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深夜特急を読んで欧州を目指した二十歳の頃-#1-

大学に入ってすぐ、高校時代のほうが楽しかったなって思いませんでした?僕はそんな大学生活だったんですよね残念ながら。訳あって中央大学の理工学部に進学したのですが、電気電子工学科には女性が二人しかおらず、共学高校から突然の男子校に進学してしまった自分は、面白いことないかなぁと日々思いながら過ごしていた。

横浜の端っこにある実家から水道橋まで通学していたけど、地元に帰ると似たような境遇にある中高の友達がちょくちょく家の前で声をかけて来ていた。あれはなんだったんだろうな、携帯がない時代のコミュニケーションがそのまま残っていた時代。明かりがついてると声かければ出てくるよなと言う暗黙の了解があったのだと思う。

そんな友人の中の一人が、ある時持ってきたのが沢木耕太郎が書いた「深夜特急」シリーズだった。そいつが大学の友達とやってきて、この本を置いていった。友達だけど親友未満くらいの奴だったが、ある日やってきてそんな話になったんだ。彼は今建築家になって世界中を飛び回っている。

深夜特急は沢木耕太郎自身が香港からロンドンをバスを使って目指すバックパッカー旅行記なのだが、当時の僕に取っては「これだ!」と思うに十分な刺激に満ちた話だった。そもそもバックパックで旅をするという事がわからなかったし、バスでたどり着くという行為が途方もなく意味がわからなかったのだが、今やるしかない!という確信だけはあった。

深夜特急を読み終わったあとに、親友二人に布教し、来年行こうぜといったのが大学2年だったと思う。一年がかりで80万円を貯めて、一ヶ月ちょっとのオープンチケットを買い、トーマス・クックの電車の時刻表と深夜特急の最終巻をかばんに詰め込んでロンドンに到着したのが2001年の8月。深夜特急の順路でいえばゴールからのスタートになるんだけど、とにかく二十歳の頃の僕はロンドンをスタートにしてアテネから帰るオープンチケットの航空券を取ってヨーロッパ後にたどり着いていた。(オープンチケットっていうのは、出発と帰還地点だけが決まったチケットで、変える日はだいたいこのへんの日付で帰れよっていう感じのチケットだったと思う)

ここまで書いて思い出したけど、当時の日記が家に眠っている気がする。今度見つけてみようか。

英語力なんて皆無、海外旅行はフィリピンに行ったことはあるけど、大学の先生と一緒だったし英語堪能な友人がいた中で行っただけだった。なんにも後ろ盾のない旅は初めてだったし、今思えばよく行ったなと思うけれども。

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ロンドンにたどり着いた僕ら三人がまず最初に何をするのかというと、宿探しだ。初日の宿すら取らずに来ているのだから、寝床を探さねばならない。大英博物館には絶対に行きたいと思った僕らは、その付近で泊まれるところを探す。ポンドなんて初めて使う僕らは、どきどきしながら空き部屋あるかい泊まれるかい?と数件あたって交渉した。みんなで一軒ずつあたるのが効率悪いから各自行くぞってなって、たまたま値段感の良いドミトリーを見つけたのだった。

ドミトリーってのは簡単に言えば相部屋の宿だ。部屋に誰かが泊まっている。深夜特急読んでると、そんなのは当たり前だったし、むしろそれがいい!みたいな勢いがあったのもあって予算内に収まった初日の宿はそこに決めたのだった。

これで野宿せずに過ごせると安堵した僕らは早速部屋に案内してもらった。先人がいるのかいないのか、どきどきしながら扉を開けると、洗濯物と下着が干されていた。"女性物"の下着

いやいや、んなことあるかよ…ドミトリーに女一人って…

青少年たちには十分な刺激を目にしながら、しかし部屋にいないので僕らは荷物をおいて大英博物館へとでかけていったのだった。

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(続く、かも

*写真はすべて当時のデジカメで撮影したものです

続編


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