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人生の手綱を取り戻すには?痛みを避ける生き方から、痛みと共にある生き方へ。― 三好大助さん

大きい変化の中、自分の生き方を問い直し、自らの内面と向き合う方が増えているのではないでしょうか。仕事や住む場所を変えるなど、大きい意思決定に直面されている方も多いかもしれません。

私自身の「意思決定」を振り返ってみると意外と行動パターンは似ている事に気づきます。「周囲の目を気にしてしまう」「失敗したくない」などが選択の要因になっています。「本当の自分は何を求めているのか?」自分だけで考えてもなかなか答えは出ませんでした。

今回はグラミン銀行やGoogle、サンフランシスコのスタートアップを経て作家・組織開発ファシリテーターとして活動する三好大助さんに自分の内側と繋がるヒントを伺いました。

グラミン銀行で気付いた仕組みの限界と意識の探求。

三好様キャプチャ

ー三好さんの「メンタルモデルの分かりやすい話」を読みました。外部環境よりも個人の内面に焦点を置いた内容が印象的です。なぜ人間の意識に関心を持ったのですか?
僕はもともと、「ソーシャル・アントレプレナーシップ」にときめきを覚えて、社会課題を解決する素晴らしい「仕組み」を発明することに、とにかく夢中になっていました。しかし、バングラデシュでのある体験から、「仕組み」だけでは変わらない現実に直面したんですね。

いくら素晴らしいレシピがあっても、シェフの腕で料理の味は大きく変わるように。どれだけ優れたソリューションがあっても、それをどんな関係性、どんな意識で運用するかで全く結果は変わってしまうんだと気づいたんです。そこで人間の意識が、どんな風に現実に影響するのかを探究することにしたのがきっかけですね。

ー具体的なきっかけがあったのでしょうか?
バングラデシュのグラミン銀行で働いていた時の体験が大きかったです。グラミン銀行は農村の貧困問題を解決することを目的としたNGOで、その画期的な取り組みからノーベル平和賞も受賞しました。
貧困村の女性たちに少額融資を行い、彼女たちがスモールビジネスを起業するのを支援することで貧困脱出を叶える、素晴らしい仕組みだったんです。しかし、優れた仕組みだということで他のNGOもこぞってマネをし始めてから、事態が変わっていきました。

成果が出る仕組みだった分、NGOとしては寄付者も集めやすく、多くのNGOがどんどん融資を進めていきました。その結果、あろうことか村の人たちが多重債務に陥るケースが出てきて。あるNGOの地域では、自殺者も出てしまったんです。

ーそのご経験は大きいショックを受けますよね。
グラミン銀行の管轄でこうした事件が起きたわけではなかったのですが、とはいえ貧困解決を願って立ち上げ、ノーベル平和賞を受賞するほど優れた仕組みだったにも関わらず、それが世に広まった結果、むしろ新たな問題を引き起こしていた。憧れて現場に飛び込んだ僕としては衝撃的な体験でした。

もちろん、レシピも大事です。仕組みも磨きに磨いた上で、それを実際にどんな体制で運用するかもとっても大事だなと。その後、Google やサンフランシスコのスタートアップで「組織論」を探究しながら活動していて、最終的にたどり着いたのが「一人ひとりの内側の構造」の重要性だったんです。

私たちの人生を決定づけてしまっているものの正体

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ー三好さんが探究している「内面の構造」とは、どんなものなのでしょうか?
ご覧いただいた「メンタルモデルの分かりやすい話」でも書いたんですが、人間は誰しもが「痛み」を避けるための、無自覚な行動パターンをもっています。この行動パターンと、避けようとしている「痛み」を理解することで、はじめてパターンから自由になれて、本当の願いを生きれると思っています。

ー「痛み」というと?
「痛み」とはつまり「二度と味わいたくない体験」のことですね。
人は誰もが、「こんな思いは二度としたくない」という痛みを、幼少期から持っています。

例えば僕であれば「親からつながりが絶たれてしまった」」と意味づけた「痛み」の体験があります。そして「つながりが絶たれてしまうのは、自分には何もないからだ」と思い込んだのだと今理解しています。
だからこの痛みを二度と体験しないために、「何もない自分から、何者かになろう」「価値ある自分になろう」と努力するのが僕の人生の行動パターンでした。しかし、どれだけ成果を出して人から認められても、結局「まだ自分には何もないんじゃないか」「いつ、つながりが切られてもおかしくない」と不安は消えなかったんですね。

