オリンピックをどう捉えるか

皆言ってる(のにアンケート等では黙殺される)けど、「延期すればよかった」のはまず間違いない。

メリット・デメリット

今やるメリット:
アスリートが人生かけてきた準備を無駄にしなくて済む(これが一番)
予定を変更して会場を押さえるのが大変?(まだわかる)
一年って約束したから?
中国より先にやりたいから?

今やるデメリット:
国内の感染リスクがある(他のスポーツイベントも全部そう)
国外へ持ち帰られる感染リスクもある(途上国が変異株持ち帰ったらどう責任取るんだろう)
矛盾したメッセージになる(=感染リスクが上がる&信頼度が下がる)
アスリートを歓迎できない
観光客を呼び込めない
日本の良さを体験することが不可能な状態で、現地開催のメリットが無い

やはりこういったメリット・デメリットを並べて議論すべきで、「一人でも死者が出るなら」とか「感染状況が悪化したら」なんてのは議論としては穴がある。(他の活動もすべて間接的に死者を出しているし、悪化してもすべてを止めるわけではない)

その上でやっぱり、延期できない理由って何よ……という議論にまっっっったく国会が至らなかったのが絶望的。

どうすれば良かったか

例え結論が変わらず「延期できない」であったとしても、その理由がまったく説明されていない以上、「五輪だけがどんな状況だろうと政府が開催を保証してくれる」という特権を得ている構図が完成し、多くの人が楽しみたかったはずの五輪が軽蔑の対象になり、自粛をお願いするにしても「なぜ五輪ができるんだ」という質問に誰も答えられない状況になってしまった。

・延期すれば良かった

・延期ができないなら、その理由の説明があれば良かった

その上でなお、延期したほうの「メリット」が圧倒的に大きいと思うんだけどなぁ。今やる「デメリット」でばかり指摘されてるけど、来年やるメリットの方が圧倒的に多くないですか。

政治は悲劇よりも不確定要素を避ける?

明らかに延期のメリットの方が大きいのにそれを選べないのは、

・不確定要素が増えるから

という説も考えた。去年えいやっと延期できたのは、デメリットを考えたのではなく、「どうなるかわからない」という状況を避ける力が働いたのだと考えると納得がいく(だって、感染状況なら去年の8月の方が圧倒的にマシだった)。今年やるなら、状況は最悪だけど、「最悪こうなる」がある程度は見えている(その最悪すらも考えてなさそうだけど……)。来年は状況良くなるだろうけど、どこまで良くなるかは見えていない。政治とか人間の意思決定機構ってそういうシステムなのかもしれない。不確定要素を含んだ正しい判断をするのは勇気が必要。

リスクが無いことはありえない

有観客かどうかが常に議論になったけど、これも「他のスポーツが観客入れてるから入れるべき」とかそういう話じゃなくて、そもそもどんなスポーツ・イベントも「常にリスクを持ってやっている」と自覚するべき。主催者側は「万全の対策をしています」と言ったり「クラスターは発生していない」などと主張するけど、はっきり言ってそれは五輪に限らず嘘だ。私は嘘が一番キライだ。経路不明感染がどれだけ多いか、無症状者の追跡がどれだけ難しいか、そのせいで我々は未だにこれを封じ込められていない。見つかっていない感染は常に起こっている。「可能な限りの対策はするけど、リスクはあるので自衛して来てください」が正しい。

日本はこういう所、「建前上安全」というのを重視するあまり、苦手だよねー。海外なんか、首相が「どうせ皆罹る」みたいに言ったり、イベント開催側も「リスクを受け入れて来てください」と書いてあったり、やっぱり寛容なんだなーと思う。日本人は本当のことであってもリスクを受け入れられないのが弱い。

リスクコミュニケーションという概念をコロナ禍で初めて聞いたが、ついぞその専門家が現れることはなかった。リスクについて、誰もが嘘や建前をふりかざした。それが残念だった。

「休日や夜間に飲み歩くこと」は感染リスクが「高い」かもしれないが、それは「比較的」でしかない。昼も夜も飲んでようが飲んでなかろうが、当たり前に感染リスクはある。職場でも学校でも。そういう基本的なリスクを丁寧に伝えることが必要だったと思う。

リソースを奪い合っている自覚を持つべき

感染者の減少というのは、ある種のリソースなんだ。

リソースが枯渇(医療逼迫、緊急事態宣言)となると、リソースを貯めるまで、自粛を迫られる。

だからそのリソースは、できるだけ公平に、感染リスクを鑑みて、国民に配られるべきもので、「一部の人は自粛しなくて良い」といったことは、そうしたリソースの簒奪でしかない。

そうした奪われたものは、また全員で自粛して取り戻さなければならない。リスクを犯している人はみな、フリーライダーだ。病になるリスクは自分でえ被っているが、病を抑えるためのリスクは他人に押し付けている。そういう人は少なからずいると思うが、社会の強制力に限界がある以上は仕方ない。

しかし、五輪がそのリソースの簒奪を政府のお墨付きを得てやるとなれば、なぜそんなことが許されるのか、なぜそのリソースは、他の文化芸術や医療のために割かれないのか、公平性の観点から説明されるべきだ。

お前のために自粛したんじゃない

五輪関係者で感染制御のプレイブックなどを作ってきた方は、本当に大変なお仕事だと思うし、お疲れ様としか言えない。そんな仕事も来年に延期してたらほとんど無くなっていたはずなのにね。

でも、忘れないでほしい。たとえ、例えこれで感染状況が悪化しなかったとしても、「五輪が安心・安全に制御できたから」ではないんだ。もちろんその努力も大切だし重要だが、同時に私達の自粛の成果にフリーライドしていることをゆめゆめ忘れないでほしい

今のうちに言っておくが、政府は五輪が終わったあと「我々の対策によって安全な大会が実施できたと自負している」などと宣う光景が目に浮かぶ。違います。アンタらが好き勝手してる横で、医療従事者や責任ある人がちゃんと自粛したから、そのリソースが生まれたんです。そしてその努力は、本当はライブに行きたいとか、友達に会いたいとか、そういうことを全て我慢してきた多くの、多くの人達の努力なんです。せめてそれに感謝するべき。

感謝されたところで、「お前のために自粛したんじゃない」んですけど。

五輪期間中をどう過ごすべきか

メディアは、PV稼ぐために「五輪でこんなバカ騒ぎが!自粛破り必至!」みたいな記事を出すだろうし、っていうかもう出てるし、嫌な感じがする。

けど、「政府が自粛しないなら俺らも自粛しない」は、まぁ、結果として政府もダメージ食らうかもしれないけど、それよりコロナかかって何週間も苦しんだり後遺症が残ったり最悪死んだりしたら本当に取り返しがつかないので、ダメです。メディアもそれを煽らないでほしい。

家で楽しみましょう。本当に残念な状況だけど、やっぱりアスリートは応援したいし、開会式の演出は楽しみ。どんな皮肉が出るのかも含めて。

その上で、

「五輪ができるなら○○してもいいですよね」ってグレるんじゃなくて、

「政府が無策なのに私達が頑張って自粛したから、五輪も大事にならず終えられたんですよ」と言えるようにしましょう。

終わったあとに政府が自分たちの手柄だと思いこんでたら「誰のお陰だと思ってんだ」と言ってやりましょう。

いやーーーーほんとムカつきますけどね。

何にしても、ワクチン2回接種完了&数週間後までは、防御してたほうがいいのは変わりないので、なんとか持ちこたえましょう。

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