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ベトナム・マクロビオティックの夜明け ~食養会指導者以外の”専門家”の顔を持っていた櫻澤如一氏~

ベトナム・マクロビオティックの夜明け|何祐子|note

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  講演午餐会
 
 急告 来たれ! 会員諸君!!

世界に妖怪が徘徊している、ユダヤ人の妖怪が――。左翼を触手とする各国の内部崩壊策動、又戦争挑発、英米の軍備拡張煽動、裏面には皆貪欲なるユダヤ財閥の策動が潜んでいる。ユダヤ人の世界的組織網を理解せずして今日世界の問題は分らない。
櫻澤氏は多年フランスに滞在しユダヤ人研究に没頭せる人。乞う、来って氏の薼畜を聴け!

講師  国際政経学会猶太問題研究所   櫻澤如一氏
演題  ユダヤ人の世界的陰謀網を衝く
時日  5月4日(水)午後5時半
会場  丸の内中央亭本店
会費  2円(晩餐費を含む)

   主催  東京講演会

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 これ⇧は、昭和13(1938)年4月30日東京講演会発行の『講演 第396号』巻末広告です。
 因みに、『第396号』の講師陣と演題を見てみますと、

 *事変と国際情勢
対支第2期戦と列国の対日動向  法学博士 米田實
 *大学・国家・社会
社会への門出に  早稲田大学総長 田中穂積
大学と実社会   慶応義塾大学総長 小泉信三
国家と大学    東京帝国大学総長 長與又郎

 このような⇧、非常に重厚な権威ある各界名士の方々が会員向けに定期講演を行い、速記した内容を後日冊子として発行していたようです。

 けれど、日本食養会の櫻澤如一氏があの当時「ユダヤ人問題専門家」の肩書を持っていたと知る戦後の日本人は極めて少ないです。
 東京講演会による櫻澤氏の経歴紹介文はこちら。⇩
 
 「読者は既に御存知であろう。櫻澤先生が社団法人食養会の指導者であり、ユダヤ問題の権威であることを。青年時代絶望的な病気を食養法によって快癒した先生は爾来食養法の研鑽と普及に身を献げられ、欧州文化の中心パリに赴いて東洋医学の偉大なる卓験を実地に示した結果、欧州の学会に東洋医学研究の機運を捲起したのは、実に先生の力であった。云々…」

 実は、、、日清・日露の戦役から既にかなり時間が経つと、明治頃に比べ昭和日本男子非常に虚弱、胃病や喘息などの持病持ちが多かったそうです…。
 さあ今から、国威発揚!戦意高揚!と息巻いていた政府・軍関係者は密かに悩んでいた為なのか、櫻澤氏は講演に引っ張りだこだったようです。⇩

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 *中京方面会員諸君に急告!!
 
 講師 社団法人食養会理事 櫻澤如一氏
 演題 食物による健康法
 時日 9月28日午前11時半
 会場 名古屋ホテル
 会費 2円(午餐費共)
 主催 東京講演会 名古屋支局

 講師 国際政経学会 櫻澤如一氏
 演題 ユダヤ人の世界的勢力
 時日 9月28日午午後3時
 会場 名古屋新聞社
 主催 名古屋新聞社 経済談話会

 講師 社団法人食養会 櫻澤如一氏
 演題 食養法に就いて
 時日 9月28日午後6時
 会場 大和屋本店
 主催 大和屋本店

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 これ⇧は、『第410号』の巻末広告です。

 では実際、東京講演会主催による櫻澤如一氏の講演内容はどのようなものだったのでしょうか?
 『第401号』『第407号』に掲載された櫻澤氏講演、演題『世界を操縦するユダヤ人の勢力』と、演題『食物による健康と幸福への道』目次1「ユダヤ黄金王朝の独裁に蹂躙され世界第一の病弱国となりし日本」からそれぞれ少し見てみます。⇩

 「…此の頃、ユダヤ問題の権威者とか言われるのでありますが、それは見当違いであります。それの権威者としては、日本に私の最も尊敬する若宮卯之助先生がありましたが、残念なことに先日おなくなりになりました。その外に、只今ハルピンに行っておりますが、陸軍大佐の安江さん、それから赤池濃氏、それに陸海軍の首脳部に2,3の同志がありまして、それ等の人達が集まりまして、国際政経学会をやって居ります。
 それで此の国際政経学会では「国際秘密力の研究」という本を、昨年から出し初めまして、そうして極く特殊なお方にだけ配布をしておったのであります。」

