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「ワーケーション」「2拠点」。これからの働き方について感じたこと。


コロナをきっかけに、自分のベクトルを、「2拠点」「ワーケーション」「自然」という方向に向けてから数か月がたちました。

白石では「ワーケーションforグロース」と名付けて、個人や組織の成長のために、チームや組織単位、様々な組織を横断したワーケーションを設計できないか?

なんて事も考えています。

自分自身もこの辺りに関係しそうな、

キャンプ、グランピング、別荘地、ワーケーション的なものに多く関わっています。また、逗子に住んだので、SUPをやってみたり、ウインドサーフィンに挑戦してみたり、ヨットに挑戦してみたりしています。

そんな中で今考えている事を整理してみました。

バケーション、ワーケーションという言葉は西洋の方は昔から馴染みのあるもので、逆にいうと日本人には馴染みがないものです。

日本人はバケーションなんてしない生き物だと思っていたのですが、コロナ以降、国も含めてワーケーションワーケーションと騒いでいます。(僕もですけどw)

今後私たちの働き方はどのように変わるのか?
その礎になるマインドの部分について考えてみました。


なぜか込み上げる罪悪感

新しい流れには敏感でいたいので、一通り新しいものには触れるようにしています。
「GOTOがすごい。」という話を聞いたので、調べてみると
「羽田⇔沖縄、の航空券付き海の見える屋上プール付きホテル4泊、5万円」

というのをみつけて、GOTO&ワーケーションしてみようと行ってきました。
週末にかけて行ったので、ダイビングを楽しみ、平日は、海の見える部屋で会議に参加し、屋上プールでチェアに横たわりながら打ち合わせ。

なんか、罪悪感(笑)

2つの事に気付きました。

1、 バケーションを心の底から楽しむようなメンタリティを日本人は本当に持てるのか?疑問。世代によっても違うのか?

2、 無茶苦茶景色が綺麗なんだけど、SNSに投稿しようという気にならない。(ネガティブな感情を持たれると感じる。)そういえば、リゾート写真がSNSにのる事はほとんどない。(49歳男子、僕の友達の中では)

「リゾートに行って、ゆっくりとバケーションを楽しむ。」

西洋人が大切にしているらしい価値観を、

自分の中で「本当に価値あるもの」として受け止め切れていない。

あるいは、「日本社会で受け入れられない」と感じている。

と感じました。でも、1年前と比べたらそういう感覚が自分の中で薄くなっていることも同時に感じます。テレワークやオンラインミーティングも同じでしたから変わるのかもしれませんが。

日本人的バケーションはハワイだったり、沖縄だったりワンパターンです。

西洋の方のバケーション的なものとはまだ本質的に異質で、僕たちの世代では人生に数回しかない、特別な「イベント」のようなものな気がしました。

キャンプ、グランピングブームは「インスタ映えしたいだけ」と看破している人の話も聞いて、バケーションの意味はまだまだ不安定だと感じています。つまり、日本型のワーケーションは、その存在理由の定義から考えたいと思いました。


頑張る美学、頑張るとは何か?



バケーションを良しとしない、日本の社会の思想の源流を探ってみると

「頑張る美学」頑張る事が素晴らしいという価値観が根付いていることにあるような気がします。

対して

西洋的な考え方では「結果主義」、結果が一番大切で、頑張る事には価値がない。より短期間で「結果」を出し、「バケーション」を楽しむ。

どちらが良いとか悪いという話をしたいわけではありませんが

日本、集団的、仲間と一緒にみんなで頑張る!(周りの目を気にする)
西洋、個人的、能力、結果主義。(まわりは関係ない。)

という大前提の違いがあるように思います。

野球のチームで例えると
日本はチームの事を大切にし、仲間との関係、協力を大切にする。
マイナス面は、同質性が強くなり、個人が個性を発揮しづらい(なんなら足を引っ張る)

西洋は個人の能力をそれぞれが高め、プロフェッショナルに徹する。
マイナス面は、人間関係がドライ、協力関係が起きず、なんなら足の引っ張り合い。

コロナによって都市への一極集中、満員電車への疑問が投げかけられたことで、
リモートワークやワーケーションが促進され、ジョブ型個人型の環境が促進される一方

「では、チームワークをどうする?」

という、問いが投げかけられています。

少なくとも私の会社では、日本的な「チームワーク」を大切にした組織の標榜を捨てることはあり得ないとの前提に立つと、バケーションの見え方も西洋のそれとは少し景色が違うことは当然のように思います。


頑張る目的、頑張る意味

僕はそもそも

「なんで頑張るのか?」

という問いの答えが、
日本的な集団主義と、西洋的な個人主義の前提に共通してあると思っています。

先ほどの野球の例で考えるならば、
「野球に勝つこと」が問いの答えです。

「チームワーク」を大切にするのか?
「個人の能力、競争環境」を大切にするのか?

バケーションは、「その為に頑張る」という西洋的なポジショニングでしょうか?

日本人的(特に古い人?)に考えると、
バケーションや、ワーケーションをして、「それは何の為に?」

という問いがどうしても芽生えてしまうのが実情かと思います。
だから、今まで日本人の中にバケーションは定着してこなかったのだと思います。

ところで、僕はより根本的な「野球に勝つこと」という目的自体も変わってくるかもしれないと思っています。

僕たちは野球に勝つために生きているわけではありません。

さて、人はどんな働き方を目指すのか?

そんな考察も深めていきたいと思います。


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