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【ヤべえ映画】上映時間驚異の6時間!?-現代イタリア史"鉛の時代"の暴力と闇【概要】


上映前には草餅を食え!

 先日土曜日、私は映画館を前にして覚悟を決めていました。「今から6時間越えの映画を見るぞ……!」『シンエヴァ』で約2時間34分、『タイタニック』で約3時間15分……。長尺と名高い二作と比べても上映時間6時間というのはなんとも圧倒的。

正確に言えば、前編3時間 休憩20分 後編3時間 という正気じゃない強行スケジュール。「懲役6時間」といっても過言ではない。
ともあれ、最大の懸念はやはり「トイレ問題」。
上映中にトイレに離席するのは邪魔だし恥ずかしい!そして話が分からなくなる。
それだけは避けたい私は、Twitterで以前見た「草餅や大福を食べれば尿意が消える」というライフハックを信じて、前後編用に草餅を二つ装備して参戦。すると、本当に3時間ずつトイレを我慢することに成功!
餅が水分を吸収するのか、白米だとどうなのか、いまだに詳しい原理は不明なものの、ともかくお餅を二つ食べて観ることを強くオススメする!


映画の概要『夜の外側 イタリアを震撼させた55日間』

そんな覚悟を決めた映画のタイトルは、
マルコ・ベロッキオ監督の『夜の外側 イタリアを震撼させた55日間』。

1978年3月のある朝、戦後30年間にわたってイタリアの政権を握ってきたキリスト教民主党の党首で、元首相のアルド・モーロが、極左武装グループ「赤い旅団」に襲撃、誘拐されてしまう。世界が注目し、イタリア中が恐怖に包まれたその日から、55日間の事件の真相を、アルド・モーロ自身、救出の陣頭指揮を執った内務大臣フランチェスコ・コッシーガ、モーロと旧知の仲である教皇パウロ6世、赤い旅団のメンバーであるアドリアーナ・ファランダ、そして妻であるエレオノーラ・モーロの視点から描く。果たして、アルド・モーロは救出されるのか―。

映画公式サイトより

イタリアで1970年代に発生した実際の元首相誘拐事件が題材となっています。アルド・モーロ首相は当時のイタリアで歴代最長の内閣を率い、事件発生時は与党・キリスト教民主党(DC)の党首を続けていました。
そんな最中、極左過激団体「赤い旅団」に白昼堂々襲撃されてしまうのです。

当時のイタリアは「鉛の時代」(anni di piombo)と呼ばれ、極右・極左ともに一般民衆を巻き込みまくりの爆破テロ・暗殺・狙撃などが盛んだったのです。

「鉛の時代」とは

第二次世界大戦の終わり方


そもそも何故そこまで暴力の吹きすさぶ時代に至ったのでしょうか。
第二次世界大戦中イタリアはファシスト党率いる独裁者ベニート・ムッソリーニの指導の下、枢軸国側で参戦。ところが相次ぐ敗退の末シチリア島への連合軍の上陸を許してしまい、ムッソリーニ自身も国王から「統帥」(Duce)を解任されてしまいます。ところが、連合軍の進行が遅れたこと・ファシスト体制を否定したパドリオ新政権が連携に遅れたこと、北部に逃れたムッソリーニが「イタリア社会共和国RSI」を打ち立てたことにより凄惨な内戦が始まりました。内戦はRSIは滅亡し、イタリア王国が再統一される→王政が廃止され現在のイタリア共和国に、という流れですが、
この過程で民衆は独自に武装したパルチザンとなり独自にファシズムと戦ったという自負が生まれます。
彼らはソ連と強いつながりのあるイタリア共産党や社会党の影響を強く受けており、戦後のイタリアは左派勢力が強いきっかけとなりました。
一方で南部イタリアではネオ・ファシズムの流れを組む「イタリア社会運動PSI」が支持を得るなど分断も存在していました。


学生運動から暴力の時代へ


1956年のスターリン批判やハンガリー動乱、といった共産圏の情勢変化を受けてイタリア共産党や社会党は徐々に武力革命路線から議会活動を通じて勢力を伸ばす穏健な「ユーロ・コミュニズム」と呼ばれる路線に徐々にシフトしていきました。
これに怒ったのが学生や多くの若年者です。
あくまで純粋な武装闘争やイデオロギーに拘る彼らは、武力による共産革命の実現を目指して「赤い旅団」など次々と武力組織が結成されていきました。

