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ワーストシナリオ。不安と覚悟。

不安とさみしさ

命と経済、狭間で苦しんでいる経営者がたくさんいます。

友人の経営者たちと近況、コロナ対策のシェアの会をしました。

会社の経営は社会を動かしていくインフラのようなもの。
こんな状況でも必要としてくれる人がいる。止めたくない。

でも、リスクのある現場に従業員を行かせる?
もし自分が従業員の立場だったら?自分が行きたくないところに従業員を行かせる?

だからといって、全ての業務を止めて会社が継続できなくなる選択をして、本当にいいの?
必要としてくれる人がいるのだから、誰かが行かなかったら他の人がやるだけ。他の人を犠牲にするだけではないの?

自分は何を基準に判断した良いの?
不安な気持ちを従業員に見せたらだめ。明るく振舞わなくては。

お金がないって状況が従業員にばれたら、みんな逃げてしまうかもしれない。

みんないらいらしはじめて、会社の雰囲気が悪くなってるけど、リモートで直接会えないし、どうして良いのか分からない。

こういう時息抜きに通っていた、居酒屋にも行けない、仲間にも会えない。。。

今日時点での仲間たちの「不安とさみしい」声です。

捉え方の違い、声の大きさ

もちろん経営者だけでなく、従業員も不安に苛まれています。

私の会社でも2週間前からフルリモート対応をしているので、
「不安とさみしい」がどのくらい広がっているのか?リーダーにお願いして情報を集めてみました。

10点満点で10が一番「不安でさびしい」だとしたら今何点?
僕が直接確認した8人の点数は高い順に
(7点、5点、3点、3点、2点、2点、1点、0点)

でした。ほとんどの人が不安よりもリモートのメリットを感じているようです。

僕が今一番気を付けないといけないと思っている事は

「人によって捉え方が全く違う。」という事実を理解して対応する。という事です。

特に、コロナのような命に係わるというセンシティブな局面においては

人によって不安の感度は全く違います。
1回コロナかかってみたい、免疫できるんでしょ?
まぁかかったらかかったでしょ?
一定の死亡率ってそんなに問題?

みたいな層は必ずいます。是非はおいておいて、そんな事を言うのは憚られる空気(言っても冷たい人だと、正論を言われ損をするだけ)なので表に出ません。

1番悲観的な人の話を大人しくみんなで聞く、という状態になりがちです。
「命の不安」「お金の不安」「みんなが心配」正論ですので、声が大きくなりがちです。

(上記の経営者の「不安の声」も同様です。
みんなで話していても、やはり不安な人が長く話しがちです。)

そして、社長は一番悲観的な人の話を聞いて会社全体の対策を考えて、本人が一番不安になっていったりするのだと感じました。

不安な人に寄り添う必要がないと言っている訳ではなくて、捉え方は人によって全く違うという現実、不安側の発信が強くなる局面にあるという事を理解した上で、会社としてのメッセージ発信を考えないといけないな。と思いました。

不安な人には個別に寄り添えばよいと思います。
みんな違うのだから、不安な人には、フルリモートであったり、休んでもらえる環境を作ってあげる必要があると思います。

僕自身も不安には寄り添うし、悲しみも苦しみもまっすぐ受け止めるスタンスでいますが、それによって本当に気持ちが飲み込まれてしまうと経営者としては厳しいと思います。


経営者にとっての不安の正体

経営者にとっては、あまりに不透明な時代になってしまいました。

自社の1年後の売上、利益について10%以内の精度で予想をできる人は皆無だと思います。
経営者という仕事は、数年後の市場や自社の状況を予想し、最適な状態になるよう意思決定をしていく事だと思います。

しかし、その数年後、もっというと、数か月後の未来も全く予想がつかない状態になってしまったわけです。

予想して、意思決定する経営者が

「予想できない未来」に立ち向かっているのだから、不安なのは当たり前です。

まずは、「不安なのは当たり前。世界中の全ての経営者が同じだ。」という前提を持つことが大切だと思います。特にオンラインのズームなどを使って他の人と情報交換する術を持っていない経営者は、1人苦しんでしまうと思います。

そして、このような状況の中でも
考えれば、「最悪のシナリオ」「悪いシナリオ」「普通のシナリオ」は考える事が出来るはずです。

そして、それを考えた時から、不透明で予測不能の状態は、予想したシナリオの範囲内に収まるようになります。

まずは、最悪のシナリオを設定することが重要だなと思います。

つい数週間前までは10年に一度の視点で考えていました。



覚悟

今は100年に1度の視点で考えています。10年に1度なら経験がありますが、100年に1度となると歴史から学ぶしかありません。

私がコロナについて最悪のシナリオを考えるときに、一番納得感のあった話が今から100年前1918年からはじまった、スペイン風邪の事例です。

20億人の人口で5億人が感染し、4000万人~1億人の方が亡くなったそうです。
日本は5500万人の人口で35万人の死者

経済がボロボロになり、そんな背景でヒットラーなどの強い経済を標榜するリーダーが登場してきて、第2次世界大戦へ向かいます。

私たちが今経験しているような非常事態は一年以上続きました。
その後も一定の規制をかけながら。完全な終息には、なんと15年の年月を必要としています。100年前と比べて、グローバリズムによって人々は動き回っています。

せっかく収まっても、海外渡航によって感染が繰り返すリスクは高まっています。インバウンドが復活するのはいつなのか?そもそも復活するのか?

経済がどのくらい壊滅的になるのか?

もちろん最悪のシナリオです。
医療だけでなく様々な技術が発展している今ですから、そんな状況にはならないと思いますが、最悪のシナリオとしてのピンは、僕の中でとまりました。

最悪のシナリオを決めたら、
そんな中で「どう生きるのか?」

最悪の中でも自分が守りたい生き方はなんなのか?
そういう軸が必要だと思います。
最悪のシナリオでもそれだけは守るという覚悟ができる指針が必要だと思います。

あまりにも安易に経済発展を求めてきた人類や我々は、自然の力によっていとも簡単に追い込まれています。


どんな道を生きるのか?

スペイン風邪の歴史が私たちに教えてくれるのは、人類はそれでも豊かさと勝ち負けを追求して戦争という手段に突入していった事実です。

実体経済が止まり、不安が連鎖する中で、どんな世界を作りたいのか?

数年前から世界は2つの価値観に分かれていっていると感じていました。

1、 今まで通り経済的発展を目指す価値観。
2、 経済的発展ではなくて、目に見えない価値を追求する価値観

2の価値観の代表とも言える、ユーモの新井さんと飲んでいた時に話した内容が印象的です。

「10億円持っている事」「10人の親友がいる事」
人生にとってどっちが大切か?価値があるのか?

最悪のシナリオを考えても、お金がなくなるかもしれないだけで

大切な仲間がいて、酒を酌み交わせる未来はなくなりません。豊かな日本の自然がなくなる訳ではありません。

「世界を経済合理性と、勝ち負けのメガネで見なければ。」


意識の持ち方で、苦痛の感じ方が全く異なる時代に突入しようとしている気がしてなりません。

「仲間と助け合い、乗り越えていくメガネを。」

うばい合えば足らぬ
わけ合えばあまる

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