にくかったのが、残念ではありました。時代が19世紀前半なので前の方になってしまったのでしょうが、少し奥に置いてほしかったと思います。

モネ《ポール=ドモワの洞窟》1886年
茨城県立近代美術館

メインビジュアルのモネなどが並びます。その後はゴーガンと彼に影響を受けたポン=タヴェン派や、ブルターニュの地方画家たちの大作、そして日本の画家たちの作品へと続いていきました。

感想

綿密でよくまとめられている充実した内容でした。国内品でまとめながら、どうしても鍵になるゴーガンは国外品も合わせるという緩急をつけたものです。圧倒的に印象に残る作品はなくても、全体としていいものを観たと帰ることはできます。

強いて批判点を挙げるなら、ブルターニュが独特の雰囲気を持っていて、それが中央の画家たちを引き寄せたわけですが、国内の異国、内なるオリエンタリズムみたいなものをやはり感じるわけで、そこに見られる政治的なアレコレについてはやはり薄いです。

ブルターニュの人々は基本女性や女の子ばかり描かれており、典型的な植民地絵画の眼差しなのですが、そのあたりの政治性への観点はあまり提示されませんでした。

ゴーガン《海辺に立つブルターニュの少女たち》1889年 西洋美術館

また19世紀後半には、地方文化復権運動(例えば南仏ならオック語の復権運動など)があったはずですが、それらよりは最初から最後まで、中央→地方の構図が統一感をもって伝わってくるものでした。やはり政治性についての考察や提示はかなり控えめです。

ただそこまで広げると展覧会の収拾がつかないので、意図的にやらなかったと見る方が自然ではありますが、脱政治臭は気になりました。

もしドイツや英米の美術館が「日本美術における東北展」をやったら、描かれる対象についてだけではなく、東京に対する権力勾配や見られるものとしての東北など、かなり政治的な部分まで確実に踏み込むでしょう。

今後の日本の展覧会の傾向予測

①日本の国内美術館所蔵品が相当数

キービジュアルのモネを始め、ほとんどが日本国内の所蔵品で構成された展覧会でした。ブルターニュ大公城とオルセー美術館から少しは借りてきていますが、ほぼ日本国内所蔵品だけで回したとみなしていいくらいのものです。もちろんその点輸送費等かなり安く抑えられるので、経済合理性があります。おそらく今後の西洋美術館および、日本の美術館は日本国内所蔵品によって展覧会を構成するようになるはずです。

エミール・ベルナール 《ポン=タヴェンの市場》1888年 岐阜県立美術館
岐阜県立美術館の貢献がとても大きかった印象

海外から借りてくるコストと、厳しい美術館の経済事情を考えるとこうなります。それはとても賢いのですが、その分綿密な企画力が求められます。西洋美術館は権威もあり、一流の学芸員が揃っているのでまだ可能ですが、あまり余裕のない館ではかなり厳しいことになりそうです。

海外から借りてきた数点の一級品の印象でなんとか持っていた質の展覧会も多かっただけに、美術館や展覧会の選別がより一層加速するでしょう。

また日本にある西洋美術のコレクションは、どうしても19世紀後半から20世紀の美術に偏っているので、この感じでやっていくと似たような展覧会しかできないということになります。西洋美術館も今回がポップアップ的なもので力が入っていましたが、コンスタントにこれらができるかは未知数です。もうオールドマスターの展示は日本では滅多に観られなくなるのでしょう。

②新発見や新たな画家の紹介

展覧会中盤のブルターニュの地方画家たちの黒っぽい印象の大画面絵画は、SNSを見る限りとても驚いている人が多かったです。私も彼らの名前や芸術を全く知らなかったので新鮮でした。また日本の画家たちが「西洋美術館」でこれほど展示されるのも珍しいなと思いました。

小杉未醒のブルターニュ屏風絵はひときわインパクトがあった。

無名の画家の紹介や知られざる作品の発掘提示は、巨匠を扱うことに比べて低コストの割には大きなインパクトを鑑賞者に与えることができます。これは西洋美術に限らず、今後の日本における展覧会のメインテーマになってくるはずです。

こんな作品が、こんな表現が、というのは本当に無数にあります。それら美術史の本がそのストーリーを書きたいがために切り捨ててきた部分を拾い上げる内容は、当然ながら見たことがない作品ばかりで、私たちに驚きをもたらします。低コストでインパクト大、しかも美術館の学術的功績にもなります。今後確実にこの手の展示が増えてくるはずで楽しみです。

まとめ

画期的な取り組みが随所に見られた展覧会でした。今後の日本の展覧会の行方を例示するようなものでもあり、これからの展開を一愛好家として見ていきたいと思います。本展はコロナ以降の日本における展覧会の序章と見ていいです。

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