この消えない不安が、またこのパターンへ駆り立てるわけです。そうやって本来取れるはずの他の選択肢をとれず、大きな意味では同じパターンを人生で繰り返す。その結果能力は上がるかもしれないけど、本当の充足はやってこない。これが「メンタルモデル」のポイントですね。

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ー本当の充足もなければ、本来持っている可能性を自分で狭めてしまってもいるんですね。
例えるとトランプの手札のイメージが近いかもしれません。
僕の場合であれば行動パターンとして「何かになるためにがむしゃらに頑張る」というカードを切り続けてたわけです。もちろんそのカード自体に良い・悪いはないんです。「スペードのエース」自体に良い・悪いがないように、人生の中で「がむしゃらに頑張る」っていう瞬間があってもいい。

ただ何が辛いかというと、その同じカードばかり切り続けていると、ゲームの結果もパターン化していくんです。僕であれば、いっとき満たされたりするものの、「まだ何者かになれてないんじゃないか」っていう焦りと不安、疲弊感が結果として繰り返されていた。
本来であれば「あえて何もせず間を取る」っていう選択肢が手札にあってもよかったはずなんです。でも、「痛みを避けるためにはこのカードを切らないといけない」と無自覚に思い込んでるあまり、他のカードは山札に眠ったままになってしまう。これは本来取れるはずの人生の選択肢を狭めてしまうし、その結果、人生の体験の幅も狭めてしまうことになりますよね。

ーなるほど。ここで言う「痛み」は誰しもが持っているのでしょうか?
「二度と味わいたくない体験」という意味では、もちろん誰もが幼少期から持っています。こう言うと「えーいやだー」って言う人もたまにいるんですが、別に痛みは悪いものじゃないんですよね、本当は。
なぜかと言うと、痛みを自覚できることで、自分自身の本当の「情熱」「願い」につながれるんです。逆に言うと、自分の痛みを見ないようにしてると、自分の本当の「情熱」にいつまでたってもつながれません。

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画像引用:[図解] 人生のトランジションを望むあなたの前に現れる "約束の谷" の歩きかた

「ザ・メンタルモデル」著者の由佐美加子さんもよく言ってるんですが、「あるはずなのに、ない」が痛みの構文なんです。この「あるはず」という願いがあるからこそ、痛みは起きるんですよね。

例えば「ひとが離れていく」ってことに痛みを覚えるのは、「本当はありのままの自分で人とつながりを感じれるはずなのに」っていう願いがあるからかもしれません。そうした願いがなければ、「ひとが離れていく」という痛みはその人に体験として起きようがありません。

なので、自分の行動パターンを知り、自分の痛みを理解すればするほど、自分がどんな「願い」をもって生まれてきた人間なのかが、深く理解できるようになるんです。そしてその自分の真の「願い」に気づけた時、人は自然に変わっていきます。毎年200人くらいの人たちに触れてく中で、このことはますます確信していますね。

痛みには「気づく」だけでいい。

ーではこうした内面の構造があった上で、私たちはどう向き合っていくといいのでしょうか。
「この現実は、私が創り出しているのではないか?」という視座で、内省していくのはとってもおすすめです。これにより、自分の無自覚なパターンに気づけるようになるからです。
冒頭のバングラデシュのNGOの職員を例にすると、現場の職員は間違いなく、村の女性たちの異変を分かってたはずなんです。だけど彼らがそれを共有することを妨げるような、マネージャー側のコミュニケーション・パターンがあったのかもしれません。

例えば「現場の職員が、なんか最近もやもやしてそうだな」とマネージャー自身がまず気づく。では自分の何らかの行動パターンがそれを引き起こしてるのではないか?と味わってみる。すると「とにかく貸し付けの数値目標を達成しろ、という結論ばかりで、全く彼らの感情に耳を傾けてないのかもしれない」と気づく。
じゃあなぜそこまで目標達成に躍起になってるかというと「自分のオフィスで目標達成できないと、社長の期待に応えられなくなる」「期待に応えられない自分は、居場所がなくなる」そういう痛みを回避したくて、自分の主張を押し通すようなコミュニケーションをしていたんだと、気づく。

