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経営で大切にしたい3つの事

僕の会社経営、人生経営における3大指針について説明します。
(従業員のみんなは、これの理解はマストです!)

会社経営においてはこの3つ以外は、フラットに衆知を集めたいという立場に立っています。

ということで、3つについては多少暑苦しく説明させていただきたいというのがこの文章の趣旨です。

経営的にはこれに管理会計ですが、ここでは省略

目的
幸福になること、幸福な組織(幸福の最大化)

大前提
正解はない。(正義、正解が間違いと悪を作り、争いや課題を生む)

手段
認識の範囲拡大(現状の最も適切だと考えている手法)


目的、個人という視点、組織という視点


僕は幸福になりたい。
これが、全ての視点の原点です。皆さんもそうですよね?

30歳前後に至った答えが「人に貢献するために成長する」事でしか本質的な幸福感を得ることはできない。

だから「成長と貢献」という言葉を自分の軸に据えて生きてきました。これがGCストーリーという社名の由来です。


その後いろいろな経験をして、貢献のために成長する、と言ってもどんな心でそれを言っているのか?

心の成熟度合
置かれた状況(単純に忙しいとかそういう事でも)
によっても全く違います。

まぁ、そう簡単ではないという事を学びました。

僕が幸福にこだわる原体験は、身近な人間の自殺にあるような気がしています。
僕たちは自殺をするほど追い込まれるために生きているのか?違うはずだ。
なんで、死ぬのか?を考える事で、なぜ生きるのか?を考えました。


人間の心はとても複雑です。過去の自分、現在の自分、強い自分、弱い自分、気高い自分、下衆な自分、決して一過性ではなく様々な自分が自分の中で言い争っています。

価値があるかないか?というパラダイム


自殺という選択を、究極的に言うならば、
「自分に生きている価値がない。」と判断する事なんだと思います。
そして、「価値」がない。という判断の裏には
「人との繋がりを感じていない。信頼していない。」というもう一つの認識が潜んでいます。

「価値があるかないか?というパラダイム」の中で自らに無価値のレッテルを貼ること。そして自分と外の世界のつながりから目を背ける事です。

では、逆はどうでしょう?

自分は本質的に価値があり、外の世界と自分は相互に関わっていると信じることの出来ている状況。

個人の心の中で、自分の置かれている状況を、どのように認識しているか?
その違いで、
「役に立てていないから」
→無価値だ。「死のう」「いなくなろう」
→仲間の為に、価値を発揮しよう。「頑張ろう」

とうい180度真反対の結論が出てきます。


目線を組織に移してみます。組織の課題はほとんどが、自分は無価値であると思ってしまう人が出てくることや、自分の価値基準に則って、「あの人は価値がない」という分断から生じると思います。

結局個人の内面で言い争っている事と、組織の中で人間同士が争っていることは、同じ構造(フラクタル)だと感じるようになりました。

自分は価値があって会社の仲間と相互に深く関わっている(仲間を信頼している)と感じることの出来ている社員は間違いなく会社にとって欠くことの出来ない存在です。

個人と組織はフラクタルです。

幸福はどこかにあるもの手に入れるのではなく(正解探しではない)、今あることに気づくこと。「捉え方」によって決まります。

組織が幸福に溢れている状態、不信感に包まれている状態の構造も同じです。

自分にとっての「価値がある」物差しで、自分やまわりを判断し、分断すれば不幸になり、

感謝や信頼でみんなが相手を見るようになれば幸福に溢れるのではないか?

つまり幸福は、あなたの「認識でできている。」
幸福の追求とは、つまり「認識の変容」だと考えています。

正解はない。


資本主義、社会主義、民主主義。宗教。IQ、EQ、世界は正しさの指標を求めています。
私たちも、テストの点数、営業の成績、会社の売上、年収の比較、働き甲斐のランキング、自分の正当化に熱心です。

正しくありたい。正義でありたい。

これは私達の共通した願い、欲望です。

原発賛成、原発反対、くじらは食べてよい。ダメだ。自由民主主義が正しい、社会主義が正しい。正義の戦いの例は枚挙にいとまがありません。

人が正義を求め、真実を追求する本能のエネルギーは最もエネルギッシュな力を持っているので、

化学の発展、宗教の発展、国家の発展、維新などの歴史を紐解いても大きな転換点の背景には「義憤」とも呼ばれる正義を求める人間のエネルギーが渦巻いていたように思います。

