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山水郷チャンネル #06 ゲスト:萩野紀一郎さん、萩のゆきさん(能登半島まるやま組)[後編]

山水郷チャンネル、第6回目のゲストは、萩野紀一郎さんと萩のゆきさんです。

Profile: 萩野紀一郎 建築家/能登半島まるやま組
1964年東京生まれ。東京大学、ペンシルバニア大学、香山アトリエ、サントス・レヴィ・アソシエイツなどを経て1998年萩野アトリエ設立。東京、フィラデルフィアで、設計および教育活動後、2004年能登に移住。住宅やインテリアの設計から、土蔵や古民家の保存・改修・ワークショップを行いながら、「里山のくらしのデザイン」を実践。金沢美術工芸大学、ナンシー建築大学ほか多くの大学で非常勤講師を歴任。2016年より富山大学芸術文化学部で建築デザイン・建築再生・インテリアを教え、「手で考えて身体でつくる」デザイン/ビルド建築教育について国内外を調査研究中。
Profile: 萩のゆき 能登半島まるやま組
1966年東京生まれ。日本女子大学家政学部住居学科卒。
能登の里山での暮らしを起点にしながら、農林水産物の作り手さんと商品の企画やデザイン提案を行う。朝日新聞「里山暮らし」連載中。目下、畦に小豆を撒き、一粒のタネから小さな和菓子店「のがし研究所」起業の様子をFacebook、Instagramにて発信。チルチンびと広場「のがし研究所だより」にて連載中。

能登から発信する設計

能登での設計は改修の仕事が中心です。例えば、移住した栗農家さんのために、廃業した土木建築業者さんの事務所と倉庫を、住宅と栗倉庫にするというプロジェクトや、能登の山奥にある大きな家の応接間と年に数回しか使われていないお座敷をギャラリーとアトリエに改修するプロジェクトなどをしました。

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能登以外の仕事もやらせていただいてます。
例えば東京では、丸の内の丸ビルの近くの岸本ビルにあるオフィスの内装プロジェクトでは、左官職人さんに協力いただき、土の版築壁を作りました。都心で働いていると土に触れる機会も少ないので、少しでも土に触れていただこうと。版築というのは、型枠を作って、そこに土を入れて上から叩いて押さえ、また上に土を入れて叩き、型枠を外すと地層みたいな層になるのです。ここでは表面だけの薄い層ですが、昔の版築には法隆寺の土塀のように厚みが1m近くあるものもあります。土の力強さと繊細さのふたつの特徴が出ているので好きなんです。このプロジェクトの薄めの壁でも1tくらいの重さがあり、完成直後に発生した東日本大震災の時も心配しましたが大丈夫でした。

東京の建築家がいろいろな地域の仕事をすることが多いですが、逆に私は能登や地方にいる人が東京や全国の仕事をしてもいい、というか、していかなければと考えています。

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これは長野県の八ヶ岳高原にある別荘です。このプロジェクトでも地元の材料や自然素材にこだわり、左官職人さんにも協力いただいた版築の土壁をつくりました。

ここからは「手で考えて体で作る」プロジェクトの話に入っていきます。

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京都に「ヴィラ九条山」というアンスティチュ・フランセの建物があり、元々はフランスのアーティストがアーティスト・イン・レジデンスとして滞在するプログラムが展開されていました。5年ほど前から、日本人ともっと深い交流を目指し、日本人とフランス人のペアのアーティストを受け入れるプログラムが始まりました。
アメリカに留学していた時の知り合いの縁で、フランスで竹を使ったデザインをしている建築家と、土蔵修復で竹小舞などを扱っていた私のチームが選ばれ、ふたりで滞在して竹に関するプロジェクトをやることになりました。
コンセプトとしては、竹を持ち込むと同時に、京都の人達をヴィラ九条山に連れていくこと、ワークショップとして作る過程を作品にしようということでした。そこで京都建築専門学校や京都市立芸大の学生さんに協力していただき、竹を丘の上にあるヴィラのさらに屋上までみんなで運び、ドームやオブジェクトをつくるプロジェクトをやしました。

デザインビルド 「手で考えて身体で作る」

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「手で考えて身体でつくる」という言葉は、丸山欣也先生が使われてた言葉で、私も好んで使わせていただいてます。
5年ほど前から富山大学芸術文化学部で建築や建築再生を教えていますが、以前から私は、コンピューターや図面だけで建築のデザインを考えるのではなく、手でモノを触り、実際につくるプロセスの中にデザインのヒントがあると考え、実際に空間をつくる課題に取り組んでいます。
住宅設計などの課題の前に、1年生で椅子を作る課題をやり、木工機械にも慣れてもらいます。2年生では、5~10人くらいのチームで、小さな小屋をつくる課題に取り組んでもらっています。
そのほか、北陸には古い町屋がいっぱい残っているので、それを実測して、図面を描き、改修計画案をつくる課題とか、空き店舗が多い商店街を舞台に、サーベイして小さな仕掛けで商店街を変えるという課題もやっています。まだ授業の課題に留まっていて、現実のプロジェクトは特に動き出していませんが、将来はこれらの課題から何か現実のプロジェクトが動き、実際にモノや空間をを作っていけたらいいなと考えています。

