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後ろ向きの語学学習

2020年にコロナ禍の幕が開けてからほぼ二年。この二年間は自分の語学にとってプラス面もマイナス面も両方あった。先にマイナス面を言ってしまうと、リアルな場面で人とやりとりする機会が失われてしまったので英語・中国語・ベトナム語での応答能力が急速に下がってしまった。外国語で口と頭を動かす機会がなくなると、複雑なアイデアを瞬時に表現しようとしてもすぐに詰まってしまう。

とは言っても、ステイホームばかりの引きこもり生活にもプラス面がなかったわけではない。特に有意義だと感じられたのは、外出や出張のスケジュールなどに煩わされずに大部の専門書やテキストにもじっくりと向き合えたこと。ちょうど自分の研究も転換期に来ていて中国語からベトナム語へ守備範囲を広げているのだけど、研究の基礎力となるベトナム語の知識をじっくり深めたり大量の文章を速読する練習に時間が確保できたのはすごくラッキーだった。ただ、いつになったらベトナムで特訓の成果を生かせるのかは全く不透明だけど。

10月からはフランス語にも挑戦をしてみたが、始めた途端に仕事が忙しくなってきてしまったのと、今回のメインテーマの「コロナのマイナス面の補完」が喫緊の課題に浮上してきたので一ヶ月ほどで中断にすることにした。これまでも新しい語学からの撤退は何度も経験しているけど、「新しい学習習慣を軌道に乗せる」のはやはり難しい。

もうそろそろ中国語もやらんと...

今回のお題は「後ろ向きの語学学習」なのだが、念頭にあるのは中国語のことだ。私自身、中国語は20年間勉強してきてとっくの昔にHSK6級(&旧HSK9級)を取ったし今ではそれを教えるのを生業にしているのだが、コロナ禍以前からベトナム語に比重を大きく割いていたこともあり、中国語のメンテナンスはあまり考慮にいれてなかった。しかし、コロナ禍以降は中国語を使う機会が本当になくなってしまったし、渡航できないことで最近の中国事情についても全く疎くなってしまったので、中国についての知識も中国語力もサビついているのが否定できなくなってきてしまった。新しい研究テーマでは中国語の文法もかなり扱うのだけど、中国語文法の専門書を読んでいると「語彙や文構造の難しい文例」の意味がすんなり読み取れないことも少しずつ増えてきた。以前、中国ライターの安田峰俊氏が書いていた「孔子ブートキャンプ」の記事もインパクトがあって時々思い出すこともあり、「そろそろ中国語のテコ入れ時期か...」と観念して中国語のカンを取り戻すための「保守・復元作業」を始めることにした。

中国語のリハビリ活動 インフラから整える

外国語の学習スタイルは人によって千差万別なのだが、私の場合は「生活全般を外国語で溢れさせてしまうスタイル」が一番好きだ。見るものも聞くものもほぼ全てを外国語に切り替えて過ごしていき、アウトプットもどんどん増やしていく。その際にどうしても必要になるのは自分の興味関心と相性が良いメディアの存在だ以前はCCTV(中国中央電視台)がyoutubeで見られただけで感動していたのだが、残念ながら私は爱国主义者ではないので最近しきりに流れてくる話題や風潮は全く刺さらない。もう少しリラックスして見られる話がないかなと改めて色々探してみたところ、シンガポール・香港をベースにしている独立メディアの「端傳媒」の扱う話題が自分の興味に一番合っている気がしたので思い切って定期購読することにした。(下のリンクが「端傳媒」。noteだとなぜか「タイトル未設定」)

定期購読をするとアプリを使って色んなコンテンツが閲覧できるようになるのだが、とりわけ音声ポッドキャストの「端開麥」が面白い。広東語母語話者の香港人MCが普通話で話しているのだが、「普通話ではどう言ったら分からない」という局面が結構出てきて、その切り抜け方は私たち外国人にもかなり参考になる。

「端傳媒」との相性はかなり良かったようで、定期購読を始めてからは中国語に触れる機会がグンと増えた。次はアウトプットを増やそうということで中国語圏の友人と話す機会も作っているのだが、同世代の彼らも仕事や家事育児に忙しそうなのであまり邪魔するのも良くない。ということで、最近は中国語教育のためのリサーチも兼ねて巷に溢れている「オンライン中国語レッスン」を少し物色している。

最初の数回を無料サービスにしてくれるプラットフォームがあったので少し試してみたが、「日本語では無愛想なのに中国語だと楽しく世間話ができる」という自分の性格に気づくという思わぬ発見があった(笑)コロナ禍もあったのですっかり忘れていたのだけど、全く知らない人と損得関係ない話をするのは結構楽しい...

2022年からは研究に使う言語も今までの英語中心から中国語にシフトしていこうと思っている。ここ数年の中国語圏の学術研究の質の向上と急速な広がりを見ていると、中国語での発信力に今まで以上の可能性を感じるようになってきたのがその理由なのだが、それについてはまた記事を改めて紹介しよう。