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ギーク中国語講座に参加したら深圳に工場がある会社に転職してしまった話

ギーク中国語コミュニティに度々参加してくれているコアメンバーによる体験談をこれから連載していきます。第一弾は思わぬ出会いから運命のように転職をしてしまったお話。
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このタイトルで読者の皆さんはどんな話を期待しているだろう。私とギーク中国語講座の関係、私にとっての深圳、私と中国語、私の仕事ということを書いてみよう。ひとつながりに書いていくけど、一応時系列にはなっているはずである。

ギーク中国語講座との最初の出会いは、ある日の冬のこと、中国によく行く知人から「中国通なのに銀行口座と電話持ってないの?ギーク中国語で必要会話を教えてくれるよ」と誘われた。中国語に関して自分に出来ないことがあるのが悔しかったので学びたいと参加することにした。

そのまま続けて中国語講座に何回か参加しつづけ昨年の夏頃にメイカーフェアに一緒に行こうということになる。前職は機械部品の商社だったとはいえ全くの文科系の私は日本国内すらメイカーフェアに行ったことがなく、電子工作も作ったこともなかった。電子工作の文化祭みたいなところで楽しいらしいと聞いて、私の知識を生かせる場所ではなさそうだと感じていた。でも深圳ってまだ行ったことないし(毎年行っている杭州とは違う文化があるだろう)だから好奇心で一緒に行ってみようと思った。初参加したメイカーフェアが中国深圳という海外開催の回になったわけである。

そうして今から1年前の秋に、深圳のメイカーフェアに行くことになった。開催直前に日程変更があり事前に予約した航空券と、変更後の日程で予約した航空券を、どちらも活用したので2週連続して深圳を訪問することになった。初めて行く街だから、フェアとは関係なく同時期に2回行くことで街を深く見られると思った。

初めて行った深圳の街の印象は、地下鉄もバスもあるし東京や台北や杭州と変わらない大都会だなという感覚だった。メイカーフェアに一緒に行った日本人と一緒に行動していたからほとんど中国語を使わなかったせいかもしれない。他の中国旅行の時は一人旅なので中国語しか話さないのだけど。深圳に在住の日本人や同じように日本から参加した人と交流した。電子部品の分野の人と話すのは今までなかったので月並みだが新鮮だった。

初参加のメイカーフェア深圳の感想も(タイトルとはあまり関係ないかもしれないが)書いておこう。日本語で物作りのイベントと言うと、失礼だが年配男性が多そうな感じがするが、深圳では小学生や幼稚園くらいの年齢の子供を連れた家族もかなりの人数が見に来ている印象だった。中国は教育に熱心な人が多いのだろうと思わせた。

帰国後3ヶ月たった冬頃に、深圳であった人と秋葉原で再会する機会があった。人生は複数の点が線のようにつながっていると思えるので、人生の転機がいつなのかをはっきりと1つの点のみで認識することは難しい。だが、秋葉原のあの日あの時も間違いなく重要な点だろう。今の会社の社長から直接「今、中国語ができて貿易の知識がある人材を探しているので、興味あれば書類を送ってください」と言われたのだ。その日の私は帰宅するやいなや、Google検索して履歴書フォームをダウンロードして社長宛に書類を送っていた。人生で大切な話は、お酒を飲みながら決まってしまうものなのだなということも重要な学びだ。

タイトルからは逆説的聞こえるかもしれないが、ギーク中国語講座の内容だけで仕事が得られたわけではない。もともと講座に行く前から中国語を話せたし(実は中学生の時から勉強している)、中国に行ったこともあったし(2015年くらいから行っている)、中国人の友達もいた(別で中国留学生交流支援のNPOとかにも出ている)。だがやはり、新しい職場に行くことが決まったのは、ギーク中国語講座に参加していた人が別のコミュニティの人と結び付けてくれたお陰だと思う。

会うべき人に会うべき時期に巡り合えたということなのかもしれない。ちょうど社会人数年目で最初の会社に飽きてきたころに、勢いがある会社の経営者を紹介してくれた人がいて、能力を買ってくれた人がいた。なぜあの日に社長に書類を送ったのかを考えてみると、タイミングと運が良かったし、人に恵まれたと、感謝しかない。仕事として何かを売ってお金を稼ぐなら、物を作って売るということに関りたいという思いがあって、代理店という立場で物作りの現場と消費の現場からは距離があったものの、新卒の会社は機械部品の商社だった。今の会社は中国の深圳に工場があり、製品は一般消費者がそのまま使える形をしていて、物作りの現場と消費の現場の両方により近づけたと思っている。


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