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【結婚記念日】

12月1日は結婚記念日だ。

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それは、38年前の雪がチラつく日であった。東京で貧乏暮らしをしていた僕には世間並みの〈結婚式〉を挙げる金が無かったので、僕達の〈結婚式〉と〈披露宴〉は、親戚の家を会場にした手作りのものだった。

東京で暮らしていたその年の6月に、親から1通の封筒が送られてきたのだが、それは〈お見合い〉を促す内容のものであった。

封筒の中には何処かの娘さんの写真が3葉同封されていたのだが、広島での失恋が尾を引いていることもあって、〈お見合い〉をする気など全く無い僕は、一通り写真を見ただけで、特に感じるものは無かったのである。

まぁ折角の親心なので無視することは出来ないから、電話をして断ることにしたのであった。

まだ携帯が無い時代であったし、部屋に電話も着けていないので、路地の角にある〈公衆電話〉を使うしかなかった。東京から故郷の広島までの市外電話なので、100円玉と10円玉をシコタマ準備して掛けたものである。

結局、〈お見合い〉をするだけでいいから、1回帰って来いという親の声に屈して、帰広する約束をしてしまったのだった。

双方の親達の動きは早かった。2ヶ月後の8月には〈お見合い〉の段取りを整えてしまったのだ。

連絡を受けた僕は、しょうがないので〈お見合い〉の為に広島に帰ったのである。

・・・・・・・

あれは本当に暑い日だった・・・親戚の家で〈お見合い〉をさせられた僕と娘さんは、皆んなにせかされて強制デートに駆り出されたのであった。さっき会ったばかりの女性といきなりデートだなんて、緊張どころの話ではない。

それでもなんとか「平和公園」まで辿り着き、話す話題もないまま喫茶店に入ったのである。彼女がオレンジジュース、僕がコーヒーを頼み・・・趣味の話くらいしか話すことがないのでそんな話をしていた・・・

ところが、突然僕の口から有り得ない言葉が出てきたのだ。

「あのぉ~~S子さん・・・」

「はい・・・」

「こんな僕で良かったら・・結婚して頂だけますか・・・❓️」

〈おいおいおいおい❗️僕は何を言ってるんだ❗️」

そしてこともあろうに、彼女がこう言ったのだ。

「・・・はい・・私で良ければ、よろしくお願いします」

〈えぇ~~~っ❗️婚約成立❗️〉

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それからの親達の動きがこれまた早かった。8月に〈お見合い〉をしたばかりなのに、結婚式の日取りが12月1日に決定したのである。

少し早目に東京を引き揚げて広島に帰った僕なのだが、彼女の実家が山口県ということもあって、挙式までに彼女に会ったのが僅か3回であった。

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手作り披露宴が終り、僕達は〈新婚旅行〉に出発することになった。雪がチラつく昼過ぎだった。

弟に借りた、当時大人気だったMAZDAの〈赤いファミリア〉に乗って、皆んなに見送られながら、地図も持たない1週間の新婚旅行に出発したのである。宿泊も総て飛び込みで決めなければならないという、チョッと無謀な旅行ではあった。

さて、夕暮れが近くなった頃、車は山陰の国道9号線を東に向けて走っていた。もう宿を決めなければならない。

「・・S子さん、どこに泊まりますか❓️」

「・・どこでもいいです」

まだまだギコちない会話が続くのだ。無理もない。会うのが今日で4回目なのだから・・

暫く走っていると、左側に〈国民宿舎〉が見えてきた。

結局、第一夜はそこに泊まることになったのだが、まだ手も握っていない2人が、初めて同じ部屋に泊まってどうなったのかは皆様のご想像にお任せすることにするが、思い出すだけでもこっぱずかしくなるような状況であったことは間違いない。

それでも日に々に〈氷〉が溶けてきて、2人の距離が少しづつではあるが近しくなっていったのであった。

国民宿舎の次には〈ビジネスホテル〉や〈温泉旅館〉、仕舞いにゃ〈ラブホテル〉にまで行ったりして、福井など北陸方面への行き当たりばったりの新婚旅行を終えたのである。

貧乏旅行だったけれども、ドキドキワクワクの、実に楽しい1週間だったのだ。

・・・・・・・

そんな結婚だった。

なぜあの時プロポーズの言葉が出たのか・・今でも不明である。

あれから38年が経った・・・

今日まで喧嘩なんか1度もしなかった・・ことにしておこうか・・・

・・さて、今夜は結婚記念日を祝して、ステーキを焼き、家内の好きなボルドーの赤ワインで乾杯でもしようかなぁ・・・


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