自分ハンドブック
いつも兄貴の真似をしていた。
サッカーを始めたのも、中学校のクラブチーム選びの時も、高校選びの時も、兄貴の真似事だった。今頑張っていることも全て、全て兄貴の真似事である。
私は3兄弟の末っ子で、真似をしていた兄貴は長男のことを指す。
高校生くらいで、この事実に気づくことができていたが、兄貴のひいてくれたレールから逸脱することはできなかった。
2番目の兄貴、次男は今このレールから降りた。自分らしい道を歩み始めている。昔から絵を描くことが得意で、デザイン性に溢れる人だったことを記憶している。そんな兄貴はウェブデザインという道に身を投じ、トライアンドエラーを繰り返し、自分らしく生きれている。
初めの方はそんな次男に違和感を覚えた。
就職はしない
親に大金を借りて、ウェブデザインを学ぶ
お酒は一切飲まない
マイペースにこだわる(遅いと言う意味ではない)
部屋に観葉植物を置く
などなど・・・・
数え始めば、きりがないほどである。
次男と私は、「兄貴のレールに沿って生きている」と言うことを自覚し合っていて、そんな相談をしていたこともある。
だから、なおさら違和感を覚えた。
無理にしているんではないか_?
個性を大事にしすぎているのではないか_?
たくさんの感情を抱き、とにかく、自分の域を越えて、自分らしさを表現しているのではないかと考えていた。
今になって思うが、ジェラシーを感じていたのだ。
なりたい自分に向かって努力をする姿を見ることで、自分に対し虚しさを覚え、虚しさを押し殺すために、反対側の人間になりきっていた。
兄貴のような立場から、意見していた。
長男も初めは孤立している人間だった。違和感を覚えられる側の人間だった。しかし、結果を出し続けることで覆し、正当化してきた。なのに、俺は兄貴が作ってくれたレールを正解だと言い切り、自分らしさを、その正解の中に映し出した。
自分の正解を作る行為を放棄し、思考を止めてしまった。
今改めて思う。長男も次男も本当にすごい。俺なんかが到底越えれる存在ではない。(絶対に超えるけど)
目の間にいる圧倒的存在を理解し、分析し、自分のものにする。
自分でレールを作らなかった20年間は長い年月だが、これから覆す必要がある。
嫌われても、文句を言われても自分という存在を世に映し出し続ける根性が必要になる。
何事にも遅すぎることはない。
さは、始めよう俺。なりたい自分探しの旅に出よう。
20210807