こんな風に、一人でここまで自己理解出来たら上出来です。そして自分のパターンと痛みに気づけたら、今度はそのパターンにハマってる最中に自覚できるようになります。そこで「ああまたやっちゃってるなあ、ダメだなあ」と自分を裁くことなく、ニュートラルに「ああ、またやってるなあ」と淡々と自分を観察して受け止める感じですね。そしてその内に違うコミュニケーションの在り方を選択できるようになるかもしれない。

このように「この現実を、私が創り出してるとしたら?」という問いで、自分のパターンを理解する。理解したら、そのパターンにハマってる時に、とにかく淡々と気づき続ける。これに尽きますね。

ー良い悪いのジャッジをしないのが大事なんですね。
そうです。ここで自分を裁いてしまうと、「自分の主張は我慢して、耳を傾けなきゃ」って逆に固執するわけなんですが、長期的にはあんまりうまく行きません。また揺り戻しがきちゃうんですね。
なので「このパターンをまた繰り返したのは、それくらい居場所がなくなるのが痛いからなんだよね」と、開き直るわけでもなく、自己共感してあげるのがポイントですね。そうやってパターンにハマった時に、共感的に気づいてあげる。一人でできることとしては、これだけでも本当に十分です。

そうやって気づきが深まっていくと、だんだんと、痛みの奥にある自分の願いが理解できるようになります。その願いの理解が深まっていくと、知らぬ間に自分のパターンが和らいでいる、ということがよくあります。
分かりやすく人生に変化を起こしたい、ということなら誰かに内面理解を手伝ってもらうのがおすすめですが、一人でできることとしては、とにかくパターンにハマってる自分に気づく、これに尽きますね。

ーただ気づく、そして痛みは消さなくていいわけですね。
痛みなんて、生きてる限り一生なくならないですしね(笑)。そして先程言った通り、痛みをないことにしようとすることは、自分の情熱を消し込むことになってしまいます。

毎年何人もの方に触れていて毎度驚いてるのは、誰一人として同じ痛みの形をしてる人っていないんです。似てる人たちはいるものの、みんなそれぞれ「何を痛いと感じるか」という痛みのテーマって全く違う。それはつまり、一人ひとり「何をこの世界にもたらしたいと願っているか」という願いの形もユニークなんだってことなんです。

そういう意味で、人間は素晴らしく美しくデザインされた生き物だなって思います。NGOのマネージャーの例であれば「期待に応えるとかではなく、ありのままでこの世界に存在することに安心を感じられること」に願いがあるかもしれない。僕であれば、「僕も、あなたも、何もないのではなく、内側にはすべてがすでにあって、そのままで繋りあえる」そんな体験を世界にもたらしたいという願いがあります。

一人ひとりの内側にある「痛み」を扉にして、自分独自の「願い」を開くこと。そしてその「願い」をこの世界で生きてみせること。このことほど人生で充足を覚えることはないと思いますし、一人ひとりがそう生きたとき、世界はとっても美しい場所になると信じています。
痛みを避ける生き方ではなく、痛みとともに歩む生き方へ。ぜひこのインタビューをご覧になってる人にも、自分独自の「痛み」と「願い」を思い出すジャーニーを歩んでもらえたら嬉しいですね。

Instagram_三好

【プロフィール文】
三好大助さん
作家・組織開発ファシリテーター。
早稲田大学文化構想学部卒業。グラミン銀行・Google・サンフランシスコのスタートアップで、テクノロジーを通じた社会課題の解決に情熱を注ぐ。その経験と自身の心労から「本質的な世界の変容は、一人ひとりの内側の変容からこそ起こる」と気づき、退職。
Google発の脳科学研究所SIYをはじめとする場で、最先端の意識科学と各国先住民の叡智について探求を重ねる。
帰国後、ネイティブアメリカンやペルー先住民の宇宙観・生命観をモチーフにした創作活動を開始。また、意識変容・組織開発のファシリテーターとして、様々なクライアントの変容に伴走している。
公式サイト:http://dice.ooo/

執筆・文/佐藤政也 デザイン/熊谷怜史

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