私達ベンチャー起業家を成功させる、仲間の共通点にも、もちろん売上と利益は正義。というエネルギーが満ちている事は言うまでもありません。そして、社会起業家やNPO、ボランティアに属している人間は助け合いという正義によって動いています。

それらのエネルギーを否定するつもりはありません。

しかし、前章で述べた、「なぜ自殺は起きるのか?」という視点と同様に、社会を見渡すとこの

正しくありたい。正義でありたい。(価値がある、価値がない)

というエネルギーが様々な社会課題を引き起こしている。というかほとんど全ての課題はここに起因しているとしか思えないようになりました。

きっかけはカンボジアに旅行に行って、ポルポトの行った虐殺について知った時。理想の国家を作ろうとしたポルポトが行った事実は虐殺でした。


世界中にあふれる戦争は、正義と正義のぶつかり合いです。貧困や環境問題は資本主義という効率的な価値創造という正義の反作用として生まれています。
会社という組織において起きる課題も、家庭で起きる問題も、個人が自殺に追い込まれるのも「価値や意味」という正義がぶつかり合う時に生じています。
〇〇な人間でないと価値がない。これが常に人が自分に向けている正義です。そうでないと感じたときに人は鬱になり自殺に至るのです。



正義を持つことは素晴らしいこと。しかし、その裏で悪を作っていることに慎重に対処する必要が今からの人類には求められているのではないかと考えています。

認識の範囲の拡大

僕は、どうしたら人間の内面的な問題や世界の問題が解決するのだろうという正義を持ってw、様々な価値観の世界に意図的に参加するようにしてきました。

資本主義の幼児ともいえるベンチャー企業の集まり、日本の経営の王道盛和塾NPOやボランティアの集まり、宗教的な意識を持った集まり、職人の集まり、など。誰が何を考えているのか?

その中で感じたことは、それぞれに大差はないという事です。大枠のパラダイムが異なる中で同じような世界を作っています。

まったく同じ環境でも幸福と感じる事も、不幸と感じる事もできるのが人間だという事です。
大金持ちでも、貧乏でも、ベンチャーでもNPO、「だから」幸福なんてものはありません。

「認識が幸福を決めています。」

そして、「認識の範囲拡大」という手法が一番理解しやすく現実に即して矛盾なく会社で展開できるのではないかと、考えてそこを軸に会社の経営を進めています。

認識の範囲拡大とは、主体の認識を「自分」から広げていく事です。

例えば自分と彼女(彼氏)の関係を考えるときに、自分という視点認識から相手を見るのか、二人の関係という関係そのものに認識を持つのか?
幸いなことに人間はどちらにも認識を移動させることができる存在なのです。


営業という仕事を考えたときに、受注を得る相手として認識するのか、二人の関係をベストにするために自分は何をすべきかと考えるのか?家族というコミュニティで、家族を分断して求めて与える関係の認識をするのか?一体のものとして全体の幸福の為に自分の役割を考える認識の立場に立つのか?

分断か?包含か?その範囲をどこまで広げることができるのか?一人一人が認識に範囲を拡大できることが、幸福の最大化の最も近道だと思っています。

一番幸福な時間


僕が人生で一番幸せを感じた瞬間は会社の忘年会でした。

想像してみてください。家族がみんな、家族全体の幸福の為に自分が何ができるのか?という視点にたってお互いを信頼し、尊敬していたとしたら。

まだまだだとは思いますが、忘年会でそんな会社の一瞬。愛に溢れる理想社会を見つけた気がしました。幸せすぎて泣きながら歩いて帰りました。

もちろん、そうではない瞬間だってたくさんあります。

どうして良いか分からないこともあります。

だけど、世界はフラクタルです。僕が幸福で、GCが幸福になれたら世界だって幸福になれると思います。

僕が幸福になる事。会社が幸福になる事。世界が幸福になる事。
これが全部繋がっている。

どうしても、狭い認識で「価値」を定義して自分やまわりを評価してしまう自分を解放することが、世界の平和に繋がっているんだと思うんです。

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