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建築学会でもワーキンググループをつくり「手で考えて身体でつくる」ことをテーマにした勉強会をやっています。日本でもそのような教育をしている大学や研究室がいくつもあり、それらに関わっている仲間と一緒に、日本だけでなく海外の事例も調査しています。
実は海外ではかなり主流にもなってきていると思われ、建築設計がコンピューター化されればされるほど、それとは対局の「手で考えて身体でつくる」教育もかなり進んできているようです。

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例えば、フランスのグルノーブル建築大学にはクラテールという土研究所があります。そこには世界中の人が集まって土の研究をしたり、土のワークショップをしたり、土建物を科学的研究を多角的にやっています。
そのほかにも、意外と海外では土の研究が盛んにおこなわれています。
日本では左官職人でも、最近は土を使う仕事が少なくなってきていますが、エコロジカルな視点から、土の研究も一部では盛んになってきています。左官職人、研究者、デザイナーの方々のネットワークが重要だと思います。

次は土でなく木がテーマですが、上の画像はフランスのナンシーの近くで実施されている「ウッドチャレンジ」というワークショップです。フランスやヨーロッパ中から建築デザインとと木質エンジニアリングの学生が集まり、毎年ワークショップが開催され、実際にパビリオンのようなものをいくつもつくっています。

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現在、わたしが毎朝のように参加しているプロジェクトもあります。アメリカのユタ州のナバホ民族が住んでいる居住区に、家を持てずに仮説のトレーラーハウスに住んでいる方が多く、ユタ大学の大学院では、夏学期にグループで設計して、秋学期に実際に住宅を一棟作るという授業課題に取り組んでいます。もう20年近く続いているそうです。今年は新型コロナウイルスの影響で、設計授業がすべてオンラインとなったので、この1ヶ月ほど私もゲストとして毎回参加しています。

今はオンラインプログラムが発達して、多くの方との出会いやアクセスは、能登にいてもできるようになりました。逆に、それができる分、実際につくるとか、実際に会うことももっと大事にしなければいけないと思います。

次は能登に住んでからの活動について妻のゆきから説明します

能登の豊かさへの開眼

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16年前、上のような風景のところに、アメリカから引っ越してきました。
能登に住むことになるだいぶ前、私自身が紙漉きをやりたいということがきっかけで、この土地と出会い、訪ねることになったのすが、その当時は夏だけ訪ねてくるところでした。
訪ねてきて過ごすのに、こんなに素晴らしいところはないと豪語してましたが、住むところに変わった時、自分があれだけ言っていた良いところが吹っ飛んでいきました。どうやって暮らしていくの、仕事はどうするの、子供の教育はどうするの、お金は稼げるんですか、夢見る建築家の夫の横で、すごくリアルばかりを見てました。
その上、ここは能登半島の中でも一大豪雪地帯と言われていて、2階から出入りするくらいまで屋根雪がたまるところなんです。太平洋側で育った私にとっては、日照のない暗い長い冬。本当に辛い最初の5年間でした。
とってもネガティブで、はじめは良いと思っていたところが、どうしてこんなに嫌になったんだろうと。
表参道を歩いておしゃれなパン屋さんでパンを買っていた私はとっても素敵だったのに、この森にいる私はどうして素敵じゃないんだろう。しかし、それはパン屋さんや表参道が素敵だったわけで、私が素敵だったんじゃなかったんじゃないかって気が付きました。
私は豊かだと思う物を消費し続けて生きていて、豊かさを自分で生み出すことができないから、なくなったらすごく不安なんだと思ったら、俄然悔しくなって。もう私には豊かなものは二度と訪れないのか?
それはちょっと待てよと。
集落の人達が、ここは何もないところなんだよって言うと、それに対して、いやいや素敵なところじゃないですかと言っていた過去の自分にもう一度戻って見てみると、山があります、緑があります、水があります、田んぼがあります、山の緑はなんだろう、杉なのか広葉樹なのか、草もマメ科なのか他の植物なのか、科学の力でひとつひとつ丹念に積み重ねて見ていくと、いろいろなものがあるということに気づきはじめました。

