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親の呪縛から解き放たれよ

宗教と離れて3年目、第二の呪縛から放たれようとしているわたしです。
それは、親からの心配という名の呪縛です。

親孝行というと、「親に心配や迷惑をかけないこと」というのは一般的でしょうか。一方で、それも度を超えると色々な挑戦への障壁ともなりうる。私の場合は、そのケースに入ってしまったというわけです。
大手じゃないと、安定しないと、とその他大勢と同じ道を歩かされる。決められた線路の上を走らされる。それも善意で。子供たちに困ってほしくないから、苦しい思いをしてほしくないから、彼らの思ういいルートを提示してくるわけです。

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ここからの脱出は今でも後ろ髪引かれるところではありますが、なにより大切にしてほしいのは当事者の意志です。自分がどうありたいか、なにがしたいか。(私を含め多くの人はネガティブ思考が本来の願望を霞めさせ、わからなくなってることもある)なぜなら人生の主語は親ではなく、自分にあるはずだからです。自分の人生に責任を持つ。つまり多くのリスクが伴います。周りのせいにはできないし、失敗は全部自分が受け止めなければいけない。

でも、リスクと危険は異なるものです。危険からは逃げなければいけないが、リスクは乗りこなし方でどうとでもなる。回避できたり、痛手を最小限に抑えることもできる。そこで、自分より先にいなくなる確率の高い人のために、生きる人生を選ぶのか。もしくは、これからいやでも一生離れることのない自分に焦点を当てるのか。
すこし残酷な言い回しになってしまいましたが、結局のところ、「親が求めているものは何なのか」を掘り下げると、わたしが皆さんに伝えたい考え方を少しでも分かってもらえると思う。それは、親から見た息子や娘である「わたしの幸せ」、だとほとんどが答えるでしょう。親は様々なことを口酸っぱくいってきますよね。でもそれってほかでもないあなたのためだと思うんです。そうと気付いたなら、わたしは自分で選んだこの道で幸せになる。それがわたしの親への恩返し、親孝行。人には謙虚に、そして人生には自分勝手に挑んでいく。

今でも十分幸せなんだけどさ、わたしは自分が心惹かれる道をわくわくしながら歩いてくよ。二人を安心させられるまで、もう少し、待っててね。

P.S. 結構抽象化してしまったので、もっと具体的な話が聞きたい方は教えてください。

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