         『第401号』より

 「今日これから申し上げるお話は、前回申し上げましたユダヤ問題のお話の続きなんでございます。
 ユダヤ人が世界厳盡の大陰謀を着々実行致しまして、遂に全世界を自分の掌の中に収め、世界の富の三分の二を占有致し、遂に東洋の果てにある日本を愈愈一呑みにしようという段階になって来ましたが、(中略)今日ここにお越し下さいましたのは会長海軍中将坂本一閣下ですが、(中略)食養会はこの坂本閣下をその初代会長に戴きました。最近再び会長に御就任を頂きまして、吾々はその指令の下に働いて居るのでございます。
 …食養の創始者である石塚左玄(いしづか さげん)陸軍薬剤監の御在世の時には、非常に盛んになりまして、(中略)この石塚先生の御恩で命を助かった人々が全国から集まってきまして、(中略)皆さまの中でも石塚先生のお名前は御存知の方も沢山おありだと思います。
 …この頃やっと皆に認められる時機になりまして、政府がこれを奨励しだしました。けれども今日の政府がこれを認めるまでには、遂に50年を要しております。」

      『第407号』より

 上⇧の、「陸軍大佐の安江さん」とは、有名な陸軍のユダヤ専門家安江仙弘大佐のことです。国際政経学会編「国際秘密力の研究」(昭和11~15年)の中に云う「国際秘密力」「ユダヤ地下帝国」や「ユダヤ黄金王朝」が、現代語に直された「ディープ・ステート」です。(全然知られてませんけど。。。)😅😅
 
 ところで、なんで食養会の会長が海軍中将??と疑問に感じると思います。この背景には、日本人満州移民健康問題がありました。⇩

 『脱亜入欧』スローガンの下、明治以来西洋文明をガンガン取り入れた日本は、特に西洋栄養学や西洋的食品を官民挙げて積極的に宣伝、滋養品として卵、バター、牛乳、牛肉、バナナなどがもてはやされました。それなのに、何故か庶民の間には明治以前には殆ど無かった胃腸病が常態化、喘息、鼻炎、あらゆる婦人病に挙句は癌(がん)という新しい”奇病”まで現れたのです...。

 そんな中、1932年に満州国建国
 沢山の日本人移民が満州に渡ったが、元々健康だった若者でも、何故か半年もせずバタバタと病気に倒れて行く。この奇怪な現象に、何か根本的な問題があると気付いたのが海軍中将だった坂本一閣下だったのですね。
 櫻澤氏は、海軍の要請で満州へ度々渡航して在満日本人居留民の健康指導をし、『満州食養読本』(昭和14年)という本も出版してます。

 ところで、食養創始者は上述の通り「陸軍薬剤監」ですから、軍部関係者は明治期から元々『食養』の存在を知ってたのです、
 それでも、西洋医学・栄養学を信奉した当時の日本で「反対医者=西洋医学の反対を唱える医者」の石塚左玄医師は相手にされず、陸軍はドイツ留学帰りの西洋医学信奉者森鴎外(もり おうがい)軍医の意見を採用。結局石塚氏は町医者になった経緯があります。

 石塚食養のお弟子さんに、日露戦争の乃木希典(のぎ まれすけ)大将がいます。南京戦の松井石根(まつい いわね)大将も、長患いの腸カタルを櫻澤氏の食養方法で直してます。

 さてでは、食養とユダヤがどうして繋がるのか? の説明を、櫻澤氏の『戦争に勝つ食物』(昭和15年)に見てみたいと思います。⇩

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 日本の医者や栄養学者が云うところの栄養滋養ビタミン、蛋白、牛乳、パン等々、つまり日本の栄養学一切は合切は西洋の学者のうけ売りである。
 …いくら外国のものを取りいれなくてはならないといっても、社会主義や共産主義、デモクラシイや性道徳の様な國體、社会に関する外国の精神や思想は、そのまま取り入れると大変な問題が起こってしまう。

