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障害者雇用の現実

政府による障害者雇用促進法が制定されて久しい昨今、障害者雇用の割合、ジャンル的にはどうなのだろうか?
確かに国が主導で障害者の仕事に光を当てた政策については評価できる。
そして障害者を雇用した会社は、その障害の度合い(障害の等級)により点数化された計算で、補助金を給付される。
本来、福祉の観点から見れば、給付されなくても障害者を雇用するのがいわゆるホワイト企業なのだが、今回はその件には触れないでおきたい。
(目の前にぶら下げられたニンジンが無ければやる気を起こさない馬なのが日本社会の現在だから)
話を戻そう。
この障害者を雇用した分の給付金が問題になっている現実がある。
主にブラック企業に見られる傾向だが、障害者を雇用するだけして、仕事はトイレ掃除や廃品回収など、誰でもできる事しかさせずにいるのが現状だ。為になる仕事を障害者にさせないという事は、障害者本人はその会社でいくら働いても成長できない事を意味する。
確かに障害者に事務職や専門的作業をさせるのはある程度の覚悟、リスクがあるのは否定はできない。
しかし、障害があるから健常者より平均的に劣るという考えは間違いである。
勉強でも言える事だが、障害の子供が社会のテストは毎回必ず100点満点という事例もある。
「Aという分野では平均以下だが、Bの分野では平均より飛び抜けている」
仕事でもデータ入力、動画編集において凄い能力を発揮する障害者もいるだろう。
障害者にはこういったケースが多々ある。
つまり、本気で雇用者が障害者を戦力にしようと思えば、型にハマった障害者はパズルのピースがピッタリ合うかの如く仕事に能力を発揮するのだ。
問題は、それを見抜ける会社、管理者が日本企業に圧倒的に少ないのが問題であり、これが障害者雇用が上手くいかずに障害者自身が追い詰められる、または、障害者は使い物にならないとの勘違いを生む原因なのである。
日本社会は昭和より、未だに根性論至上主義の人間が多数派を占めている。
いわゆる「病は気から」論者である。
たしかに気分やストレス解消により、一定の健康を保つことはできる。
だが、本当の障害というのは気の持ちようでどうにかなるものでは決してない。
昔ながらの人間は、「酒飲んで風呂入って寝ればなんとかなる!!」
と言うのが口癖のように存在した。
だがこれは障害者、特に精神疾患を持つ人間には通用しない。
第二次世界大戦で特攻などをやらかす根性論、精神論が、形を変えつつも日本の企業風土に悪い意味で残っているのである。
だから「鬱なんか甘えだ!!」
というブラック企業の管理職が未だにのさばっているのだ。
この様な旧石器時代の考えが淘汰されなければ、本当に本心から障害者を雇用しよう、もっと言えば「障害者を雇用したい」との発想には至らないであろう。
残念ながら現時点での企業の障害者雇用は、補助金ほしさ、もしくは、障害者を雇用することで自社の名声を高くすることしか頭にない。
だから国の政策の抜け道を探して上手く障害者を雇用し、活躍させている(フリ)をするのに躍起になっているのである。
やはり、俗に言う「第三者機関」が監査として企業を見張り(抜き打ち)で調査することも企業の健全化としては期待したいところではある。
高度成長期から受け継がれてきた負の遺産・・・
「根性論」「精神論」
は、もはや人間にとって害悪でしかないのかもしれない。
無論、これは障害者のみならず、健常者にも言える事である。健常者がストレスや監視社会に晒されることで障害を負うケースも多いからである。

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