無限ドーナツ

目の前にはドーナツがある。白くてまあるい皿の真ん中。チョコの生地に、溶かしたチョコレートを被せた、チョコドーナツ。もちろん穴は空いている。顔を近づければ、ほのかに甘い香りがする。食べたい、と思う。

それでも手は動かない。ドーナツを手に取って食べるなんて、簡単なことなのに。お腹が空いていないわけでもない。昨日の夜からなにも食べていない私のお腹は、このドーナツの穴のように空っぽのはずだ。

そういえば、どうしてこんな部屋に居るんだろう。白い壁に、白い机に、白い椅子。壁に時計は掛かっているけれど、文字盤が白くて読めない。

私とドーナツだけが色をもつ部屋。それなのに私は空っぽ。お腹もこころも。だからなんとなく、この部屋はドーナツに支配されている。ドーナツのこころには、どれだけのものが詰まっているのか分からないけれど。たぶん、このチョコドーナツには、ものすごく豊かなこころが秘められている。

空っぽなのに色をもつ私は、ドーナツを食べることで生きている。ドーナツを食べることで、色を得ている。いつもならドーナツをばくばく食べる。でも、今日はなんだかドーナツがえらいもののように思える。だから、手がのびない。

私は、ふと牛乳がないことに気づく。ドーナツのそばには牛乳が控えてないといけない。でも、どこにもなかった。牛乳は白いから、この部屋に擬態しているのかもしれない。探し出してみせる。私は部屋をうろちょろする。やっぱりない。牛乳がないと、ドーナツが食べれない。口がぱさぱさしてしまう。だから、私はドーナツを食べなかったのかもしれない。

ドーナツを食べられない私は、この時間をやり過ごさなくてはいけない。なんとかして、この無限に間延びした時間を。

過去のことを思い浮かべてみる。これだ、と思うと思い出は、するすると私の手から抜け出ていく。お風呂の入浴剤みたい。そういえば、あれも白かった。

過去がだめなら、未来を見つめてみる。なんとなく、想像できない。もしかしたら、想像したくないのかもしれない。よしなしごとさえ浮かばない。小さな幸福も不幸も、なにも顔をみせない。私が嫌われているのかもしれない。

しかたなく、現在にもどってくる。すると、まだドーナツは目の前にあった。いつまでたっても、変わらない。

まだ手はのびない。けれど、もうドーナツを食べるしかない。私に残された手段は、それしかない。もうどこにも行くべきところがない。ゆっくりと、ドーナツに顔を近づける。犬みたいに、ドーナツにかぶりついた。

うまく食べることができなくて、ぽろぽろと口からドーナツの欠片がこぼれた。私に食べられたドーナツは、ランドルト環みたいになって、穴をうしなった。

私はみたされた。牛乳はなかったけれど。みたされたから、眠ろうと思う。たぶん、起きたら、ドーナツはもとのかたちにもどっている。

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