  …我が国が西洋栄養学や医学を盛んに取り入れた明治以来今日まで、70余年間に国民の健康状態は変わらなかっただろうか?…情けないことに我国は世界第一位の病弱国になってしまった。…文部省や内務省、陸軍省や厚生省までが大わらわになって国民の健康増進に努力をしなくてはならないことになってしまったのである。
 
 …明治以来、70余年間、我国が費用を惜しまず取り入れ、日本の学者が例によって、直接的に、そのまま我々の実生活に取り入れさせた現代新日本風な食物――取り分け、牛、豚、馬肉、牛乳、バター、コンデンスミルク、パン、玉子、果物、砂糖、コーヒー、アイスクリーム、チョコレート等が、共産主義同様、沢山の犠牲を出した揚句、近い将来に於いて、発売禁止になる運命をもっているのではないであろうか。
 
 …(西洋でさえ禁止)の気配、大いにある。その証拠は最近欧米に於ける栄養学、医学の大家、権威者達が沢山提供してくれている。(それを身を以て実行し証明してくれるのは、)第一にヒットラーである。
 ヒットラーは、自ら実行するのみでなく、ドイツ医学及び栄養学全体の改造さえ既に実行している。ドイツでは1930年版の小学読本にまで取り入れられ、国民の教科にまでなっている。

 …そもそも栄養学の元祖はドイツ系ユダヤ人リーヒッヒである。彼は1840年頃に食べ物が血液の中で燃えるらしいと云うことを発見し、(中略)これが例のユダヤ人独特の宣伝上手と云うものである。

 …リーヒッヒに次いで出たのは有名なユダヤ人モレショットである。彼はドイツで極力肉食を礼賛し、肉食の流行を大いに広めた。…モレショットは口を極めて肉食以外のものを罵倒した。…その次に有名なフォイトやその門弟ルブナアは、…沢山の数字や統計を作って証明にした。これは数字や統計というものはどんなにでも恐ろしく悪用、誤用されるものだと云う立派な見本である。…例の日本の請売り専門で創造力無き学者、医者、栄養学者は、みなこのフォイト、ルブナアの弟子やその残党の孫弟子なのである。

 …ドイツではヒットラーが政権を獲得して以来、リーヒッヒ、フォイト、ルブナアらのユダヤ式旧式肉食第一栄養学を尻目にかけ、堂々と正反対の菜食主義を奨励し始めた。…民間療法、自然療法を推奨し始めた。(中略)…日本のユダヤ唯物論的医学万能的思想を盛った衛生学や、医学の零細なメンドクサイ知識を小学生に吹きこもうとしている(日本の)教科書と比べて見ると、よほど日本がおくれていると云うことがハッキリ判る。

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 要するに、物事何でも裏がある訳で、
明治以来、親切な西洋人が、日本国民の健康増進、体質改善の為に、小麦粉、乳製品、果物、コーヒー、砂糖、肉類等々を売ってくれる、と感謝してたのは日本側だけ。でも、ちっとも健康にならない。それどころかどんどん病弱になって行く。だってそのからくりは、栄養学自体が先に前もって輸入され、巧みに仕込まれていたという訳です。

 しかしです、それが解ったといっても物事はそう簡単には行きません。明治以来70年間云々…、70年間と言えば相当な時間が過ぎています。
 明治維新直後に牛肉輸入貿易会社を興した人は――もう社長は3代目、大大富豪でしょう? 乳製品輸入販売は? 小麦粉輸入卸売りは? コーヒー、果物、その他沢山の西洋由来品を扱う明治維新後の既得権益者達は?
 もし昭和になって急に『これら全部輸入禁止!!』となれば、さあどうする?…ですよね。。

 一度知った密の味。国民が不幸になる、病気になる…、そんな事急に言われても、「はいそうですか、じゃあ会社たたみます」となる訳がない。
 実際、ヒットラーはコテンパンにされドイツは東西分断。日本は、戦後昭和40年代生まれの私なんて学校で毎日パン食べて牛乳飲んでましたよ、栄養の為に。(笑)

次回に続きます😁!


 
 

 

 

 
 
 

 
 
 
 
 
 

 

 

 
 
 
 
 

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