能登半島まるやま組

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豊かさをひとつひとつ見つけていくために、たくさんの人達、老若男女いろいろな視点から見れば、もっとたくさんの豊かさを見つけられるんじゃないかと考え、植物をモニタリングすることを多くの人と共有したいと思って、まるやま組をはじめることにしました。「まるやま」の周りに、その日その時集まった人達が組になるように繋がったら何かが起こるんじゃないか、という願いをこめて「まるやま組」と名付けました。
まるやまに向かって一周めぐるだいたい1.5kmくらいの散策路をみんなで歩いて、そこにある植物を採ってきて、白い紙の上に並べて、その植物がなんであるかを生態学者のひとが教えてくれたりする。と、集落の人は別の使い方をしているとか、他の地方では食べているとか、いろいろな利用法をみんなで学び合う、ということをしています。
そもそも、まるやまを大きなビオトープにしようとしている団体が、いろいろと調査をしていました。研究者が調査に来ましたが、その人が横の田んぼで作業をしてるおじいちゃんとかおばあちゃんに、積極的に声をかけるわけではなく、淡々と調査をして帰っていく。おばあちゃん達も作業しながらも声をかけない。その横に住んでいて違和感を感じました。近くにいる人同士、挨拶をする方が違和感がなくなるんじゃないか。
また、研究者の人達も畑の植物を調べた結果を伝えるわけでもないし、そこにいる人達もどのような事しているかお互いに知らないのも、不思議だなと。
こんなものが生えていて、こんな風に珍しいとか、おばあさん達からも昔はこんな風に咲いていたんだよ、というようなやりとりがあると面白いんじゃないかなと。
キッチンも開放して、ここの植物の中で食べられるもの、利用できる物を持ち込んで、みんなでご飯を食べたりしています。

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食べることや歩くことは本当にシンプルで、誰もが日常的にやることです。アメリカのホームパーティーで、食べものを取りに行って座って隣の人とちょっと喋って、また場所を変えて喋るみたいなことがすごく楽しかったので、そのような形式でリビングの周りに椅子を配置して、真ん中に食べ物を置いて、語り合って、知らない人が出会うような場にしました。

土地に根ざしたものを多面的に見る

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科学が豊かさの足りない部分を埋めてくれた一方、もう一つ、伝統が私の足りないものを埋めてくれました。
デザインビルドで地元の素材を使って家を建てて、里山暮らしをしている!と思っていたのです。が、窓からおばあさんが通っていくのが見えて。毎年毎年同じ時期に同じ人が同じ枝を持っていたり、同じ時に何かをどこかで干していたりと、このことを去年もやっていたなとだんだん気づくようになりました。
リョウブの枝を切ってエンドウ豆の支柱にしていたり、ワラビを漬けたり、畦に豆を植えたり、そういうことが見えてきた時、私達は里山暮らしをしていると思っていたけど、この綺麗だなと思う景色は、この人達がこういうことをひとつひとつやっている積み重ねの結果としてできている景色で、私達はこの大いなるサイクルに何も入ってないんじゃないかということに気がつきました。

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空間を通して見てみたらどうだろうと地図に落としてみました。集落に住む人は、まるやまにある田んぼに来るまでに、薪を拾ったり、畑の草刈りをして、というように、行って帰るまでにいくつもの複数の仕事をこなしていく。そういう人が10人位、くまなく働いていると、ああ綺麗だな、里山ほっこり、と思う景色になるのがわかりました。

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これは「アエノコト」という地域の田んぼの神様に感謝する食事を分解して、それぞれの素材が、いつどこで誰がどこから集めてきたものかを表したものです。
色は食材や材料の種類で、地の色の濃さがここからの距離で分けています。ほとんどがこの土地にある食材で、これが植物だとしたらびっしり根っこがたくさん生えているような、しっかりとした食べ物です。日本人の自然観が具に表れている、詰まっていると思います。

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土地に根ざした教育として、子供達に小さな時から現地の言葉を使って伝えていくことがとても重要なことだと思い、地域のおじいちゃん、おばあちゃんに協力してもらって、地元の小学校の授業をまるやまで行っています。金沢大学、国連大学や自然保護機関も一緒に協力してくれています。

和ヲ以ッテ果子トナス、のがし研究所

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今までデザインをしたりライフスタイルの提案をしたり、エッセイを書いたりしてきましたが、50歳から肩書を一つ増やそうという“50肩プロジェクト”として、「畔で育てた小豆で餡子を作って、和菓子屋さんをやろう」と、取り組んでいます。

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畔で作った豆と、家の後ろから湧いてくる山水、能登の森の炭を使って餡子を炊いて、能登の風土と風景と野山の恵みを使った野の菓子、という和菓子屋さんをと考え、はじめました。
聖徳太子の言葉に「和を以って尊しとなす」という言葉があるように、野山の果実や、おばあさんたちの伝統の知恵、いろんな植物があるという科学の知恵、はたまた人のデザインをする力、建物をつくる力、全部を和として繋いで、できることを提案していけたらいいなと思っています。

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菓子の菓が"果"になっているのは、砂糖が無かった時代は果物を菓子としていた事から
山水郷チャンネル初のお二人組ゲスト、仕事だけではなく生活の事など、ご家族ならではのお話もいただけました。
最後には移住して変わった事、分かった事など、視聴者の方からいただいた質問にも答えていただいています。
ぜひYouTubeでご覧ください。


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