「鉛の時代」事件簿


具体的に発生した凶悪事件は次の通り。戦後の日本の安保闘争や東大全共闘などとは比べ物になりません。


・1969年12月12日フォンターナ広場爆破事件(死者17 負傷者88)
・1970年7月22日ジョイア・タウロ虐殺事件(死者6 負傷者66)
・1973年ミラノ警察本部爆破事件(死者4 負傷者52)
・1974年バチカン銀行と関係の深いアンブロシアーノ銀行頭取
 ミケーレ・シンドーナが殺人・マネーロンダリングの罪で逮捕
1978年5月元首相アルド・モーロの誘拐事件。
・1978年8月ローマ教皇にヨハネ・パウロ一世が就任。
 が、バチカン銀行の改革を表明した33日後に突然死。
・1980年8月2日ボローニャ駅爆破事件(死者85 負傷者202)
・1982年6月17日シンドーナの後任であるアンブロシアーノ銀行頭取ロベル
 ト・カルヴィがロンドン市内の橋で首吊り死体として発見される。

『イタリア20世紀史 熱狂と希望の100年』

まず冒頭のフォンターナ広場爆破事件。事件直後に逮捕されたのはジュゼッペ・ピネッリという無政府主義者ですが、彼にはアリバイがあり犯行は不可能でした。にも拘らず法定時間を超える40時間以上の取り調べの末、彼はミラノ警察署の4階から「転落死」してしまいます。その死が他殺か自殺かは未だ不明。


銀行家ミケーレ・シンドーナの事件は少し複雑です。海外銀行を含む膨大な銀行を取り仕切り「リラの守護者」としてイタリア財界で評価されていた彼の裏の顔は、元マフィアであり、その知古によってバチカン銀行でのマフィア資金のマネーロンダリングに関わっていたのです。先述の教皇ヨハネ・パウロ一世の急死も、シンドーナらによる暗殺とされています。

このように、絶え間ない暴力と政治闘争が70年代のイタリアを暗く覆っていたのです。

モーロ元首相はなぜ襲われたのか

アルド・モーロ元首相

日本の自民党とは違い、安定多数を得られず常に少数与党であったキリスト教民主党は、自由党や共和党といった他政党と何度も連立しています。それはユーロ・コミュニズム路線を採っていた社会党も例外ではありませんでした。

そしてキリスト教民主党は伝統的で強固なカトリック信者を岩盤支持層としていましたが、当時の国会では左派の伸長で人工妊娠中絶解禁が審議されるなど既存のカトリック信仰は薄れつつあった時代であり、与党への支持もまた低迷していたのです。

そんな中で当時の党首アルド・モーロは、共産党を連立政権に参加させることで幅広い支持層を得ることを画策します。

モーロの打ち出した方針にアンドレオッティ首相やコッシーガ内務大臣や党内は猛反発。反対は先鋭的な共産主義に警戒するローマ教皇とカトリック信者、さらには政権との馴れ合いを拒絶する極左勢力にまで広がっていったのです。モーロはまさに四面楚歌。

そんな中、極左暴力集団「赤い旅団」にモーロが誘拐されてしまうという事件が勃発したのです。

そして元首相の誘拐事件という前代未聞の出来事にも関わらず、利益を得る人物が政治家の中に、某国の中にいたのでした……。

映画の見どころについて

見どころは何と言っても、教皇・与党政治家・軍人・革命家・家族の間で行われる政治劇。特に誘拐事件を背景にして、某国の意向を受けたり私欲を満たそうとしたり、人間らしさがたまりません。

詳細は伏せますが、「この閣議に出席している全員がロッジP2会員だ……」というセリフがあり思わず興奮しました。

他にも想像を絶する当時のイタリアの治安の悪さやイタリア語についてなど見どころはたくさんあります。

大変な映画ではありますが、見終わった後の見ごたえは間違いなしです!
ぜひ草餅を食べながら観てみてください!

参考サイト・資料

・映画公式サイト

・「鉛の時代」の解説記事を、私がこちらのHPでも連載しております。
より詳しくディープな内容なのでぜひご覧ください。
世界史連載初回:~ロッジP2・夜の外側の陰謀~ 「鉛の時代」から垣間見るイタリア現代史 | 危険科学部 (esc-kikenkagakubu.com)

・『【ゆっくり解説】イタリア史上最悪の時代 : 鉛、陰謀、ロッジP2』
https://youtu.be/UjkW2xUfhvs?si=ppkR84z8XUIF9Xfs
・「元過激派の霊夢」氏による1時間程度のゆっくり解説動画
・圧倒的情報量と編集の巧みさに引き込まれてしまいます。
・本稿著者を含む歴史オタクに「鉛の時代」が浸透している震源です。

参考文献

村上信一郎 監訳, 2010, 『イタリア20世紀史 熱狂と恐怖と希望の100年』,名古屋大学出版会

それでは、ここまでお読みくださりありがとうございました!


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