見出し画像

パリ・オペラ座の日々1993~1994:10月11、12日 ガルニエ宮でトワイラ・サープ


10月11日

FIAPでの第三週授業開始。今週から先生がDaniellaという人に変わった。ダニエラ先生もとても感じが良い。学校のあと(雪)と待ち合わせてお茶してバレエレッスンへ。(G)は額縁を買ったり、BATAで靴を、BHVでCDなど購入。

額縁① 49F
額縁② 69F
CD 132F
靴 350F
FIAP授業料 460F
ポム・ド・パン 13F


10月12日

(雪)は午前中オペラ座でチケット買い出し。イタリア観光局へ行って旅行の情報収集。(G)は学校の後、ハイメ君、シングー君とカフェでお話。その後ポム・ド・パンで(雪)と待ち合わせ。(雪)はその後バスチーユでカサティのレッスンへ。

夜はオペラ座でトワイラ・サープの公演を観た。演目もダンサーもあまり印象が良くなかった。。

オペラ座チケット代 120F
ポム・ド・パン 50F
カフェ 15F


画像1


ガルニエ宮で招待カンパニーのトワイラ・サープのバレエ団公演を観ました。トワイラ・サープについては、Wikipediaの記述を要約したものを貼ってみます。

トワイラ・サープ(Twyla Tharp,1941年7月1日 - )は、アメリカ合衆国のダンサー、振付家、著作家。1963年にダンサーとしてのキャリアを始め、1965年に自身の舞踊団を立ち上げた。初期の作風は当時の前衛的な情勢を色濃く反映したものあったが、その後大衆文化の要素を作風に反映させた作品へと変化。ザ・ビーチ・ボーイズの曲を使った『デュース・クーペ』(en:Deuce Coupe、1973年)、ミハイル・バリシニコフの舞踊技巧とキャラクターを存分に生かした『プッシュ・カムズ・トゥ・ショヴ』(1976年)、フランク・シナトラの歌による『シナトラ・ソングス』(1982年)など、高い芸術性と娯楽性を両立させた作品で多くの観客から強く支持された。


1993年当時、すでにトワイラ・サープは現代舞踏家・振付家の大家として地位を確立した存在で、僕達もその存在はよく知っていました。ただ日本国内で手に入るビデオ、LDは少なく、作品についてはあまり知識がありませんでした。

米国ではABT、NYCBと共同で作業していますし、パリ・オペラ座、英国ロイヤルバレエとの実績もあり世界的な振付家です。ただ…この日はあまり楽しめませんでした。当時の自分たちは舞踏の歴史、モダンバレエに対する認識が浅く、モダンでポップな感覚の振り付けをどう見たらよいのかちょっと戸惑っていたんだと思います。

今回の公演は二つのプログラムが用意されていて、いくつか演目が入れ替わってました。この後16日に観た二番目のプログラムの方が、なんとなく印象は良かったのですが、それは目と頭が振り付けに慣れてきたからだったのかもしれません。


画像2

画像3

画像4



画像5

トワイラ・サープ ずいぶん若いころですね(Wikimediaから)



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?