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実母と距離を保ちたいタイプの私、母になる準備中。

人生は何が起こるか分からないものですね、マジで。
推しと己に課金して、どこぞのご家庭の御子息、御令嬢、若者たちへ気まぐれに少しばかりの支援をして、10年以上前から「結婚とか、実子を産み・育てるのとは異なる生き方で幸せになる」と思って生きてきた私が、昨年中に妊娠しまして、あれよあれよという間に臨月を迎えております。「長く一緒に生きていこう」と決めたパートナーとの間に出来た子どもとは言え、バッチリの予定外。こちらの気持ちたるや、ここに来てもぜーんぜん定まりません。

とは言え、妊娠発覚直前には軽めのカンピロバクターにやられたりお酒も飲んでいたり、気が気じゃないことがあったにも関わらず、今日まで順調かつ元気に育ってきたわが子。「大したもんだ」と感心しすぎて、早くも親バカの気が発動しています。
これまでの経過を簡単に総括しますと、やいやい動きながら早めに身体を仕上げ、今は私めのお腹にて出番までの時間をのんびり過ごしているもよう。あとは、ご本人が忘れずに上手いことこの世に出てきてくれることを祈るばかりです。

「母親」というものに対する拒否反応

そんな中、私においては実母と色々な素質が異なるがゆえに反りが合わない人間なもので、自分が「母親」になることについては、ある種の拒否反応があります。
まあ、最も付き合いが長く身近で見てきた母親の例が「子が気を遣って機嫌を取ってケアしたり、時に人としての在り方を諭さねばならない存在」なわけで、つまりは精神的にとても未熟な人なんですけれども、反面教師にすれば宜しかろうが何だろうが、長年丁寧に年輪のごとく重ねられてしまったネガティブイメージは、己の妊娠でも簡単には拭えやしません。自分も同じように振る舞うことがあるんじゃないかと思うだけでウンザリしてしまいます。
※ちなみに、この件について「その心のブロック外してあげますよ」系はマジで不要なので、やりたい人は他をお当たりください。
幸いにして、私と母は素質が違う全くの別人であるという大きめのアドバンテージがあります。ここはひとつ、あまり考えすぎず、たまに我が身を省みる素材として心の引き出しに入れておこうかと思います。

葛藤することもあるけど、まあやっていきまひょ。

「お子さん、もうすぐですか。楽しみですね」の社交辞令にも、「アハハ!不安しかないっす!」とヘラヘラしながらマジレスし続ける正直者こと私。
急ハンドルで変わった人生の方向性、増え続ける体重、ケアしても色素沈着しに集まってくるメラニン色素、先述した内面の葛藤を引っ提げて、この世の道理やシステムを何ひとつ知らぬ新メンバーを下腹部の尋常ならざる痛みと共に迎えるわけです。
行ったことないお店に行くことや、食べたことないメニューに挑戦することに抵抗のない私でも、この新生命体に関しては、どこに楽しみがあるか全く分からん…。
あれですか?世の中のマタニティピーポーは、もっとこう、余裕と慈愛に満ち満ちた時間をアルカイックスマイルで過ごしているのでしょうか。胆力が違うぜ…。

人生3回目以下、今世で初産バッチコイの私はこんな感じではありますが、ラブリーパートナーと「色んな人の助けも借りて我が子を守り育てていきましょね」と話しております。
楽しみよりも緊張多めの出産準備、わが子の衣食住の準備は一通り済んでいるので、あとは出囃子(陣痛、分娩時に聴く予定のプレイリスト)をアルカイックスマイルでスクワットしながら練りつつ、その日を待とうと思います。
本当にわが子、出て来ること忘れてないといいな…誘発剤でお尻叩くことになるんじゃないかと、謎の予感がしています。

あーー!あとは、早く飲酒解禁したーーーい!!(酒クズ)