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往復書簡④鵜飼哲先生より

往復書簡の最終回となる今回の記事では、フランス文学・現代思想、特にジャック・デリダの研究者であると同時に、長年にわたってパレスチナの文化と政治に深く関わられてきた鵜飼哲先生からの応答を掲載します。学生有志からの質問の全文・詳細はこちらから。


1. 大学にいる私たちは、パレスチナとどのようにつながっているのでしょうか。

大学のキャンパスは呼びかけと抗争の場です。キャンパスにひととき身を置く誰もが他の誰かに声をかけることができる、そうであるべき場。街頭、職場、家庭、他の教育施設以上に、呼びかける自由が感じられる場。呼びかけが抗争を引き起こすことを、他の場ほどには恐れなくてもよい場。この相対的な「自由」は学問・研究の発展にとって不可欠ですが、けっしてそのための手段ではなく、それ自体として全力で守り抜かなければなりません。そしてこの闘いは、すでに事実上パレスチナとつながっています。
 2006年、コロンビア大学で、私はあるティーチインに参加しました。エドワード・サイードの後任に内定していた中東現代史のジョゼフ・マサド氏の昇任人事が大学上層部から拒否されたことに抗議する集会でした。私が驚いたのは、集会を呼びかけ、主催したのは学生たちだったのに対し、発言するのは主として教員たちだったことです。教員たちは自分がどのような思想に基づいてこの事態を批判するのか、同僚の学問・研究の自由を守るためにどのように闘うつもりなのか、学生たちの前で次々に決意表明をしていきました。
 2001年9月11日にニューヨークとワシントンが同時に大規模な襲撃を受けたのち、米国はアフガニスタンに続きイラクに武力侵攻を行いました。皆さんがお生まれになった頃の事件ですが、この時期からアメリカでは、大学教員の講義中の発言がチェックされ、イラク戦争やイスラエルの行動を批判すると通報され、テレビやネットで実名を上げて指弾される事態が横行しました。このようなキャンパス・ウオッチの蔓延に対し、反撃もまたただちに組織されました。私が参加したのは、そのようなキャンパス・レジスタンスの取り組みの一つでした。
 現在アメリカの諸大学では、ガザ虐殺に抗議し、パレスチナの解放を訴える取り組みが大きく広がっています。この運動の背後に私は、20年近く、数世代の学生たち、教員たちによって担われてきた、キャンパス・レジスタンスの時間の厚みを感じます。この時間のなかで、パレスチナの状況は繰り返し問われ、論じられてきたはずです。そして、多数の学生たちの共感を獲得してきた積み重ねの結果が今現れているのではないでしょうか。
 2006年のティーチインで配布された主催者の学生たちのチラシの文章の冒頭を、私は鮮明に覚えています。「アラブ人殺しはいまやアメリカの国民的スポーツになった」。
national sportという言葉がこのような文脈で使われることを知って大変衝撃を受けました。この一文は、反テロリズム戦争の開始とともに、アメリカが一気にイスラエルと同一化していく歴史の転機を見事に捕らえ、それに鋭い反撃を加えていました。
 当時日本の大学教員だった私は、学生たちから同じような集会への呼びかけを受けたとしたら、自分ならどのような発言をしたか、いろいろと思いをめぐらしました。また、学生運動の使命の一つが言葉の発明であること、大学のキャンパスでの、若者の集団的思考からだけ生まれうるような言葉があることも思い出していました。日本の大学のキャンパスからも、パレスチナ問題だけでなく、この時代の火急の課題に応答して、目の覚めるような言葉が生まれることを待望しています。

2. 「連帯する」とはどのようなことでしょうか。

私は関西で学生運動を経験しましたが、同世代の東京の学生さんたちは私たちよりある意味ずっと真面目で、運動の根拠を明確にすることにとてもこだわって討論を重ねていました。その誠実な姿勢に感銘を受けると同時に、運動第一主義の私たちはやや違和感も感じていました。
 「連帯」という言葉も、そのような討論のなかでしばしば取り上げられていました。当時も今も私は、「連帯」は集団的な活動のために不可欠な言葉であると同時に、その内実は、個々人が固有の思想、感性、経験を通して問い直し続けるべき言葉の一つだと考えています。
 晩年にパレスチナ解放運動に深くかかわったフランスの作家ジャン・ジュネは、死後発見された紙片にこんな言葉を書きつけていました。「人は私になぜパレスチナ人を助けるのかと尋ねる。なんと馬鹿なことを!彼らのほうが、私が生きるのを助けてくれたのだ。」
 信じ難いほど苛酷な状況で闘い続ける人々が現にいて、その闘いの帰趨に私たち自身の未来も賭けられていることが明らかなとき、この<事実>に応答しようとするあらゆる試みを、さしあたり「連帯」と呼びたいと思います。

