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中国のベトナム語 -京語を探る 音声・文法編-

中国領内のキン(京)族の言葉、京語を探る特集。過去2回の記事はこちら。

第3回では音声と文法を見ていこう。と、その前に京族の歴史について、なんと現地にまで行ったことがあるCà cmn Cuốngさんからすごく参考になるツイートがあった。特に重要なのは2枚目の写真。

現在、京族の人たちは広西省チワン族自治区東興市の海岸沿いに集住しているが、清代に書かれた当地の郷約(村の規約)によると16世紀始めごろ(明代)にベトナムから移住したという記載があるとのこと。これに従うと中国の京族は500年くらいの歴史があり、ベトナム南部方言よりは少し早めに分岐したと言えそうだ。ちなみにベトナムの南進についてはWikipedia(英語版)の記事にある地図が分かりやすい。

ただ、言語学的にみると500年というのはそれほど長いタイムスパンではないので、第2回の記事の結論「京語はほぼベトナム語」とも矛盾しないと思う。500年くらいでは言語構造はそれほど大きく変わらない。

京語の音声特徴

それでは早速音声の特徴から見ていきたいが、その前に重要な注意点がある。今回の記事を書く上で参考にしたのは一冊の会話集のみで、私自身は実際の京語音声を聞いたことがない。そのため、これから紹介するのはクォックグーの綴り方の特徴を拾っただけであり、本当に音声として区別が生じているのかはよく分からない。ただそれでも、ベトナム語の標準的なクォックグーと規則的に綴りを区別した箇所では異なった発音をする可能性が高いだろう。

以下、「標準ベトナム語 → 京語」で音対応を書いて会話集の中で見つけた具体例を一気に挙げていく。

D- → Y-:(南部方言と共通)
yân tộc「民族」、yậy「起きる」、yà「年取った」、yạy「教える」、ya「皮」、yu lịt「旅行」

Gi- → Y-:(南部方言と共通)
yì「何」、hai yờ「2時」、thầy yáo「教師(男)」、tham ya「参加」etc.

R- → Y-:
yừng「林」、yồi「完了 rồi」、yượu「酒」、yất「とても rất」、yét「寒い」、ya「出る」etc.

S- → Th-:
ăn tháng「朝ご飯を食べる」、tháng thớm「朝」、thữa「牛乳」、thân vận động「運動場」、tháng tháu「六月」、thau「後」etc.
*ただし、たまに「s-」が出る(粤語借用語のみ)。
ngàn cáu sáng「研究生(大学院生)」 、lý sé「旅社(ホテル)」、sáu kỳ「收據(領収書)」

Tr- → T-:
 tứng「卵」、tắng「白」、tước「前」、tường「長」、Tưa「お昼」、tẻ「若い」、tường học「学校」、tăm 「百」etc.
Tr- → Y-:
yời「空 trời」、yai「男 trai」、yở lại「戻る」
*中国だけは "Trung Quốc"と「Tr-」が残る。

-ch →. -t:(南部方言と共通)
tiếng khát「中国語:khách『客』より」、khát「他の」、thít「好き」、yu lịt「旅行」
*-nhはそのまま

ɬ-:(粤語借用語のみ)
ɬíu học「小学」、một ɬấng khì「一星期(一週間)」、ứng ɬếng khắp「五星級(五つ星クラス)」etc.

-ua, -uâ → -a, â:(偶発的?)
nghệ thật「芸術」、mùa xân「春」

整理した音対応を見ると、南部方言とも共通する部分もそこそこあるため「やっぱりベトナム語だな」と改めて感じる。私はハノイと南部方言しか知らないが、おそらく南部以外の方言とも対応する部分があるのではないだろうか。"Tr-"だけは"T-"と"Y-"に一部割れているが、多くの語は"T-"であり"Y-"は例外的に少数の語だけで現れる印象がある。

京語の文法特徴

次に京語の文法特徴を見てみたいのだが、正直に言うとベトナム語と差異がほとんどなく、以下の一点がかろうじて挙げられそうである。

経験の表現 "V + qua"の多用
Chúng tôi xem qua nhiều chỗ cú chếc.「私たちは多くの名所を見たことがあります
Đi qua hai lần「二回行ったことがあります
Chúng mày còn đi đâu qua không? 「あなたたちは他にどこに行ったことがありますか?」
Còn đi qua Hải Nam「海南島にも行ったことがあります」

ベトナム語の経験表現として最も代表的なのは"đã từng + V"だと思うが、会話集の中では一回も出てくることはなく常に"V + qua"の構文が使われていた。ベトナム語の辞書を調べると"V + qua"も「経験」として載っているので京語に特有の特徴とは決して言えないのだが、"V + qua"を多用することは中国語の経験表現「V+過」からの影響を受けているようにも見える。

文法で指摘できるのはこの一点だけである。音声と文法の特徴を総合すると、京語にはベトナム語からかけ離れた特徴は一切見当たらず「粤語からの語彙を多めに取り入れたベトナム語」という以前の結論が一層はっきりしたと思う。

最後に京語の動画を探してみる。

ここまで記事を書いてから、YoutubeにあるCCTVで京族の特集番組を探してみたら、なんとあった。

中盤あたり(20分前後)でチュノムの紹介があり、22:20あたりで京語が少しだけ聴ける。注目は"初來庄別東西 Sơ lai chẳng biết Đông Tây"の最初の"Sơ"を[thơ]と発音している部分(22:36)で、ここで扱った「S-→Th-」が実際に起きているのが分かる。それ以外でも"洪順 Hồng thuận"を[hồng thận]と読んでいるように聞こえる。