往復書簡①学生からの質問状
質問状
この度は往復書簡の試みをお引き受けいただきありがとうございます。
「大学からできること」に関して、私たちからの問いは以下の通りです。
1. 大学にいる私たちは、パレスチナとどのようにつながっているのでしょうか。
日本はパレスチナからは地理的に遠く、一見すると日常的には関わりの薄いように感じられてしまいます。しかし、2023 年 10 月以降、イスラエル軍によって三万人を超えるパレスチナの人々が虐殺され、その危機や惨状に反対する運動が日本の各地でも行われるようになりました。今回の出来事は植民地主義や人種差別のような、より一般的な差別にもとづく暴力の結び目でもあるかと思います。パレスチナ問題の固有性を考えると同時に、普遍的な差別の枠組みそのものを認識した上で抵抗の規範を模索し続けなければ、パレスチナに向けた活動への参加者もまた、日常における他の差別の構造を温存し続ける危険性があります。この点にこそパレスチナ問題との接点を、個々人が顧みる糸口があるのではないかと現在考えているところです。
2. 「連帯する」とはどのようなことでしょうか。
パレスチナに向けた運動を行うにあたって「連帯」という言葉がよく使われます。先生は、この言葉をどのように捉えていらっしゃいますか。パレスチナの人々への「連帯」はいかにして可能なのでしょうか。
3. パレスチナ/イスラエルの何が問題なのでしょうか。
先生はすでにご著書やさまざまな場でパレスチナ/イスラエルの問題について論じられてきましたが、改めてとりわけ強調せねばならないとお考えになることはなんでしょうか。
4. 先生が専門家としてパレスチナに関して発言や運動をする際に自らに戒めていることはあるでしょうか。
パレスチナ問題の専門家である先生ご自身が、発言や運動の際にどのような注意を働かせていらっしゃるのでしょうか。私たちはご著書を拝読することでお書きになられたことを知ることができますが、むしろそこで先生がお書きにならなかったこと、またパレスチナ問題の専門性を背負う上でのご自身の捉えられ方、お考えになることなどをお伺いしたいです。
5. 「人間性」とは何でしょうか。
「人間性」という言葉は、イスラエル軍による占領と虐殺に反対する理由として用いられています。一方ではイスラエル国防相が「われわれは人間動物と戦っている」と発言したように、パレスチナの人々が「動物化」されているともいうべき事態も同時に起こっています。虐殺によって「何か」が喪失しているということは間違いないとしても、この場合「人間性」という、ともすれば「動物 - 人間」という排除の論理が温存されている危険性のある言葉を用いることはできるのでしょうか。或いはその「何か」とはどのようなもので、それは何というべきでしょうか。
6. ガザ・モノローグはガザの人々の綴った言葉を朗読するという営みですが、これはどのような行為だと考えられるでしょうか。
今ここに居あわせるのではないガザの人々の言葉を、私たちの声で読み上げるという営みにおいて、ガザの人々の声へどのような向き合い方が可能であると思われるか、ご教示いただけると大変ありがたいです。
ガザ・モノローグを行う学生有志の会一同
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