3. パレスチナ/イスラエルの何が問題なのでしょうか。

郷土を奪われ、70年以上のあいだ、難民、二級市民、無国籍状態に追いやられてきた人々が、同時に「生まれながらの反ユダヤ主義者」として、道徳的にも糾弾され続けているパレスチナ人の状況に、私はつねに、腹の底から湧き起こるような抑え難い憤りを覚えてきました。これだけは許してはならない、最低限の尊厳が蹂躙されている地、それがパレスチナです。とはいえ、道徳の名において被害者が冒涜されるこのような構造は、目を凝らすといたるところにあります。イスラエル/パレスチナ問題には、例外的な強度でこの不条理を照らし出す点で、一地域紛争の次元を超えた普遍的射程があります。2010年、ガザに支援物資を届けようとしたトルコのNGOの船「マルマラ号」がイスラエル軍に攻撃、拿捕されたとき、フランスのパレスチナ連帯運動のなかから一つのスローガンが生まれました。「ガザの沖で、パレスチナの沖で、殺されているのは人類だ(Au bord de Gaza, au bord de la Palestine, c’est l’humanité qu’on assassine)。」逆に言えば、強者の振りかざす道徳の醜悪な欺瞞を打ち破ることなくして人類は人類たりえないということです。パレスチナ人とともに生きることは、この課題をともに担うことにほかならないと私は考えています。

4. 先生が専門家としてパレスチナに関して発言や運動をする際に自らに戒めていることはあるでしょうか。

私はアラビア語ができませんし、パレスチナ問題の専門家とは到底言えません。フランス語の文学と思想を専攻してきましたが、中東、パレスチナ、イスラームが投げかける問いの大きさは、この領域でも過去数十年、否応なく明らかになってきました。これまでなかなか取り組めなかったことは、ヨーロッパの反ユダヤ主義の歴史とイスラエル/パレスチナ問題を統一的な視座で考察することです。政治的シオニズムはヨーロッパ近代のナショナリズムを内面化した世俗的ユダヤ人の思想であり、モデルであるナショナリズムに必ず含まれる反ユダヤ主義も同時に内面化しました。その意味ではイスラエルこそ反ユダヤ主義なのですが、同時にこの紛争のもっとも重い歴史的責任がヨーロッパにあることも忘れてはなりません。アクチュアルな出来事に関する論評のなかに、中東現代史からヨーロッパ史全体を照らし返すような展望を、どれほど不十分であれ、そのつど組み込んでいく作業の必要性をいつも痛感しています。

5. 「人間性」とは何でしょうか。

「テロリスト」という言葉自体に、「植民地主義」「人間の動物化」「動物に対する蔑視」がセットで組み込まれています。イスラエルのガラント国防相の発言は、あらためてそのことを浮き彫りにしました。同時に、20世紀前半の非シオニストのユダヤ人作家や思想家が、動物的生に対する深い親近感をしばしば証言していたことを考えると、政治的シオニズムがユダヤ人のどのような感受性を切り捨てて、彼らが理想とする「新しい人間」を構築しようとしたかが理解されます。「人間性」を内在的、決定的に規定することは原理的に不可能である一方、ヨーロッパ近代のナショナリズム、とりわけ19世紀にはっきりした形で現れたレイシズムは、「人間とは何か」という問いに取り憑かれ、他者を動物化しなければ自己を「人間」と規定できないという奇妙な切迫感に衝き動かされていました。
 とはいえ、ガザで日々破壊され、失われているものを、「人間性」と呼ぶことをためらう必要はないでしょう。3)でも見たように、この言葉にナショナリズム、レイシズムと共犯的な「人間性」とは異なる新しい意味を発見することが、シオニズムの克服を目指すパレスチナ解放の闘いに賭けられているからです。

6. ガザ・モノローグはガザの人々の綴った言葉を朗読するという営みですが、これはどのような行為だと考えられるでしょうか。

「ガザ・モノローグ」は、今現在のガザを生きる同時代のパレスチナ人の言葉を、私たち一人一人の身体を通して伝達していく作業と考えていいでしょうか。私自身は関わったことがなく、皆さんの経験から学ばせていただければと思っています。
沖縄では戦争体験者の語りを若い世代の表現者が朗読する試みがあり、ビデオアーティストの山城知佳子さんによる「あなたの声は私の喉を通った」など優れた作品が生まれています。時間的隔たりと空間的隔たりという違いはありますが、「ガザ・モノローグ」と比較すると、私たちにとって大事な示唆が得られるかも知れません。 

鈴木啓之先生からの応答はこちらから
早尾貴紀先生からの応答はこちらから

 
 

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