違和感の正体に気づけた
今日、僕は21歳になった。変わりつつある日々の中で、社会にまた一歩近づいたように感じる。今日は、決意表明をするために、これからの自分の進みたい方向を書いてみたいと思う。
あの時の夢への違和感。
20歳の僕の夢。
世界で有名な設計士になる。
これだった。
きっかけは幼少期にニュージランドで受けたモンテッソーリ教育がある。
幼稚園ではひたすら物作りをしていた。とにかくトンカチ叩いてたらしい。
ここでの経験をきっかけに物作りが好きな少年として育っていった。学校から帰ってからは、家で常にプラモデルや工作している、そんな小学生だった。
中高こそ、ラグビーに熱中して離れたものの、表現することや物作りへの興味は失われてなかった。大学では、文系から建築に挑戦した。
ラグビーから建築にレールを切り替えてからは昔のように表現することに時間を割くようになった。
建築、写真、イラスト、デッサン、動画撮影、動画編集、スクラッチアート小説、料理、、、など。(現在も続いているものが多くある。)
とにかく表現することが楽しかった。夢中になっていた。
でも、まだこの時には、あくまでも建築する時に、自分の軸を見つけておく。そういう意識だった。
そんな20歳の僕はというと、建築の世界で、有名な設計士になることが夢だった。
たくさん建築巡って、建築の本もたくさん見ていた。設計事務所に就職した先輩にも話を聞きに行ってた。本気で夢を目指していた。あの頃は、ある意味、建築士にならないいけないという焦りの中で生きていたようにも思う。
手段と目的
2020年、コロナによって自分が想定していた大学生活ではなくなった。
もちろん建築の学びも例年とは違った。設計も実験もなくなり、楽しみにしていた授業は夏以降に延期になっていた。
やっぱり表現すること、何かを作りたかったのかもしれない。自分の中で正しいのかわからない。でも、これまでの環境を大きく変えて、色んなことに挑戦した。
5月から言葉の企画に参加し、8月からはコンサルティングの会社で長期インターンを始めた。今の相棒とも出会い、写真や動画を中心に学生フリーランスとして活動するようになった。
自分の成長を求めて、飛び込んだ。これまで、自分の中で留めてたことを外に発信するようになった。たくさん動いて、たくさんの人と出会って、影響を受けて、自分の本当に大切なことに気づけた。
一方で活動していくに連れて、建築以外のことをしている自分を許せなくなっている自分もいた。夢から遠ざかることをしているのではないかと。
もちろん、普通ではないと思う。一般的な建築の人とは違う生き方をしている自覚はあった。建築以外のことをしてる時も同様に楽しかった。本当にワクワクしていて、時間も忘れて没頭してしまう。
思い返してみると、コロナで卒業式が無くなった大学4年生の卒業写真を企画している時。自分が作った料理を美味しそうに食べてくれているのを見る時。フラチームの卒業式代行を企画している時。設計の課題で図面ではなく、クライアントの生活を考えている時。ワクワクが止まらない。
どんな人に、どんなものを、どんなタイミングで、どんなもので、どのように届けたら良いのか。コンセプトを考えていることが本当に好きだった。また、それが届いたのを見るのが好きだった。
正直、手段にこだわりはあまりなかった。その場面にあった適してる手段が一番よかったのかもしれない。
自分の好きなことを見つけていくに連れて、自分の中で少しづづ見えてきたものがあった。とにかく違和感が溶けていく感覚があった。
違和感の正体
自分がどの方向に進むのか?というアンサーを出すきっかけの1つに
5月から参加している言葉の企画の第6回の課題がヒントにあった。
(言葉の企画については下のnoteを参照してください。)
第6回の課題のお題が
あなたはどんな企画をする人になりますか?
であった。
自分はどんな企画をする人になるのか。まさに自分の状況にピンポイントすぎる問いだった。
建築の道に進むのか。進まないのか。この先どう進むのか。
答えとして、下の私小説の形で企画書を出した。
僕はたくさんの人に救われてきた人生だと思う。
自分が一番幸せを感じる時も人のためになれている時だった。
僕の幸せこそ、自己貢献感だった。
だから、僕は自分の軸を言語化してみた。
僕がgiveするもので、つくるもので、企画するもので人を幸せにしたい。あわよくば、少しでも笑顔になれる人が増えたら嬉しい。
僕が思う幸せは、優しさは、向かい合っている相手が自分を受け入れてあげる。そしてその人が他人を受けて入れてあげられる。そんな優しい世界を。
そのために僕は作って、企画して、人に届けていきたい。
この志を、自分の軸を見つめて見ると、自分は手段を目的化していたことに気が付いた。設計は志を実現させるための手段の1つだったということに気が付いた。手段を目的にしてしまっていたからこそ、違和感が生まれていたように思う。
決して建築が嫌いになったわけでもない。でも今の僕には、まだその手段として建築がふさわしいとも言い切るほどの自信はない。逆に自分が生み出す写真も企画も小説、コピーにも可能性があるように思う。
言葉の企画を通して広告業界の先輩からもたくさんの話を聞くことで自分の選択肢も世界も広がった。自分の軸を実現することができる職業の形はたくさんあることを知った。
候補がたくさんある中で僕はどの手段を選ぶのか、まだまだ曖昧である。でも、いつか絞る時はくる。だからこそ、その時の選択を良いものにできるように残りの折り返しの大学生活も充実させたい。
決意表明
今日の時点で自分がどんな仕事をするのか明確に言い切ることができない。
だからこそここに
クリエイティブの業界で生きていく。
その決意をここに立てたい。自分が作るもので人を幸せにしたい。生み出して、生み出して生きたい。
だからこそ、
今年は何か明確な形があるものを作って勝負に出たい。この勝負が確実にまた僕の進む道を照らしてくれると思う。
まだ手段を決めるきることは出来ないからこそ、21歳もたくさんもがきます。こうしてハッキリ自分の進路を書くのは、次は就活終わった時かもしれない。
21歳も宜しくお願いします。
2020年11月30日
ありがとうございます!!!